Vol. 197|静岡きょうだい会代表 沖 侑香里
「きょうだい」の思いを
知ってほしい
自らきょうだい会を立ち上げようと思った経緯は?
大学卒業後は名古屋で会社員として働いていましたが、社会人3年目の夏に、頼りにしていた母ががんで倒れ、わずか2ヵ月後に急逝してしまいました。それまでは実家と適度な距離を保ちながら、自分の仕事や生活に注力していましたが、父にも持病があったため、私が介護休業を取得したのち、仕事を辞めて実家に戻ることにしたんです。20歳を目前にした妹の保護者の役目は私が担うことになりました。
障害者のいる家族にとって「親なき後」は大きなテーマなのですが、まさかこんなにも早く唐突にこの問題に直面するとは。この頃にはすでに「私は私の人生を生きよう」と決めていて、正直なところ、決断するまでにはとても悩みました。もちろん妹のためでもありますが、何より自分自身が後悔したくないという思いが強かったですね。私が帰らなければ妹は病院に入所することになり、生活は一変します。もしそこで妹が寿命を迎えてしまったら、私はその後の人生でどんなに後悔するだろうと考えた時、他の選択肢はありませんでした。
地元に戻ってからは、行政手続きや施設との交渉など目まぐるしい日々が続きました。その際の経緯については長期取材を受けた『普通に死ぬ〜いのちの自立〜』というドキュメンタリー映画にも収められています。多くの方に協力していただきながら、妹は病院ではなくそれまで利用していた通所施設で生活できるようになり、2年後に看取るまでの間、妹の命や人が生きる意味について、正面から向き合えたと感じています。
その一方、妹の保護者として多くの方と関わる中で、きょうだいの視点や思いにはまだまだ意識が向けられていないとも感じました。きょうだいに求められる負担の大きさや、見落とされがちな苦しみについて社会の理解が進み、かつての私のような思いをするきょうだいの力になれたらと、地元でもきょうだい会を作ろうと決めたんです。
きょうだい会の運営に加えて、講演活動にも取り組んでいますね。
もともと人前で話すことは苦手で、こうして顔と名前を出してインタビューを受けることも、以前の私には考えられないことです。それでも私の経験や思いを語ることで、きょうだいという存在を知ってもらえる機会になればと思っています。
また最近は「ヤングケアラー」として登壇してほしいという依頼もあります。きょうだいの中にも、年齢のわりに重い責任や肉体的・精神的負担を伴って家族を支えているヤングケアラーがいます。2年ほど前に初めて国の調査が入ったのですが、中学2年生の17人に1人はヤングケアラーであることが明らかになりました。クラスに1人か2人は、家事や介護、家計を支えるためのアルバイトなどに従事している子どもがいるんです。この問題は広く知ってもらいたいですね。
ただ難しいのは、「ヤングケアラーはかわいそうな人」とか、その逆に「家族なんだから世話をするのは当たり前」といった見方をされがちな点で、個々の事情を配慮せず単純化して捉えてしまうことには違和感があります。私の場合は母のお手伝いをしている感覚でしたし、妹の車椅子を押したり医療器具を触ったりすることに好奇心や楽しさも感じていました。また、どんな家庭にも何かしらの困難はあって、ヤングケアラーだけを特別視するのも不自然な気がします。きょうだいもヤングケアラーも、障害があってもなくても、私たちは揺れ動く感情と価値観の中で日常を生きていますよね。安易な決めつけではなく、対話によって多様な視点を分かり合おうとする姿勢が大切だと思います。
この春からは教育の現場で活躍されるそうですね。
4月から公立小中学校でスクールソーシャルワーカーとして働き始めます。児童や生徒たちがより良い生活を送れるよう寄り添い、その周りの環境にも働きかけながら支援する専門職です。
これまでの経験で痛感したのは、子どもの頃に周りの大人がどう関わってきたかが重要だということです。特に学校は子どもにとって一番身近な社会で、新たなつながりを得やすい場です。とはいえ私には子どもがいませんし、教育の専門知識もなかったので、このままでは当事者の一意見にしかならないと思い、まずは独学で保育士の免許を取りました。また去年から1年間、夜間の専門学校に通って社会福祉士の資格を取得しました。
家庭の中だけでなく仕事まで福祉にはしたくないという気持ちが、以前の私にはありました。でも最愛の母を看取り、可愛い妹を看取り、きょうだい会の活動を通じて多くの当事者や関係機関の人々と関わる中で、個人的な感情と取り組むべき課題が整理されていきました。そして今は、誰かの期待に応えるわけでも意見に流されるわけでもなく、私自身の希望としてこの仕事にチャレンジしたいと思えるようになったんです。かつては自己主張ができないと嘆いていた私ですけど、出発点はいつだって自分の心にあるんですよね。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
沖 侑香里
静岡きょうだい会代表
1990(平成2)年5月21日生まれ(32歳)
富士市出身・在住(取材当時)
おき・ゆかり/富士南中、富士高校、愛知大学経営学部卒。5歳下の妹・茉里子さんが進行性の難病と診断され、小学生の頃から介護に携わる。大学進学から社会人3年目までは県外で暮らすが、2015年に母・眞須美さんが他界したことを機に富士市へ帰郷。家族の暮らしを支え、2年後に茉里子さんを看取る。2018年、きょうだいによる自助を目的とした任意団体『静岡きょうだい会』を有志4名で発足させ、代表を務める。個人としても講演や寄稿を通じた啓発活動を展開。2022年に保育士、2023年に社会福祉士の資格を取得。今年4月より富士市・静岡市の公立小中学校でスクールソーシャルワーカーとして勤務。教育現場での子ども支援という新たな一歩を踏み出した。
ヤングケアラー わたしの語り
澁谷智子編
生活書院/2020年刊
国内におけるヤングケアラー研究の第一人者である社会学者がまとめた、ケアの当事者たちの経験談。沖さんが共同執筆者として寄稿しており、きょうだいとして過ごしてきた日々の思いが綴られている。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
今回の取材の下調べにあたり、2月4日に静岡市で行なわれた映画の上演会『普通に死ぬ〜いのちの自立〜』(制作・配給/motherbird)を観てきました。富士市にある生活介護施設『でら〜と』の設立に取り組んだ親たちの姿を主軸に、重度障害児と家族、そして支援者たちの思いを描いたドキュメンタリー映画です。その登場人物の中に沖さんと妹の茉里子さんもいます。家族には普通に生き、普通の幸せを日々感じてほしい。きっと誰もが願うことですが、普通に生きることはいかに大変か。愛情と現実との狭間でできる限りのことをしようと葛藤しながら、映画に登場する家族たちは日々を送っています。
それでも親は「親の役目」としてどこかで覚悟する瞬間があるのかもしれません。でも「きょうだい」たちにとって、それは幼い頃から当たり前にあった環境であり、自分自身の人格形成にも大きく影響します。そしてこれから来る自身の未来とも折り合いをつけなければなりません。「きょうだい」たちが人知れず抱える思いを、同じ境遇にいる「きょうだい」たちと打ち明けあうことは、だからこそ大きな意味があるのだと思います。
4月10日は「きょうだいの日」だそうです。母の日・父の日と同じように、きょうだいのことを想う日。障害の有る無しに関わらず、兄弟姉妹の間には、親子とは違う兄弟姉妹ならではの絆があります。そんな自分のきょうだいに、ときには思いを馳せてみてください。
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