Vol. 177|五つ星 松竹梅楽園 園主 金子亘利
今日も快晴
富士市南松野字粒良野地区。過疎化の進む静かな集落を抜け、車1台分の幅しかない道をさらに進んだ標高300メートルの山中に、知る人ぞ知る別天地が存在する。春には極上のたけのこ、初夏には完熟の梅が採れる豊かな農園『五つ星松竹梅楽園』だ。今年は新たに富士山の絶景を楽しめる展望台も整備され、道案内なしでは容易にたどり着けない場所にありながら、ここでは多く人々の笑顔と賑やかな会話が交わされている。
この土地の地主であり、農園主でもある金子亘利(かねこのぶとし)さんは、現在85歳。開園から13年目を迎えた今もなお、年間200日以上も現地に通い、自ら作業に汗を流す壮健ぶりには感服する。社会への奉仕を信念とし、価値観をともにする仲間を何よりも大切にする金子さんが語る言葉は、人生100年時代を生きる我々にとっての道標のように感じられた。
『松竹梅楽園』というのはユニークな名前ですね。
松野にある竹林と梅林なので『松竹梅』です(笑)。 ここは私が所有する山地を整備した農園で、親しい仲間とともに2009年から運営しています。約4千坪の竹林では年間約5千本のたけのこが採れ、約100本の梅の木からは約2トンの梅、その他にも原木しいたけ、なめこ、ブルーベリー、イチジク、ふき、たらの芽など、多くの産物を収穫しています。農園の利用者は年間延べ千人程度ですが、最大の特徴はすべて無料で提供しているということですね。それでも資源が豊富なので、たけのこや梅は好きなだけ持って帰ることができます。
運営スタッフはボランティアで、より多くの人が楽しめる農園を目指していますが、私有地でもありますので、利用はいつでもどうぞというわけではなく、初めての方は事前連絡の上、面談をさせてもらっています。いくつかのルールも決めていて、守れない方にはご遠慮いただきます。たとえば、必ず3~5名のグループで申し込んでもらうようにしていて、夫婦や親子でも2名以下ではお受けしていません。その理由としては、2人だとそこで会話が完結して、作業だけに没頭してしまい、参加者同士の活発な交流が生まれにくいからです。
それでもリピーターが絶えないということは、それだけ価値のある体験ができるということでしょうね。
たけのこの収穫は重労働で大変だというイメージを持っている人も多いですが、うちの竹林は駐車場から近くて、比較的傾斜もなだらかな場所にあるので安心です。また今年から農園内に大きな釡を用意して、採ったたけのこをその場で釡茹でできるようにしました。家に持ち帰ったらすぐに食べられるので、とても評判がいいですね。
たけのこが終わった後に収穫を迎える梅も盛況です。枝についた実を竿で突いて落とすのではなく、ここでは木の下にネットを張って、自然に落ちてきた梅を拾う形ですので、誰でも楽しめます。しかもこの完熟した落ち梅が一番美味しいんですよ。梅の木にはそれぞれ利用者の名札をつけて、剪定などの管理から収穫まで、基本的にご自身でやってもらいます。自分の木だと思えば世話をする意識も高まりますし、収穫の喜びもひとしおです。また最近ではこの梅に富士市社会福祉協議会が関心を持ってくれて、今年は特別支援学校などで加工品にするための梅の実を200キロほど、無償で納品させてもらいました。
農園は市街地から離れた山奥ですが、この場所を選んだ経緯は?
ここはもともと農地ではなかったんです。ある企業が大規模な砂利の採掘を目的として取得した土地が、経済状況の変化で使われなくなって、買い手が見つからず困っているということを知って、私が買い取ったんです。
人助けのつもりで、当初は農園にする予定はなかったんですが、ある料理店の主人にたまたまこの話をしたところ、『金子さん、あの山はたけのこが採れると最高だよ。うちで使ってる京都産のたけのこにも負けないはずだ』って言われたんです。富士山麓や愛鷹連峰の黒土はたけのこには向いていないけど、富士川より西側の一帯は粘土質の赤土で、良質なたけのこが採れるというんです。たしかに、同じ地質の芝川・内房のたけのこは高級ブランドとして知られていますよね。じゃあ一度調べてみようかと、地図を片手に初めて現地を訪れてみると、いくつかの竹林にたけのこが生えていました。それを食べてみると、柔らかくてエグみがなくて、驚くほど美味しかったんです。これはいいと思って、農園として少しずつ整備していきました。
それほどの土地であれば、事業化すれば大きな収益になるのでは?
そうですね。特にたけのこは最初に竹林をある程度整備してあげれば、あまり手をかけなくても育ちますし、品質の良いものはなおさら収益性が高いです。ただ、私は12年前の開園当初から『売上げ0円』にこだわっていて、農園で採れたものを販売することも、利用者から代金をいただくこともしていません。それは私自身の思いとして、社会への恩返しを目的に生きていくと心に決めているからです。
私はかつて銀行に勤務しながら猛勉強して、30代後半で不動産鑑定士の資格を取得しました。当時はまだこの制度が始まって間もない頃で、富士市内では私が初の有資格者でした。すると独立して開業届を出した当日から、宣伝もしていないのに仕事がどんどん舞い込んできたんです。さらに好景気や不動産ブームの波も何度かあって、おかげさまで仕事も収入も順調すぎるほどでした。そんな恵まれた環境に甘えることなく、自分にできることで社会に貢献したいという思いがあり、本業と並行して裁判所で民事紛争の解決をお手伝いする調停委員などを務めていましたが、70歳になったのを機にきっぱりと仕事を辞めて、第2の人生を歩もうと決めました。当初は悠々自適な暮らしもいいかなと考えていましたが、そんな中、この土地を買い取ってもらえないかという話があって、あれよあれよという間に農園主になっていました(笑)。
今でも一年の半分以上は畑に出て作業をしていますし、売上げはゼロでも管理費用は自腹でどんどん出ていくので、悠々自適には程遠いですが、これでいいんです。お金は手段であって、人生の目的ではありません。特にこの歳になると、何よりも大切なのは、気の合う仲間ですね。その次はやりたいことに使える自由な時間。お金はそれらを実現できる程度にあればいいかなという感覚です。この農園を運営するスタッフの多くがいわゆる後期高齢者ですが、囲碁などの趣味を通じて知り合った友人がお互いに声をかけ合って、自発的に集ってくれた仲間たちです。砂利を取るために放置されていた土地で美味しいたけのこや梅が採れて、そこに集まる人と人とのつながりが生まれるんですから、私にとってはまさに宝の山ですよ(笑)。
宝の山で仲間とともに
そんな仲間のみなさんの力を得て、富士山の展望台まで作ったそうですね。
所有地内に富士山の眺望に最適な場所があることは以前から分かっていましたが、樹木で視界が遮られていて、これまで活用できていませんでした。松野地区には富士山の展望スポットが少ないという声もある中、今年の2月に一念発起して障害物となる樹木を伐採したことで、富士市内でも屈指の眺望地が誕生しました。『北斎赤富士観望地』と名付け、東屋やベンチなども整備しました。現地は険しい地形ですので、樹木の伐採も東屋の設置も簡単な作業ではありませんが、各分野のプロとしてたしかな技術を持った仲間が協力してくれたことで実現できました。
名称に『北斎』と入れた理由は、葛飾北斎が描いた『冨嶽三十六景』の『凱風快晴』、いわゆる赤富士と、この展望台から見える富士山が酷似しているためです。『駿州大野新田』や『駿州片倉茶園ノ不二』など、北斎が描いた地がいくつもある富士市では2019年に『北斎サミット』を開催するなど、北斎を絡めた地域活性化に力を入れていて、我々もそこに貢献できればと考えています。 空気が澄んで富士山がよく見えるようになる9月以降、運営スタッフがガイドとして同行する形で、一般の方をこの展望台に案内する活動を始める予定です。これまでの撮影スポットでは見られない角度からの富士山ですので、写真好きの方には特に喜んでもらえるはずです。
今後もさらなるご活躍が続きそうですね。85歳にしてこれだけの活力が生み出せる金子さんの原動力はどこにあるのでしょうか?
元気の秘訣は?とよく聞かれますが、これまで特別に身体を鍛えてきたわけではないんです。しいていえば、昔からなるべく車を使わず歩くようには心がけてきました。
身体の健康については、やはり若い頃の行ないが後になって成績表として出てくると思います。一方で、心の健康を維持する上で大事なのは好奇心ですね。年齢を重ねても好奇心を失わなければ、いろんなことに取り組めます。身体だけが健康でも、散歩以外にやることがない毎日だと寂しいじゃないですか。散歩をするにしても、今日は少し遠くまで行ってみよう、いつもと違う道を歩いてみようという好奇心を持って、少しだけ難しいことに挑戦する意識が大切です。
あとはやはり、仲間の存在ですね。この農園も展望台も、私一人ではここまで作り上げることはできませんでした。85歳にもなると、同世代の友人の多くがすでに亡くなったり、施設や病院に入ったりしています。どうしても人付き合いが減ってしまいがちですが、私の場合はむしろ友人が増えてますよ(笑)。それはつまり、世代にとらわれず、自分よりも若い人たちと積極的につながる姿勢が重要だということです。
私は若い頃から読書が好きで、今もテレビはほとんど観ず、毎日2時間以上は活字を追っています。パソコンやスマホの操作はまったくできませんけどね(笑)。私の座右の銘の一つに、吉田兼好が『徒然草』で記した言葉があります。『されば人死を憎まば生を愛すべし存命の喜び日々に楽しまざらんや』。つまり、『人間は死を憎むのであれば、今生きていることを愛するべきである。生きている喜びを日々楽しまなくてどうするのか』という意味ですね。私も朝起きたらまず最初に、『ああ今日も生きていた、ありがとう』と感謝の気持ちを忘れないように心がけています。この先やりたいことをやれる時間が私にどのくらい残っているのかは分かりませんが、人生は『一日一生』です。与えられたその日一日を全生涯だと思って、楽しく精一杯生きていきたいですね。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Photography/Kohei Handa
金子 亘利
五つ星 松竹梅楽園 園主
1935(昭和10)年9月8日生まれ(85歳)
富士市出身・在住
(取材当時)
かねこ・のぶとし / 富士高校、静岡大学文理学部経済学科卒業後、スルガ銀行に入社。1972年に富士地区で初となる不動産鑑定士の資格を取得し、翌年退社。株式会社富士不動産鑑定事務所を開業し、裁判所関連の業務を請け負うなど、多忙な日々を送る。2005年に70歳で不動産鑑定業を廃業。2006年に取得した富士市南松野の土地を農園に改良し、2009年に『五つ星松竹梅楽園』を開園。たけのこや梅を中心に、季節の産物を栽培・収穫できる体験型プログラムを無料で提供している。2021年2月から敷地内に富士山を展望できるスペースを整備しており、『北斎赤富士観望地』として今秋より一般公開予定。趣味は読書・囲碁・旅行など。
五つ星松竹梅楽園 / 北斎赤富士観望地
利用は無料ですが、現地は個人所有地にて無断入園はできません。
駐車場の台数制限や接続道路の幅員が狭いこともあり、利用を希望される方は下記ガイドに事前電話連絡の上、日程などの打ち合わせが必要となります。
【ガイド】
藤本 TEL:0545-36-1001 携帯:090-9265-5713
岸本 TEL:0545-35-3930 携帯:090-4793-2967
【入園体験】
金子 TEL:0545-51-1757 FAX:0545-52-5200
取材を終えて 編集長の感想
年齢を重ねた人が元気に活動されているのを見ると、ついつい「お若いですね」などと紋切型の褒め言葉を言ってしまいますが、本当は“若い”にもいろんな意味があるはず。「体力・気力を維持し、昔と同じように活動し続けている」という意味での若さもあれば、「若者みたいな柔軟さで、毎日を新鮮に楽しんでいる」という意味での若さもあります。前者はご本人の若い頃との比較であり、後者は普遍的な“若者マインド”との比較です。どちらもすごいことですが、金子さんに特に感じたのは後者の“若さ”でした。
人間は「お金や財産」「技術や知恵」「地位や人間関係」という3つの資産を積み重ねながら生きているといいます。年をとって蓄積ができるとそれだけで十分生きていけるので、つい心が守りに入ってしまうのが常。でも金子さんは、過去に築いてきたものにこだわるよりも、それらを気前よく世に還元しながら、一日一日を晴れやかに生きる生き方がとても似合っているようです。
松竹梅楽園で仲間たちと楽しく会話しながら収穫に汗をかく金子さんの姿は「今を生きている」という感じで、とても幸せそうです。新たな友人と出会い、人間関係を楽しむことはまさに生涯青春。そういえば富士市のキャッチフレーズも「青春市民」でしたね。
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