60代ライターの散歩道【富士山しらす街道と万葉歌】

田子の浦港のしらす丼

お出かけレポート

散歩と昼食を兼ねて、12月上旬に田子の浦港から西へと続く『富士山しらす街道』へほんの小さな旅に出た。お目当ては富士市の特産品のひとつ・田子の浦しらすだ。のんきに街道を歩き、鮮度抜群の逸品を田子の浦港漁協食堂で食べ、釡揚げしらすを土産に買った。

海を見ながら新鮮なしらすをセリ場のテーブルでほおばる!

冬化粧した霊峰富士がきれいに望める田子の浦港は、富士市にある臨海工業地帯の拠点だ。その一方で、湾岸にはたくさんの漁船が停泊していて、漁業で生計を立てる人々の港でもある。雄大な富士山と、製紙工場の紅白の煙突と、ほのかな潮の香がする漁村が一体化した田子の浦港は、富士市の一種独特な風物だろう。富士山しらす街道はその田子の浦港から富士川方面へ、3キロほど続く街道の愛称で、沿道には富士市特産のしらす等を販売する店が点在している。買い物ができ、食事もできる田子の浦港漁協食堂がある倉庫の壁面には、でかでかと富士山しらす街道の文字がおどり、その左手に野立て看板風のマップがあった。散歩の道標にしようと、マップを撮ってから歩き出した。

田子の浦漁港

富士山と漁船と煙突と

しらす街道マップ

富士山しらす街道マップ

 

ところで、しらすとは何か?初めて知ったのだが、大きさは2センチまでと決められていて、生まれてから1〜2ヵ月ぐらいのイワシの稚魚がしらすなのだそうだ。栄養価の高いイワシだが、その反面、足がはやく、つまり傷みやすいことから、新鮮なうちに適切な処理を施す必要がある。田子の浦しらすは一艘の漁船で網をたぐる“一艘曳き”が特長で、この漁法は短時間にしらすを傷めずに水揚げすることができ、しかも漁場が近場ですばやく氷締めするため、うぶさが抜群なのだそうだ。

さて、初めて歩いた富士山しらす街道にはこの日、観光客でにぎわう騒々しさはなかった。早い話、飾り気のない田舎道で、とぼとぼ歩道を行くと、しらす等を扱う網元直送などの店がふいに現れる。商売っ気がなく、なんだかほっとさせられた。漁期にもよるが、生しらす、釡揚げしらす、桜エビ、魚の開き、黒はんぺんなどの練り物がその場で買え、食べられる店もある。個人的には白くてやわらかな釡揚げしらすを、めし茶碗にこんもりと山盛り一杯、ぜいたくに盛って食べるのが好きだ。もちろん、つるりとした舌ざわりとほんのり甘い生しらすも大好物なのだが。

その釡揚げしらすと生しらすを、同時に味わえるメニューが田子の浦港漁協食堂にあると聞き、昼飯時に立ち寄った。やわらかな釡揚げしらすと、ぷりぷりの生しらすが半分ずつ入った「ハーフ丼」の食券を購入し、醤油をたらしてからご飯と一緒にセリ場のテーブルでほおばった。普段、魚の競りが開かれるセリ場で、海を見ながら食べる雰囲気は格別だった。田子の浦港漁協食堂の営業は例年3月22日から12月28日までだそうだが、例えば「富士山しらす街道食事ができる店」とスマホで検索すれば、同期間以外にも食事ができる近くの店が見つかるだろう。食後はしらすを育む駿河湾へと歩いた。

田子の浦港のしらす丼

セリ場で味わったしらすのハーフ丼

田子の浦みなと公園

田子の浦みなと公園の万葉歌碑

 

食堂を出て南へてくてく行くと、広々した田子の浦みなと公園があり、そこに奈良時代の歌人・山部赤人が詠んだ『富士山を望む歌』の石碑があった。政府の役人だった赤人がこの地を訪れた際、あまりに美しい富士の高嶺に鼓舞されて、百人一首でも有名な万葉歌を詠んだそうだ。冬日がかげろうのように万葉歌を詠む赤人の姿を揺らがせて、駿河湾を見ながら今度は奈良時代の歌人へのロマンにひたった。帰宅後は、土産の釡揚げしらすを家族と夕飯に食べた。

(ライター/佐野一好)

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