Vol. 145|作家・ITライター 大村 あつし
未来読み
コンピューターシステムの解説書と感動長編小説、その両方でベストセラーを生み出す人物が富士市を拠点に活動している。意外な組み合わせともいえる両分野の最前線で活躍する大村あつしさんの作品を通じて感じるのは、論理的な展開と情緒的な描写が高い次元で並存した、「伝える」という才能。そして30年前にはパソコンやインターネットの普及を、そして現在はAI(人工知能)の進化をいち早く予測し、社会への啓発を行う卓越した先見性だ。それに加えて逆境を何度も乗り越えてきた地道な努力家とくれば、彼の仕事に対する高評価もなんら不思議ではない。
IT(情報技術)に疎い人も、小説は読まないという人も、このインタビューで大村さんが語る言葉の中に散りばめられた前向きなエネルギーに、ぜひ触れてほしい。
大村さんの肩書を拝見して、新鮮な驚きがありました。一般的にはITの専門家と小説家というのは相反する存在のようにも思えるのですが。
ITライターをやっていると、いかにも理系出身だと思われがちですが、大学は人文学部出身ですし、根っからの文系なんです。幼い頃から読書が好きで、小学生の頃は『怪人二十面相』シリーズを、中学以降は江戸川乱歩や松本清張を読み漁っていましたし、高校2年生で星新一の作品に出会ってからは、自分でも短編小説を書くようになりました。おぼろげながらも作家を目指していたその頃の読書量や語彙の蓄積は、ライターや作家として生きていく上での基礎になっています。
コンピューターに初めて触れたのは、大学卒業後に就職した会社で情報システム部の配属になった時です。僕が就職した1988 年当時、まだ個人で所有するパーソナルコンピューター、つまりパソコンは一般的ではなく、特に企業の事務処理ではより大型で高価なオフィスコンピューターを使っていて、僕は生産工程管理のプログラミングを担当しました。キーボードの配置も知らない初心者でしたが、プログラム言語を使って自分が指示した通りにコンピューターが動くことが面白くて、どんどんのめり込んでいきました。僕は長男で、地元にいてほしいという両親の意向もあって転勤のない富士市内の本社勤務を希望したことで、結果的にプログラミングの世界に出会えたのは本当にラッキーでした。
その後26歳にしてソフトウェア制作会社を自ら立ち上げたのですね。独立してからは順調でしたか?
入社から4年後に独立したのですが、会社や仕事が嫌いで辞めたわけではありません。在職中の数年でコンピューターを取り巻く環境が劇的に変化していて、個人のパソコンでも簡単にプログラミングができる時代が来ることを確信していましたし、大きな会社にいては逆にそのスピードに乗り遅れてしまうと思ったからです。また、毎日同じ仕事を繰り返すことが苦手で、常に何か新しいことに挑戦していないと生きている実感がないというか、自分の創造力を思う存分発揮したいという気持ちもありました。
とはいえ、独立してからの数年間はこれまでの人生で一番辛い時期でした。今でこそ、若手ベンチャー起業家がもてはやされる時代ですが、当時は20代で会社を辞めるなんて、『人並みの勤めもできない根性のない奴』としか見られませんでした。信じられないような話ですが、ある時、自作ソフトウェアの提案で訪れた会社で名刺を渡すと、「君、あと何枚名刺持ってる?」と聞かれて、持っていた残りの3枚を渡すと、目の前でその名刺を全部破られたんです。悔しくて悔しくて、当時はただ若いというだけで自分の能力やアイデアを全否定する社会に対する反骨心が強かったですね。ただ、自分の進む道に間違いはないという自信は揺らぎませんでした。パソコンはもちろん、その後のインターネットの普及も含めて、IT環境は僕の予想通りに動いていましたし、いいものを作っていればいつか理解してもらえるはずだという一念で、日々戦っていました。
潮目が変わってきたのはいつ頃からですか?
マイクロソフト社の表計算ソフト『Excel(エクセル)』のVBAというマクロ言語を使った販売管理システムを作り上げたことが節目になりました。マクロ言語というのは簡単にいうと、パソコン上のさまざまな処理を自動化するための設定に使うプログラムの一種ですが、これによって、売上や入金の管理が個人のパソコンで手軽にできるようになるわけです。まさにその頃、社会現象にもなった同社の基本ソフト『Windows(ウィンドウズ)95』の発売を受けて、パソコンの普及が世界的に進んだことも追い風になりました。このVBAのノウハウを紹介する本を約8ヵ月かけて書き上げて、30歳でITライターとしてデビューしました。プログラミングの解説書といえば英語で書かれたものや難解なものばかりだった当時、丁寧で分かりやすいという評価をいただいて、その後現在までにIT関連の解説書を約50冊出版しています。
ITも人も、成長するから面白い
それだけの成功を収めていながら、なぜ小説家という道に進むことになったのですか?
30代の半ばまではITの仕事が楽しくて、夢中で邁進していましたが、事業が順調に大きくなる一方で、会社経営上のさまざまなトラブルに見舞われたこともあり、もう一度個人として取り組める活動に戻って人生を見直そうと思うようになりました。そこで心に浮かんだのが、幼い頃から慣れ親しんだ小説だったんです。すでに36歳でしたが、松本清張が小説家としてデビューしたのは42歳で、それと比べたら若いじゃないかと、楽観的に捉えました。ITライターと小説家は同じ文筆業でもまったく別の世界で、IT関連本を何十万部も売ってきた僕も、小説家としては無名の存在です。とりあえず3年間だけ本気で頑張ってみようと、上京しました。
良い作品を書くことはもちろんですが、本を出すためには小説を出版できる会社の編集者に知ってもらう必要があります。そこで僕は、有名作家の本が出る時に出版社が開催する出版記念パーティーに目をつけました。基本的には会費を払えば誰でも会場に入れるので、そこで一人でも多くの編集者とひたすら名刺交換をするんです。当時はまだ作家でもないのに、『作家・大村あつし』という名刺を作って、配りまくりました。名刺交換をした編集者にお礼のメールを送って、そこで運良く返事がもらえたら、『もしよろしければ、私の書いた作品をお読みいただけると光栄です』という感じで、原稿を送るんです。その段階でもう99パーセント、返事は来ないんですけどね(笑)。それでも自分で決めた3年間は絶対に諦めないと心に決めて、東京での孤独な生活と返事の来ない虚しさに耐えながらメールを送り続けました。
そして忘れもしない3年目の年末、これでダメだったら年明け後に富士に帰ろうと思っていた最後のチャンスで、ある出版社の取締役で編集局長という立場の方から、『読みました。素晴らしい作品です。涙が止まりませんでした。ぜひ出版しましょう!』という返事が届いたんです。それが20万部のベストセラーとなった小説家としてのデビュー作『エブリ リトル シング』でした。この作品は計6話のストーリーがそれぞれに絡み合いながら展開していく連作短編小説で、 将来の夢や自らの存在意義を追い求めながら苦悩し、成長していく登場人物たちの姿には、僕自身の経験や思いが少なからず反映されています。
困難な状況の中から夢を実現させていく、その力の源泉はどこにあるのでしょう?
『エブリ リトル シング』の登場人物のセリフにも使った言葉ですが、夢というのは透明なものではないと思うんです。透明なものだと考えるから、はっきりと見えなくて、不安になって、みんな途中で諦めてしまうんです。僕の感覚では透明な夢なんて、夢ではありません。きちんと計画性を持って努力している人には、夢は実体のあるものとしてはっきり見えているはずです。あとはそこに向かって一歩ずつ歩いていくだけ。目の前で名刺を破られた時も、返事の来ないメールを送り続けていた時も、悔しさや不安はもちろん感じましたが、その先に自分が成功しているイメージは明白に持っていました。また逆に、どうして自分はこんなに不安なんだろうと考えた時、それは未来が見えないからだと思ったんです。じゃあ何もかも見通せる安定しきった人生だったらいいのかと自分に尋ねてみると、不安はないけど夢もない、伸びしろもない、そんな人生なんてまっぴらごめんだと、その気持ちだけで必死に頑張ってきたという感じです。
僕はどんなに辛くても人生に無駄な経験などないと思っていますし、今この瞬間が自分の人生で一番若いんだと考えるようにしています。そういう人間が書く小説ですので、僕の作品の根底にあるのは、心のサプリメントとでもいうような、成長過程にある人の背中をグッと押す力、自ら前に進もうとする人へのエールだと思います。
そして最新作の『マルチナ、永遠のAI。』は、AIや仮想通貨などIT分野の最先端に触れる解説書でありながらも、登場人物たちの細やかな心情変化や人間味に満ちた感動的な物語として見事に融合していますね。
ITの専門家として、AIの進歩による社会への影響や課題について、なるべく分かりやすい言葉で多くの人に伝えなければという問題意識は、以前から強く感じていました。ただ、ITの解説書なら数ヵ月で書けますが、小説として仕上げるには本当に緻密な構成が重要で、この作品の完成までには2年もかかりました。AIが将棋でプロ棋士に勝ったとか、自動車の自動運転が実用化したというニュースはなんとなく耳にしていても、多くの人はそれ以上の関心を持ちません。しかしAIの進化は人間にとって決して他人事ではありません。今ある多くの職業が近い将来AIによって淘汰されていくのは確実ですし、逆にいえば、今からAIへの理解を深めておくことで、否応なくAI時代を生きることになる子どもたちに対して、教育面でも有効な支援ができるのです。
その一方で、この作品はAIが持つ『心』に焦点を当てた物語でもあります。そもそもAIに心など存在するのかという疑問も当然あるかと思います。作品の中でも登場人物が『心なんていうのはしょせん脳内を飛び交っている信号に過ぎない』、『いや、心っていうのはソウル、魂なんだ』と言い争う場面がありますが、人間の男女と美人AI・マルチナの間で交わされるやり取りや彼らがたどり着く結末を通じて、心とは何なのか、そして『永遠のAI(とわの愛)』の形について、何かを感じ取ってもらえたら嬉しいです。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
大村 あつし
作家・ITライター
1966(昭和41)年3月13日生まれ
富士市出身・在住
(取材当時)
岩松中、富士高校、静岡大学人文学部経済学科を卒業後、富士市内の大手製造会社に入社。情報システム部の配属となる。4年間の勤務を経て1992年に独立し、ソフトウェア制作会社を設立。1996年『Excel95で作る VBAアプリケーション 〜VBAで作る販売管理システム〜』(エーアイ出版)でITライターとしてデビュー。これまでにIT関連書籍の出版は約50冊、総発行部数は150万部を超える。2007年に『エブリ リトル シング 〜人生を変える6つの物語〜』(ゴマブックス)で小説家に転身し、20万部のベストセラーに。海外での翻訳出版や二度にわたる舞台化(2008年・井上和香主演/紀伊国屋サザンシアター、2009年・内山理名主演/銀河劇場)が実現するなど、大きな反響を呼んだ。富士市・富士宮市を舞台のモデルとして描いた最新作『マルチナ、永遠のAI。—AIと仮想通貨時代をどう生きるか』(ダイヤモンド社)では、AI(人工知能)や仮想通貨、ブロックチェーンなど超AI時代のキーワードを易しく解説しながらも、感動的なストーリー展開へと導かれていく新感覚のビジネスエンターテイメント小説として好評を博している。
公式ウェブサイト https://fushicho.com
作品
マルチナ、永遠のAI。
AIと仮想通貨時代をどう生きるか
定価:1,400円+税
ダイヤモンド社 (2018年)
時は、東京オリンピックの喧騒が去った2020年。
岩科正真は、実家の定食屋の再建を、超美人AI『マルチナ』に託す決心をする。
正真は、再会した沙羅に惹かれるが、彼女には重大な秘密があった。
それを知った正真は、マルチナも愛してしまう。
ヒトとAIの奇妙な三角関係。
やがて、正真たちは巨悪な陰謀に巻き込まれていく。
彼らは、緻密に計算された策略を暴くことができるのか?
そんな彼らがたどり着く先は?
そして、マルチナに芽生えた「なにか」は、プログラムなのか?
あなたはきっと 最後の1行に涙する。
エブリ リトル シング
人生を変える6つの物語
定価:1,200円+税
ゴマブックス (2007年)
いつもの作業を自動化したい人の
Excel VBA 1冊目の本
定価:2,040円+税
技術評論社 (2017年)
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
今回の取材にあたり大村さんの作品を読ませていただきましたが、考えてみれば長編小説というものに触れたのは実に10年ぶりです。活字離れはしていないつもりでも、読むのは新聞やビジネス書のようなノンフィクションばかり。いつの間にか「物語」というものから疎遠になってしまっていた気がします。
大村さんの書く物語には、誰もが共感できるような普遍性があります。人間の心の琴線の在処を分かっている、といってもいいかもしれません。『マルチナ、永遠のAI』も『エブリ リトル シング』も、簡潔な語り口と飽きさせない展開のなかに、生きること、夢を持つことへの深い肯定感が込められている素敵な小説です。
大村さんのもうひとつの魅力は、未来を読む力。『マルチナ』は、物語という表現手法を使ったITの最新トレンド解説書でもあります。綿密なリサーチに基づき、かつて世に先駆けてパソコン時代の到来を予測した大村さんならではのビジョンを通して描かれる未来のAI社会は、小説の形をとることによってグッと身近に感じられます。ましてやその舞台は富士なんですから、これはもう富士地域住民の必読書です。
今月号では助産師・堀田久美さんのコラムもはじめました。こちらは女性だけでなく、妻と家族を愛するすべての男性にも読んでほしい企画です。不定期連載ですが次回をお楽しみに。
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