Vol. 194|美術家 伊藤 千史
ねこおちる世界
富士宮市を拠点に活動する美術家であり墨汁画家の伊藤千史さんが墨で描く世界は、私たちが墨絵と聞いて思い浮かべる伝統的な水墨画とは違い、どこまでも自由だ。たしかな画力を持って、迷いなく引かれた線。自らの意思を持つかのようなキャラクターたち。彼女の絵には、勢いと、奥深さと、絶妙なユーモアが同居している。
インタビューを進めるうち、幅広い表現力や、時に哲学的ともいえるテーマ設定の源は、伊藤さんいわく「飽きっぽく」「面倒くさがり」なところにあるのではと気づいた。「飽きてしまう」からこそ、絵画や立体作品、展示空間そのものを作品として表現するインスタレーションまで、異なる分野に挑戦でき、「面倒くさい」から、不必要なものはそぎ落とし、伝えたい本質だけをまっすぐに鑑賞者に届けることができるのだ。百聞は一見に如かず、伊藤千史ワールドをご堪能あれ。
墨絵の力強い線で描かれる侍や猫に、独特の可笑しみがありますね。
特に笑わせようとしてはいないのですが、面白がってもらえると嬉しいですね。よく登場する侍は、人の体の動きを表現してみたかったので裸にして、それならふんどしをはかせてみるか、じゃあ頭はちょんまげかな……と、描くうちに偶然生まれたキャラクターです。
これまで使ってきたさまざまな画材の中でしっくりきたのが、細筆と墨汁の組み合わせ。書道の経験があり、筆に慣れているのも影響しています。いちいち墨を磨っていては描く量に追いつかないので墨汁を使っていますが、水墨画家や書家の方からすると邪道かもしれませんね(笑)。
絵を描くのは子どもの頃から好きで、当時惹かれたのは絵画よりも漫画。恋愛ものの少女漫画と、戦いが主軸の少年漫画の中間、少し硬派で厚みのある話が好きでした。中高時代には友人と一緒に冊子を作ったり、高校では漫画研究会の会長を務めたりしたものの、人の心を掴むストーリーを作る自信はありませんした。緻密に背景を描き込む作業も大変に思えて、徐々に自分は漫画家には向いてないと感じるようになりました。
漫研の先輩に進路相談をする中で女子美術短期大学を志望して、進学後は仕事にもつながりやすいということで、グラフィックデザインを専攻したんです。卒業してデザイン事務所に就職した後も、多忙な仕事の合間を縫って自分の作品づくりをしながら、発表の場としてグループ展にも何度か参加しました。
昨年は『ねこおち』という書籍も出されていますね。
2011年からSNSに投稿していた膨大な絵の中から、16編を選んでまとめたものです。20年くらい前の30代半ば当時、体調がすぐれずまともに仕事もできない状態でしたが、絵を描くことは楽しくて、好きな時に描いていました。でも、たくさん描いて溜まってくると邪魔になるから捨てる、その繰り返しにだんだんと嫌気がさしてきました。
そんな話を学生時代の友人にしたところ、「せっかく描いたんだから、捨てないでうちに送ってくれば?」と提案されたんです。その後は、当時住んでいた札幌から彼女がいる沖縄に、描いた絵を送るようになりました。絵を辞めることなく『ねこおち』を世に出せたのは、いってみれば彼女のおかげなんです。でも、送り続けた絵がある時ついに衣装ケース丸々ひとつ分になったことを知り、さすがに申し訳なくなって送るのはやめました(笑)。
SNSを始めてからはフォロワーさんとのやり取りを楽しみつつ、一日に8〜12枚ほど投稿するようになりました。これまでのお礼がてら、沖縄の友人が好きな猫の絵を描いて投稿した時には、フォロワーさんが増えまして。猫人気に驚かされましたね。
2008年に富士宮に戻ってきて、地元で絵を描き溜めていたところ、静岡市にあるギャラリーの方から声をかけていただき、展示することになりました。そのご縁から書籍の出版にまでつなげていただいたという経緯です。
(『ねこおち』より。見開きページ右下の絵はパラパラ漫画として楽しめる仕掛けになっている。)
毎日描いていると、アイデアがすんなり出てこない日ももちろんあるんですけど、まずはとにかく手を動かします。うまくいくかどうかは邪念が入る度合いによって左右されます。結果的にいい絵が描けるのは、ああしようこうしようと考えすぎない“雑念の一段階上の状態”とでもいいますか。極端にいうと、頭で考えているのとは逆の方向に筆が自然に向かう、だけどそれがいいということもあるんです。
『ねこおち』はストーリーありきで描いてはいませんが、ひとつキャラクターが生まれると、次はこう動いてこんなことをしそうだな、と話の展開がつながっていく感覚もありますね。
地域のアートフェスなどにも参加されていますね。
地元に戻ってきて4〜5年経った頃、富士宮市内の公共施設を巡るバスツアーに参加して、開館したばかりの富士山環境交流プラザを訪れました。ギャラリースペースがとてもいい雰囲気で、しかも東京と比べると利用料が手頃な価格であることを知ったんです。まずはここで個展をしようと決めて、せっかくなら地元の人が喜ぶものにしようと、『富士宮まつり』をテーマにしました。もともと勇壮で荒々しい感じが好きなので、描いていて気持ちがよかったです。
こんな画風なので、男性が描いた作品だとよく間違われるんですよ。初めての個展の様子は地元紙にも掲載されて、祭りに熱を入れている方々からも反響がありましたね。さらに富士宮にあるギャラリーのオーナーさんともご縁ができ、この個展が地元での活動の足掛かりになりました。それ以降、祭りにまつわる屏風絵の注文をいただいたり、地元の商店や企業の何ヵ所かで私の絵を常設展示していただいたり。
富士宮の商店街を舞台に毎年開催される『まちなかアートギャラリー』で、呉服屋さんが展示場所になった時は、「私にはふんどしおじさんがいる!」とピンときて、持ちネタならぬ、持ちキャラクターのふんどしをつけた裸のおじさんを展示することにしました。裸のおじさんの大きな絵にサラシを巻いてふんどしにしたんです。後日、そのふんどしおじさんにご指名が入り静岡市内で個展をしましたが、それはあくまでギャラリーさんの希望であって、私から「ふんどしをやらせてください」と言ったのではないことを強調しておきます(笑)。とはいえ、不織布を使って“赤ふん”にしたり、アルミシートで“銀ふん”をつけたりと、かなり遊んでしまいましたが……(笑)。
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