Vol.209 |ダウン症モデル 菜桜
その夢、口に出してごらん
「モデルは楽しい」「かわいい服が好き」「みんなを笑顔にしたい」。菜桜(なお)さんが口にする短い言葉の一つ一つが、裏表のない素の感情として伝わってくる。
ダウン症のあるモデルとして活動する菜桜さんは二十歳の誕生日を目前に控えた今年3月、フランス・パリへ渡った。日本では「パリコレ」の通称で知られる世界最高峰のファッションショー『パリファッションウィーク』への出演を果たしたのだ。「エンジェルスマイル」と名付けた屈託のない笑顔で会場に華を添えた菜桜さんだが、筋力や言語力が乏しいダウン症の特徴や合併症に伴う度重なる外科手術、さらには心ない誹謗中傷の声など、これまでに多くの困難もあったという。
今回のインタビューでは、菜桜さんの活動を支え続ける母・齊藤由美さんに話を伺った。人生は華やかなランウェイばかりではないが、そのステージを目指す姿、それを支える人々の思いには、希望がある。菜桜さんの笑顔が障害の有無を超えて人の心に届くのは、その希望がとても明るく感じられるからだろう。
菜桜さんは現在どのような活動をしていますか?
富士市内の就業継続支援B型事業所で週5日、軽作業の仕事をしながら、モデルとして活動しています。20歳になった菜桜ですが、ダウン症に伴う発達年齢は5歳くらいです。一人で外出するのは難しく、レッスンやショーへの参加はいつも私が付き添います。持ち前の明るさと人懐っこさもあって、職場や周りの皆さんが温かく接してくださり、モデルの活動にも理解をいただいています。そんな中、日本人のダウン症モデルが出演するのは初めてという話題性もあって、先日のパリコレは菜桜にとって記念すべき晴れ舞台となりました。
ダウン症モデルという言葉に違和感を覚える人もいるかもしれません。モデルになれるのは、背が高くてスタイルが良くて顔がきれいな人。そんな固定観念や障害者への偏見から、「ダウン症のモデルなんて必要ない、見たくない」と言われたこともあります。でも時代や価値観が変わる中、ダウン症のモデルがいてもいいですよね。実際にファンの方から「菜桜ちゃんが着ていた服を買ったよ」と言ってもらえることもあります。またファッションに限らず、最近では「いつも癒されてます」とか「菜桜ちゃんの頑張る姿を見て私も毎日頑張ってます」といった嬉しい声もたくさん届いています。
以前はダウン症の子を持つ親同士の交流がほとんどでした。明るい話題は特になく、世に出るダウン症児の映像といえば、鼻が低くて吊り目で太っていて、お世話がしやすいようにみんな短髪で、決しておしゃれとはいえない服ばかり。でも菜桜のようなモデルがかわいい服を着て、笑顔で活動している姿を発信することで、イメージも少しずつ変わってきたと感じています。今ではむしろダウン症とは直接関係のない人からの反響の方が大きいんですよ。ダウン症も含めた菜桜の個性や日常的な姿が好きだと言ってくださる方が増えて、とても嬉しいです。
モデルとして活動するようになったきっかけは?
9歳の頃、日本ダウン症協会主催のファッションショーに、私が軽い気持ちで応募したのがきっかけです。選考を通過してショーに連れていくと、物おじせず終始笑顔で楽しんでいました。菜桜が「またやりたい!」というので、その後も機会があればと思っていたところ、15歳の時に静岡市内の百貨店前で開催される障害者のファッションショーに出てみないかと声をかけていただいて。その時に出会った『LB-MODEL SCHOOL』代表でウォーキング講師の望月ちか先生が障害者向けのレッスンをしていると知り、月に2回静岡に通って教わることにしました。筋力が弱いため、美しい姿勢やポーズを要求されるモデルウォーキングは想像以上に大変な動作です。また言語理解が普通の子のようにはいかないので、「背筋」や「体幹」といった言葉の意味もよく分かりません。一度教わったことをすぐに忘れてしまうこともあります。それでも菜桜の個性を汲み取って、優しく根気強く教えてくださる先生のことが大好きな菜桜は、以来ずっとレッスンを続けています。
イメージしていたキッズモデルの世界では「私かわいいでしょ?」という自己アピールが大事で、激しく競い合うものだと思い込んでいましたが、菜桜と先生のやり取りを見て反省しました。この子には一番になりたいとか、誰かを蹴落としたいとか、そういった欲が何もないんです。ただモデルが好きだから、楽しいから。そんな純粋な気持ちがステージでの笑顔にも表れているんだと思います。スクール内のイベントや各地のショーに出演するうちに、有名な雑誌やテレビ番組で取り上げてくださることが増えて、「ダウン症モデル・菜桜」を知ってもらえるようになりました。そしてついにこの春、夢のまた夢だったパリコレにまで出演できたんです。
節目ごとに素敵な出会いがあったのですね。
パリコレに出演するまでの過程も、奇跡のようなご縁の連続でした。去年の大晦日に、SDGsを推進する団体『Music for SDGs』代表の大久保亮さんを通じて、世界的デザイナーのサミーナ・ムガールさんのショーに出演できることになったと連絡がありました。ただ、ショーは間近に迫っているのに、ムガールさんの衣装には菜桜のサイズに合うものがありません。衣装を作るなら日本的なものを取り入れた着物風のドレスにしたいと考えましたが、時間も人脈もありません。さあどうしようと困っていたところに、ある方から福岡県北九州市の貸衣装店『みやび』さんを紹介していただきました。成人式のド派手衣装で有名な店主の池田雅さんは初対面の菜桜をとても気に入って、その場で衣装の無償提供とヘアメイクとしてパリに同行することまで決めてくださいました。パリコレのランウェイを歩く菜桜の姿はテレビでも放送されましたが、その脇で号泣していたのが私と雅さんです(笑)。
また、費用の面でも多くの方に助けていただきました。モデル活動は高収入を得られるものだと誤解されがちなのですが、事務所に所属して仕事として行くわけではないので、交通費・宿泊費・衣装代・参加費など、基本的にすべて自費です。一般家庭のわが家にとっては、国内のショーに出演するだけでも大きな負担で、フランスへの渡航・滞在費はとても用意できません。そこでクラウドファンディングを立ち上げたところ、予想を上回る300人以上の方々から菜桜の夢を実現するための支援をいただきました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
夢へと向かう時間こそが宝物
母としても、これまでには大きな葛藤があったそうですね。
菜桜の生後1週間頃からブログを書き始めました。ただ、「かわいいわが子を見てほしい、知ってほしい」という気持ちとはまったく違いました。今だから言えることですが、「ダウン症の子を持つ私はこんなに不幸なんだ」と知ってほしかったんだと思います。ダウン症の発症率は約1,000人に1人といわれていて、人口比で考えると珍しくはないのですが、出産後すぐにダウン症だと診断されて、私は菜桜の存在を受け入れられませんでした。周りから聞こえる他の赤ちゃんの泣き声や嬉しそうなお母さんの声がたまらなく不快で、出産当日に「もう連れて帰ります!」と泣き叫びました。生後3日目にこども病院に運ばれて検査を受けたところ、ダウン症に加えて深刻な食道閉鎖の合併症が発覚したのに、絶対に必要な手術まで拒否する始末で。「この子がいなくなればいいのに」という恐ろしい言葉すら、何度も頭をよぎりました。菜桜には姉と兄がいるのですが、夫や幼い子どもたちの方がむしろすんなりと受け入れていて、菜桜のことを気にかけてくれました。
私の心に変化が起きたのは、緊急手術や入院を経て、生後2ヵ月くらい過ぎてから菜桜をこの手で抱いた時でした。私を見ながらニコッと微笑んでくれた菜桜を、初めて愛しいと思えたんです。肌で触れ合い、同じ時間を過ごすことで愛情が芽生え、蓄積していくんですね。菜桜が成長するにつれて、周りの目を気にしたり、「ダウン症じゃなかったらよかったのに」と思う気持ちは少しずつ消えていきました。やがて「また生まれ変わっても、ダウン症のこの子を産みたい」と思えている自分に気づいて、「ああ、私は受け入れることができたんだ」と実感しました。
最近は菜桜の体調も安定してきましたが、定期的に食道を拡げる処置は必要です。他にも、心臓、目、喉など、身体にメスを入れたのはこれまでに17回、食道拡張も含めると計40回以上の手術を受けてきました。またダウン症は20〜30歳頃をピークに運動機能が徐々に低下するとされていて、いつまでモデルを続けられるかは分かりません。また正直なところ、貯蓄を切り崩しながらの活動は厳しくて、じつは私の方から「もう辞めようか」と切り出したこともあるんです。それでも菜桜は大好きなモデルを続けたい、頑張りたいと。「親のエゴでやらせている」とか「お金儲けのためでしょう」と言われることもありますが、そんなことはまったくなくて、わが子が望む限りは、親としてなんとか寄り添ってあげたいと願っているだけなんです。
菜桜さんとご家族の夢にはまだまだ続きがありそうですね。
改めて思うのは、「願いごとは口に出すと叶う」ということです。そして菜桜は「次はアメリカのショーに出たい。みんなに見てもらって、笑顔にしたい」と言っています。自分が楽しむのと同時に、多くの人に支えられていることは理解しているようです。菜桜は障害があることでいろんな機会を与えてもらっている部分もありますが、それでもいいと思うんです。夢を持つのは自由ですし、菜桜は菜桜の夢を見つけて、一生懸命歩いているだけです。たしかにこの子一人ではとても弱い存在かもしれません。でも菜桜がいるから、私自身もこの歳になって夢を見つけることができましたし、菜桜が新しいステージへと連れて行ってくれます。応援してくださる多くの方々も、きっと同じ気持ちだと思います。
ある時、障害を持つ子のお母さんに言われた言葉が心に残っています。「口に出せば夢は叶うというけど、菜桜ちゃんはいいよね。うちの子の夢は消防士。でも障害のあるこの子の夢は一生叶わない。だから簡単に夢を持とうとか言わないでほしい」と。気持ちはよく分かります。どれだけ口に出しても叶わない夢もたしかにあります。でもたとえ叶わぬ夢だとしても、それを持ち続けて生きることに意味があると思うんです。消防士になる夢が100%叶わなくても、消防士の活動を紹介する映像を一緒に見たり、消防服を着る体験イベントに参加したり。そうやって少しずつでも夢と関わることで、思いの一部が花開きます。そこで子どもが喜ぶ姿を見れば、親も楽しいじゃないですか。
振り返ってみればちょうど20年前、私は失意のどん底で泣いていました。まさか20年後こんなことになるなんて。「大丈夫、あなたの子はすごいことを成し遂げるよ」と、あの日の自分に言ってあげたいです。菜桜が教えてくれたのは、どんな環境でも、障害があってもなくても、人は夢を持っていいということ。そしてその夢に向かっている時間そのものが、何よりも大切な宝物だということです。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text/Kohei Handa
Cover Photo/Naoko Kato
菜桜
ダウン症モデル
2004(平成16)年3月11日生まれ(20歳)
富士市出身・在住
(取材当時)
本名:齊藤菜桜(さいとう・なお)/生後すぐにダウン症候群と診断され、食道閉鎖症、動脈管開存症などの合併症も加わり、これまでに40回以上の手術を経験。静岡県立富士特別支援学校高等部を卒業後、2022年より富士市内の障害者支援サービス『はみんぐ』(就業継続支援B型事業所)に勤務。9歳の頃に公益財団法人日本ダウン症協会主催のファッションショーでステージに立ち、以後モデルへの憧れを抱く。2019年、静岡市内で開催された障害者モデルファッションショーへの参加を機に活動を本格化。『VOGUE JAPAN』『24時間テレビ「愛は地球を救う」』など、各種メディアで数多く紹介されて注目の集まる中、2024年3月にはフランス・パリで開催の『パリファッションウィーク』(通称『パリコレクション』)に出演。ダウン症モデルとしては日本人初となるランウェイを歩いた。魅力的な笑顔と明るいキャラクターが人気で、インスタグラムのフォロワーは6.3万人(2024年4月現在)を超える。(写真右は母・由美さん)
各種SNSや出演依頼など 菜桜さんの情報はこちらから
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
表紙インタビューの人選についてよく聞かれます。もちろん一定の基準があって選ばせていただいているのですが、そのタイミングはいつも悩むところで、情報をキャッチしたあとすぐに取材することもあれば、候補リストにメモしたまま数年待ってから「あ、時期が来た」と思って打診することもあります。そのしかるべき時期というのはうまく言葉にするのが難しいのですが、一言で言えば「伝えるべきストーリーが、我々のなかで1本の線につながった」ときです。
菜桜さんのことは3年ほど前に知りました。そのときすぐに記事にしなかったのは、その時点では「ダウン症“なのに”こんなに頑張っている」というお涙頂戴ストーリーになりそうな気がしたからです。いわゆる「感動ポルノ」的な話には絶対にしたくなかった。パズルの最後のピースとなる何かを待つ必要がありました。それがなんなのかそのときは分からなかったけど、それは大きな夢がひとつ叶った菜桜さんの放つ「自然な説得力」のことだったんだなと今思います。「障害者なのに」でも「障害者だから」でもない、素のままに人を惹きつける力です。
人が夢を持つとき、どういうわけか必ず悲壮感がセットで付いてきます。上を目指さなければいけない。歯を食いしばって困難を乗り越えなければいけない。勝たなければいけない。でも菜桜さんは素直に今を生きながら、「この仕事が大好き」「モデルをするのが楽しい」って飛びきりの笑顔で口に出すことができます。この3年の間でもファンの数は大きく増えていますが、みんな菜桜さんのそんなところに惹かれているんだろうなと思います。だからみんなで口に出してみましょう、自分の大好きなことを。
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