Vol. 146|造形作家 あしざわ まさひと
いつもへんなものを作っているあの人
犬やマグロ、シーラカンスやトリケラトプスと楽しそうにお散歩する子どもたち。シロクマやシカ、トラやカエルのお面をかぶり、笑顔で写真を撮りあう大人たち。そしてちょっと離れた場所からその様子を眺め満足そうに微笑んでいるのが、造形作家のあしざわまさひとさんだ。富士で生まれ育ち、絵画造形教室『アトリエパセリ』の代表を務めながら、精力的に作品を生み出している。
いい意味での「鈍感力」を武器に、常に明るく前向きに取り組んでいくあしざわさんの作品だからこそ、笑顔の連鎖が生まれるのだろう。常識から半歩踏み出した発想力と創造力の源にあるもの、それは「作りたい!」という熱い想いと自分の作品への深い愛情。あしざわさんの作品に触れることによって子どもたちが感じる何かは、大人になってからも心の中できらめき続けることだろう。
制作活動をしながら絵画造形教室『アトリエパセリ』の代表も務めていらっしゃいますね。
教室は今年で20周年になります。大学を出て1年ほど東京で活動していましたが、富士に戻ることになり、美術教室の富士美術研究所(以下、富士美研)で勉強しながらアルバイトもしつつ、 実家の物置を改装して始めました。最初の3年くらいは深夜のアルバイトの後、仮眠をとって昼間は大人の教室、少し寝て夕方は子どもの教室という感じでした。その時もずっと制作活動をしていましたが、教室が安定してきたのでアルバイトは辞めました。
僕の作品を見てここへ通い始める方もいますが、通っているお子さんのお母さんたちの口コミで広がっている感じです。子どもたちと楽しく活動していることが実を結んでいるんですね。妻も日本画をやっていて、学生時代から教室の手伝いに来ていました。僕も妻も、いい意味で鈍いのかな。よく考える人は気がついてしまうんですよね、『この先、食べていけない』とか。うちは二人とも『まぁ、大丈夫だよ』って(笑)。考えることはとても大切ですが、僕らはたぶん将来のことではなく、今作っているものを良くするにはどうしようとか、教室を楽しくするにはどうしようっていうことが先で、その後のことを考えてこなかったんです。それでいいと思えてしまう『いい加減さ』がここまでやってこられた理由の一つかもしれません。
どのような経緯で美術を志すようになったのですか?
絵を描いたり、粘土で遊ぶのがとても好きな子どもでした。姉と兄がいるのですが、4歳上の兄の影響で写真が好きになり、高校では写真部で作品を撮って発表したり、印画紙に絵を描いて加工したりしていました。習い事はしたことがなかったんですが、大学進学を考えた時に、どうせ勉強するなら楽しい勉強をしたいと思ったんです。そんな時に富士美研のことを知りました。受験勉強としての美術はとても厳しくて嫌になることもありましたよ。同級生はもっと前から勉強していて上手でしたし。描けなくて落ち込むこともありましたが、自分で選んだ道なので辞めようとは思いませんでした。あまり深く考えずに、今できることをやる。とにかく描くしかない。描かなきゃ上手くならないなって。単純ですね(笑)。
富士美研では、現在『ふじ・紙のアートミュージアム』館長の漆畑勇司(うるしばた ゆうじ)先生に師事して、作品の搬入・搬出や教室の手伝いなどもさせていただき、とても勉強になりました。こういうことをするのが『ものを創る人』なんだって。美術をやっていて、自分をダメだなと思うこともありましたよ。色彩や発想など、感覚のいい人はたくさんいます。技術は真似できますし、ある程度はうまく描けます。でも、感覚のいい人と出会うと、自分にはないものがはっきりわかるんです。それでも自分にもできそうなものがあるんだろうなって。何の自信もありませんでしたが(笑)。
二十歳くらいの時に、自分にはどんなことができるのかって考えたんです。頭の中の革命です。何を見ても、自分の作品・自分のおもしろいことにすると意識して生きていくつもりで今もやっています。ちょっと違った、うがった視点で物事を考える着眼点が僕の持ち味だと思ったので、そこを極端に表現していけばいいのかな、と。例えば、家電コーナーでジューサーがふと目に入ったら、そのフォルムが人間の鼻にしか見えなくなって、生まれたのが『鼻血ジューサー』という作品なんです。
あしざわさんにとって、芸術とは「既成概念から自由になろうよ」ということなんでしょうね。
垣根がないのが芸術の良いところかもしれませんが、僕なりにこういう作品がアートだなっていうものがあるんです。常識がわかっていないと非常識なことはできないので、常識の中にいながら半歩足を出しているような感じです。そういう作風なんですね。半歩はみ出したところが常識になってきた時には、そこからさらに半歩ズレていこうという意識はあるかもしれません。だから、作ったものを見てもらって、その反応から気づかされることがあります。自分自身の中で完結はしていても、第三者に見てもらうことによって違う面が出てくる。作品に社会性みたいなものが必要なんでしょうね。僕はもともと絵を描いて満足してしまうタイプですが、作品のためにも、そして僕自身が成長するためにも、作品を発表して人に見てもらわなければいけないと思っています。
「おもしろい」はいいことだ!!
アートに限らず、東京への一極集中は解体の方向にありますね。中央の人が地方のおもしろいものを探している時代。昔とは逆ですね。
地元の人たちに触れられるとか、よく目にするとか、作っている限りはどこであろうと作品を出していった方がいいと思います。僕の名前を憶えてもらうより、『動物、引っ張ったよ!』とか『ヘンなマスクかぶったよ!』って、子どもたちに言ってもらった方が100倍いいんですよ。彼らが大人になった時に、『子どもの頃さ、シーラカンス引っ張ったんだよね!』なんてどこかの飲み屋で話していたら面白いでしょ(笑)。教科書に載るとか、名前が世に知れ渡るとかじゃなくても、作品を知っている人が広がっていくっていうのが僕のやり方なのかもしれません。地元を意識してきたわけではないけれど、声をかけていただけるので、できる範囲で参加させていただいています。
美術館も大好きなんですが、子どもたちは美術館で静かに作品を鑑賞するのが難しいですよね。僕の作品はもともと敷居も高くないので、格式張ることもないのかなって。だから、作品の方からみんなのところへ会いに行ってもいいと思ったんです。公園やイベントへ行くのを好まないアーティストもいらっしゃいますが、僕は作品を見てもらうという事実の方が強いと思います。『今、歌いたいからここで路上ライブする』って感じかな(笑)。作品を引っ張ってみたら楽しかったから、公園のイベントに持って行ってもいいかなって。そのくらいにしか考えてはいないのですが、確実に作品を作って発表できています。最近は県内のあちらこちらから声をかけてもらっています。
イベントの会場では、楽しんでいる人たちも作品の一部に組み込まれているような感じですね。これからどんな作品が生まれてくるのでしょうか。
まるでキャストになっていますね。『場がアート』っていう考え方があってもいいと思うんです。僕は客観的に見ているだけで。今、僕の作品には3系統あるんです。頭から湯気が出てご飯が炊ける『ライスボーイ』や鼻からジュースが出てくる『鼻血ジューサー』のように、人間の形に機械を組みこんだ食べ物系は、作品から出てきたものを食べてもらって、『うわぁ、これ、気持ち悪いけど美味しい』という感じで違和感を楽しむ作品です。
『おさんぽ犬』は、僕が25歳くらいの時に富士本町で開催されたイベントのために、動くものを作ろうと思ったのが始まりです。自律して動くのではなく、誰かの手で運んでもらうイメージで。それが犬のイメージとつながったんです。 この時にいい反応をいただいたので、食べること以外にも連れまわすということで作品が人と触れ合えるのだと感じました。作品の展示場所が移動するんですよ、ふつう展示場所は決まっているのに。こういうのもおもしろいと思ったんです。町なかで遊ぶこともできるって。このシリーズでいろいろ作っているうちに、和紙の丈夫さ、軽さにひかれてマスクを作り、『変身マスク』が生まれました。
そして、最近増えてきたのが縫い物系です。家に捨てようと思っていたソファーがあったんですが、くつろいでいる時に、ふと『ソファーに食べられているような気がする』と感じたので、それを作品にしたらどうなるかなと。これが『たべられるイス』になりました。このシリーズの素材は布で、触り心地の良い未知の生きものです。今はこの3系統ですが、素材や表現方法、展示や体験の仕方など、ちょっと違うアプローチのものを増やしていきたいです。新しいものを生み出したいといつも思ってはいますが、いつどんなふうに思いつくのか、きっかけはわかりません。いつも準備だけはしているんですよ。
地元でこんなに身近にアート作品に触れられるのは、子どもたちにもいい影響があるのではないでしょうか。
今も昔もいろいろな子がいますが、最近は子どもたちが頭の中で何かをイメージする機会が減っているように思います。親の目がよく行き届いているというか、手を出しすぎてしまうことも影響しているかもしれませんね。ものを作る時にはものすごく頭を使って考えますし、いろんな経験を積み重ねていないとイメージができないんです。
最近は『作品を触ってもいい、遊んでもいい』とすると、『壊してもいい』と勘違いしてしまう子もいるんです。作った人がいるとか、この後まだ楽しみたい人がいるとはイメージしないんですね。アートにはイメージする力が大切ですが、コミュニケーションにも相手の気持ちをイメージすることが重要だと思うんです。例えばイベントで、『おさんぽ犬』を連れて何回かまわっている子が、待っている子に気づいて自然に譲り合いになっていくこともあるんです。僕の頭の中のイメージが形になって、その形になったものが他の人の心の中で何か違うイメージになっていくのは、すごく良い作品の連鎖だと思います。有名な美術館ではなく、身近なところでそんな機会を作ることができるっていうのが、今の僕の居場所だし、そこに価値があると思っています。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text/Kazumi Kawashima
Cover Photo/Kohei Handa
あしざわ まさひと
造形作家・絵画造形教室『アトリエパセリ』代表
1973年(昭和48年)6月1日生まれ
富士市出身・在住
(取材当時)
岳陽中、富士東高校、武蔵野美術大学短期大学部専攻科美術専攻卒。1999年、絵画造形教室『アトリエパセリ』を開設。地元のイベントに『おさんぽ犬』や『変身マスク』など、触って楽しめる作品の数々を出展するほか、『富士山こどもの国』などでワークショップを開催したり、イオンタウン富士南で『あそびの学校』の講師を務めるなど、地元を中心に活躍している。『おさんぽ犬』のシリーズは、富士市教育プラザや富士市民活動センターコミュニティfをはじめ、県内の施設や店舗で常設展示されており、触れ合えるアートとして好評を得ている。『アトリエパセリ』では現在、5歳~70代の生徒約100人が、児童コース、絵画コース、一般コースで学んでいる。
アトリエパセリ
富士市石坂186-8
TEL 0545-51-1181
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
お名前は知らなくても、表紙を飾る動物たちを見てピンと来た人も多いかと思います。そうです。あちこちのイベント会場で見かける、あの不思議な物体をつくっている人です。
手元にあしざわさんの名刺があります。ご本人の写真は頭が炊飯ジャーになっていて、パカッと開いてほかほかの湯気が出ています。どう見ても相当変なおじさんです。肩書には「アーティスト」でも「造形作家」でもなく「なんかよくわからんものをつくるひと」とあります。あまりに言い得て妙なのでちょっとアレンジして、今回の記事タイトルにお借りしました。
美術作品における「制作者」と「鑑賞者」はそれぞれが独立した存在で、作り手は作りたいものを勝手に作るし、見る側は自由に解釈する。造形アートとは本来そういうものかもしれません。でもあしざわさんの作品は、作る人と見る人の間のコミュニケーション的要素が強い。相手に沸き起こる「なんかよくわからんけど面白い感覚」までが作品の一部に含まれてるように思います。たぶん「ああ、脳みそからごはんが出てきたら可笑しい。この可笑しさをみんなと分かち合いたい」なんて日々考えながらつくっているのでしょう。そして見る側は「ああ、こんな変なものをつくる人はいったい何を考えているんだろう」と想像し、つい笑顔になってしまうのです。
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