Vol. 192|テディベア作家 清 祥子
クマたちとダンス
幼少期に、寂しさや心細さを感じた時、ぬいぐるみを抱きしめたら安心できたという人は少なくないだろう。中には、大人になってもずっと大切に傍らに置く人もいる。『クマのプーさん』のクリストファー・ロビンや映画『テッド』のジョンも、よき相棒といつも一緒だ。
そんな主人公をそばで見守る尊い存在であり、丁寧な手仕事から生まれ長く受け継がれていくテディベアに魅せられて、自ら富士宮市内で工房を構えるのが、清祥子(せいしょうこ)さんだ。その技術とセンスで多くのファンを持つが、彼女にとって作品は自己表現ではなく、愛でてもらおうという意図で作ってはいないという。愛情を込めて「ベアちゃん」と呼ぶ作品たちにはむしろ、迎えてくれた方を支え、幸せにする役割がある。
清さんが、時に自分自身も癒されながら制作に魂を込めるさまはちょうど、仏師が人々と社会の安寧を願い仏像を彫ることにも似ている。祈りで満たされたテディベアは清さんの手元を離れる時、「しっかり頼むよ」と送り出されるのだ。
テディベアには定義があるのでしょうか?
クマのぬいぐるみであれば、どんなものでもそう呼んでいいことになっています。というのも、『テディベア』という名称は、商標登録されていないからなんです。
『テディ』とは、第26代アメリカ合衆国大統領のセオドア・ルーズベルトの愛称。彼がクマ狩りで見せた紳士的なふるまいに人々が感動して、その逸話をもとに制作されたクマのぬいぐるみがテディベアと呼ばれたという説が一つ。それと同時期に、ドイツの老舗メーカーが作った『PB55』というテディベアがアメリカに輸入され、大ヒットしたという事実もあります。権利が重視される現代では想像しづらいですが、当時はドイツ・アメリカどちらの会社もあえて商標登録はせず、あくまでおとぎ話として世界中の人たちと共有しようと考えたのです。テディベアの愛らしさはもちろんですが、このような企業同士の平和的な解決も、私にはとても魅力的に映ります。
はっきりとした定義はない一方で、愛好家や作家の間では、いくつか共通の認識があります。それが「天然の動物の毛で作られたもの」「専用のジョイント金具を使用して手足が動くもの」「ガラス製の眼をしたもの」。この作り方に沿って、私はクマ以外の動物、テディラビットやエレファントテディも作りますが、空想の世界ですからどんな動物がいても許される、懐の深い世界なんですよ。
ずっと作家を目指していたのですか?
昔からぬいぐるみは大好きですし、子どもの頃よく父と工作をしていましたが、今のように物づくりで生きていくとはまったく想像していませんでした。そんな私がテディベア作家になったきっかけは、夫の存在です。
じつは作家になると決めるまでは人生の目的が定まらず、さまよっているようでした。クラシック音楽が好きで進学した都内にある音響系の専門学校は、大半がロック好きの学生で自分の居場所が見つけられず、卒業後は唯一の内定にすがるように入った会社でも行き詰まって……。結局、精神的に参って23歳で富士宮に戻ってきたんです。
夫とは、療養しながらアルバイトをしている時に出逢いました。私の希望で、よく山中湖や伊豆のテディベアミュージアムを訪れていたのですが、ある時彼が「そんなに好きなら自分で作ってみたら?」と提案してくれて、初めて制作を意識しました。夫は自家焙煎の珈琲店を営んでいるのですが、豆はもちろん道具や食器にもこだわり抜く、まさに職人。その彼が私の誕生日に、テディベアの制作道具一式とテキストをプレゼントしてくれたんです。しかも、私に内緒でとことん調べて、針や生地、すべてのものがプロ仕様の一級品でした。
当時の私だったら適当に安物で済ませていたでしょうが、最上級の道具でスタートが切れたことで、テディベア制作の深い魅力に気づけました。夢中で作業をして最初の作品を仕上げた時には「テディベア作家になる!」と心が決まっていました。
その後、都内で開かれた大きな展示会で、関澤洋子(せきざわようこ)さんという作家の作品に心を射抜かれ、その場で「作家になりたいので作り方を教えてください」と直談判。デビューするまでの1年半、毎週バスで東京に通う生活を続けました。ドイツ仕込みの技術は本格的で、やり直しばかりの厳しい指導でしたが、納得のいく仕上がりには正確な技術が欠かせません。
当時の私はまだ万全な体調ではなかったのですが、テディベアを作ること自体がよりどころとなって通い続けられました。それに、不安が強い時でも「大丈夫だよ」と背中を押してくれる夫にも支えられました。自分でも不思議なのですが、体調不良で制作ができないことはありません。不調も忘れるくらい没頭しています。休日には二人でお気に入りのカフェへ行くのですが、パソコン仕事に集中する夫の隣で、私はひたすらチクチク、気づけば5時間も。かばんには必ず裁縫道具と生地が入っているので、大好きな温泉に行った時でさえ、休憩室で針仕事をしています。工房を離れてもテディベア制作に触れる、これが最高の休日の過ごし方です。
作品はどのように販売していますか?
自分のSNSや、手づくり品を集めたサイトに出品しています。直接販売できる展示会はコロナ禍で中止が続き、インターネットが主です。オーダーメイドも対応しますが、一度購入してくれた方がリピーターになり、「こんな感じで作ってほしい」と依頼されることが多いです。クマに限らず、犬や猫、変わったところで今はカエルのオーダーも受けています。
注文が入るとまずは何通りも型紙を起こして、理想的な色合いや風合いを求めて試作品を作ります。裁断して縫う部分が多いとその分劣化につながるので、パーツは少なくなるべくシンプルにして、丈夫さを追求します。初めての生き物を作る時は、工程を考えるだけでワクワクしますね。
これまでに作った中でもとりわけ思い入れが強いのが、オーダーで承ったリス。デビューして1年経つ頃でしたが、当時は自宅の新築や夫の珈琲店の移転など考えることが多く、精神的な不調もあったので依頼を引き受けること自体が挑戦でした。
そしていざ生地探しを始めると、理想とする色が見つからないんです。悩んだ末に自分で染めてみようと思い立ち、珈琲染めを試してみました。夫からもらった珈琲豆で染めたところ、色味は完璧!……だったのですが、アルパカスーリーという毛足の長い特殊な生地に、粉にした珈琲が絡みついてしまったんです。それを丁寧に洗い流し続けて、やっとの思いで完成にこぎつけました。自分のことで手一杯だった時期に、新しいことにも挑戦しながらお客様の期待に応えられたことで、自信を与えてくれた作品ですね。
時々、作品を迎えた方がその後の様子を知らせてくれるのですが、あるお手紙には「精神的にしんどい時に、テディベアが大きな支えになりました」と感謝がつづられていました。私自身、作品を通して誰かを勇気づけたり、幸せにしたいと願って制作しているので、報われた思いがしましたし、「もっともっと良い作品を作ろう!」と励みになりました。
工房を構えてからはより多くの方にテディベアを知ってもらいたくて、制作教室も開いています。経験がない生徒さんがほとんどなので、生地に天然の動物の毛が使われることに驚かれます。1体完成させると、次はプレゼント用に作りたいと続けて通う方もいます。
教室では、初心者でも扱いやすい生地の中から好きな色を選んでもらうのですが、色味で冒険しない私からするとすごく意外に思える色合わせをする方もいます。でも、どれだけ奇抜に見えても、完成の印に首にリボンを結ぶ最後の段階では、きちんと調和の取れた素敵な作品になるのが面白いです。生徒さんの感性から学ぶことも多いですね。
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