人生100年の時代、「最期はどこで……」1
家族や自分の介護に直面する時、それは突然やってきます。「自分らしい居場所で自分らしく最期を迎える」を提唱するライターが、知っておくべき介護サービスや施設、利用するための手順について、自身の介護経験を交えながら連載します。
イベントから社会問題まで、街でいま起こっているできごとを伝えます
家族や自分の介護に直面する時、それは突然やってきます。「自分らしい居場所で自分らしく最期を迎える」を提唱するライターが、知っておくべき介護サービスや施設、利用するための手順について、自身の介護経験を交えながら連載します。
沼津の我入道地区は今でこそ住宅街へと姿を変えているが、以前は商店街として多くのお店で賑わっていた。商店街のほとんどのお店が姿を消すなか、家族で肌着やエプロンを商っていた一軒の洋品店が『Fashion Plaza SERIZAWA』として、今もなお引き継がれている。
ある日、読者からのメールが編集部に届いた。「北松野にある、はたご池を紹介しては?」とあり、編集長と協議の上、出かけることにした。自然池のある緑豊かな公園には、胸に染み入る伝説が残っていた。
ピーヒョロロ、ピーヒョロロ、ピーヒョロロ~♪ 空高く、トンビが大きな羽を広げながら私を呼んでいる。「さぁ、そろそろ登っておいでよ。前回の足跡が残っているうちに」と。彼(彼女)らの誘いを受け、意を決して小鷲頭山~鷲頭山~大平山の登山に挑んだ。
森に囲まれ、遠景に電柱や住宅などの人工物がなく、雄大な富士山とひな壇状の茶畑が仰げる富士市の大淵笹場。全国的に知られるこのビュースポットで『おおぶちお茶まつり』が開かれたので訪ねた。
ホッとひと息つきたいとき、私は仕事部屋から山をぼーっと眺める。象が伏せているような形の山、『象山』と呼ばれ親しまれている徳倉山(とくらやま)が目の前に見えるのだ。山は四季折々の表情で私たちの心を癒してくれる。
去る2月23日、富士市に誕生した『富士川かりがね橋』完成記念お披露目会が開かれた。当日は生憎の冷雨模様ながら、多くの参加者と一緒に往復約2.4kmの車・歩道を歩いた。3月9日に開通したため、この記事が掲載される頃には車が走り、もう人は車道を歩けない。その意味でひと時の貴重なお散歩タイムになった。
春の声を聞き、寒さで凝り固まった心身をほぐしに散歩に出かけよう!とスマホで検索すると目に飛び込んできたのは、吉原商店街×Art『百花繚乱春至為誰開』。なんとも春の散歩にぴったりではないか。ということで、ふらり富士市の吉原商店街へ。
沼津御用邸記念公園の西側、牛臥山(うしぶせやま)公園小浜海岸。真冬の極寒の海から、男衆の勇ましい熱い声が聞こえてくる。新しい年を迎えて間もない1月14日、大昔から続く伝統行事の『第23回海中みそぎ(みそぎ祭り)』が行なわれていた。
戦国時代の天下人・織田信長公が命を落とした本能寺の変は、日本の歴史上、最大級のミステリーのひとつだ。自害した信長公の首のゆくえは、いまもって謎めいているが、富士宮市西山の西山本門寺に伝説の首塚があることから、冬空の美しい2月上旬に同地を訪ねた。