Vol. 164|プロマジシャン オイル
ときには手を変え品を変え。
努力したくない、働きたくない。家族旅行の支度すら面倒で、出発するまで一人で車の中に隠れていたという少年が、今は人々の視線と笑顔の真ん中で、スポットライトを浴びる毎日を送っている。静岡県内を中心に活躍するプロマジシャン・オイルさんは、親しみやすいマジックと軽妙なトークで会場全体を巻き込みながら盛り上げるショースタイルに定評がある。
マジックを軸とした事業を展開する会社を自ら立ち上げ、出張マジックや講演活動に取り組みながら、自身が経営するマジックバーでは飲食の接客業務にもあたるという、驚きの行動力。20代までは狭い価値観の中で窮屈に生きていたと語るオイルさんがマジックと出会い、本気で楽しめる場所を見つけたことで、歯車が動き始めた。この物語は魔法ではない。タネも仕掛けもある、ひたむきなプロフェッショナルの足跡だ。
オイルさんはステージに立つ現役プロマジシャンでありながら、お店の経営もされているそうですね。
大好きなマジックを通じて多くの人を楽しませたいという思いが原点ではありますが、会社を立ち上げてからの2年間でたくさんのご縁が生まれて、活動の領域は広がっています。提携施設でのイベントや結婚式の余興、企業パーティーなどで出張マジックをお届けしながら、全国に16店舗ある国内最大のマジックバー『手品家』のフランチャイズ店として、静岡と浜松の2店舗を運営しています。
オーナー兼マジシャンというのはグループ内でも僕が初めてだったんですが、ショーの時間や料金のシステムが確立しているので、マジックの仕事に重点を置けるのはありがたい環境です。また、マジシャンの仕事はどうしても週末に集中しがちなのですが、間隔が空くとステージでの勘やテクニックも鈍ってしまいます。自前の店舗があることで平日もステージに立てますし、若手マジシャンの育成と雇用の場を確保しながら業界に貢献できることが嬉しいですね。
マジックに興味を持ったきっかけや、その魅力は?
記憶に残っている最初の衝撃は、幼い頃に父が見せてくれた、親指が離れるマジックです。誰もが一度は目にしていると思いますが、両手の曲げた親指を人差し指で隠して離す、あれです。すごく驚いて、父に尊敬の念を抱いたのを覚えています(笑)。マジックの魅力をひと言でいうと、『力を手に入れた感覚を与えてくれる』ということですね。タネを知って技術を習得している自分にとっては大したことではない行為も、それを観ている人にとっては不思議で理解できない出来事なので、感動してもらえるわけです。そのギャップがたまりません。でも僕にしてみれば、電子レンジとかスマートフォンの仕組みの方がよっぽど不思議ですけどね(笑)。
またマジックの特徴として、大道芸などで観るジャグリングとの違いを考えると分かりやすいかもしれません。たくさんのものを空中で自在に操るジャグリングは、道ゆく人が足を止めて途中から観ても、そのすごさが伝わりますよね。でもマジックはそうではなくて、たとえばトランプのジョーカーがAに変わるトリックをやるとして、これを途中から観ても意味がありません。『たしかに最初はジョーカーだったのに!なんで?』とか『ずっとこの目で見てたのに!すごい!』という風に、マジシャンとお客さんが対話しながら進めることによって、初めて成立する芸なんです。
なるほど、そういう捉え方は新鮮かつ本質的ですね。
おそらく多くの人が、手先の器用さがマジシャンの命だと思っていますよね。でも僕は、マジシャンの素質として器用さが占めるのは、せいぜい1割くらいだと思います。残りの9割は何かというと、コミュニケーション能力です。AがBに変わるマジックをやるのに、まずはAをちゃんと観てもらえないと話になりません。技術を観せる前に、場の空気を作ることが、優れたマジシャンの仕事なんです。マジックが上手だからプロになれるわけではありません。技術に自信があってこの世界に飛び込んできた若手は、みんなその壁に苦しんでいます。
僕も以前はウケない理由、売れない理由を技術不足のせいだと思って、必死に練習しましたが、全然ダメでした。当時のステージ衣装は花柄のシャツにダークブラックのスーツ。そんな高飛車な20代の若造が黙ってステージに出てきて、『どう?俺すごいでしょ?』みたいな顔でマジックをやって、ウケるはずがないんですよ(笑)。そこで悩んで苦しんで、180度方針を変えてみたんです。その一つが、昭和の芸人みたいなこの紫のジャケット。しかも今では「どーもー!」って小走りでステージに登場しますからね(笑)。
つまり、マジシャンも一般の社会人と同じで、技術や知識よりも先に、まず知ってもらって、興味を持ってもらって、好きになってもらわないと。そのためにはまず、挨拶をする、明るく振る舞う、お客さんの気持ちを察する、そういう当たり前のことから始めないといけないんです。どこまで行っても人間力で勝負する仕事なんだと、強く実感しています。
「オイルは」笑顔の潤滑油
これまでの道のりには紆余曲折があったそうですね。
そもそも働くことが大嫌いでしたからね(笑)。学生時代のアルバイトもサボりがちで、何事にも前向きな感情は持てませんでした。大学卒業後に就職したビジネスホテルでは深夜のフロント業務を経験しましたが、意欲が湧かず、上司からの圧力も強くて、結果的には心身ともに不調をきたして辞めることになりました。当時からマジックには興味があったので、趣味として家族や友人には披露していましたが、退職後の静養期間中にSNSを通じて知り合った、とあるマジシャンに憧れて、自分もプロになりたいと思うようになりました。それまでずっと独学で、タネ明かし本やDVDを買ってひたすら練習を重ねる日々でしたが、その後プロを目指すことを前提に、マジックとは関係のない仕事に就いて、生活費を稼ぎながら夜間や土日をすべてマジシャンとしての活動に充てるようになりました。
妻と知り合って個人事業を始めたのがこの頃で、居酒屋や企業に営業のメールを送ったり、チラシを作って深夜に投函して回ったりと、できることからやっていきました。そんな生活を3年ほど続けた末に、会社を辞めて独立することにしたんですが、やはりマジック一本でやっていくのは不安でいっぱいでしたね。
そんな中、『手品家』グループを運営する会社の存在を知り、瞬間的にピンと来たので、面識もない社長さんにダイレクトメッセージを送ってみたところ、すぐに『じゃあ明日会いましょう』という返事が届いたんです。そこでフランチャイズの話をいただいて、店を出すために法人化の手続きや資金調達に奔走するという、大忙しの日々が始まりました。いつの間にか、深夜のビジネスホテルで漫然と働いてた頃には想像もできない自分になっていましたね。
環境の変化と直感が次の活力を生み出してきたという印象ですね。実際のステージや接客の現場では、さらに素早い判断や行動が求められるのでしょうね。
マジックに関しては、セリフも含めて完成した内容をステージ上で披露する形で、飛んでくるヤジに対しても、ある程度は返しのパターンを想定しています。それでも予期しないことは起きますし、過去の大失敗も数えきれません。子ども向けのショーで、『誰か一人手伝ってもらえるかな?』って言ったら、『はいはーい!』って何人も前に出てきてしまったり、仕込んであった鳩がマジックを始める前に顔を出してしまって、お客さんに『あ!鳩がいる!』って言われたり(笑)。ただ、そこでどう振る舞うか、その状況をどう笑いにつなげて盛り上げることができるかが腕の見せどころだと思っています。
ステージでの失敗には2種類あって、ひとつは技術的なミスや機材の不具合など。これは練習や会場との打ち合わせで改善すればいい話です。もうひとつは会場が盛り上がらないという失敗で、僕はこちらの方を恐れます。なぜかというと、結婚披露宴でも企業パーティーでも、僕にとってのお客さんは、マジックを観ているゲストだけではなく、ゲストの皆さんに楽しんでもらいたいとわざわざお金を払って僕を呼んでくださった依頼主も含まれるからです。そんな席で新郎新婦や企業の社長さんに恥をかかせるわけにはいきませんよね。僕のマジックを観て、ゲストが楽しむ。ゲストの笑顔を見て依頼主が喜ぶ。その場の皆さんが満足してくれた姿を確認してようやく、僕は控室に戻って小さくガッツポーズをするわけです。その一方で、僕は『お客様第一』に加えて『自分も第一』だと思っています。何事も嫌々やるのではなく、自分自身が楽しんでこそ、お客さんも心から楽しめると信じているからです。
人を楽しませるには、まず自分からということですね。
それはマジシャンに限らず、どんな仕事や立場の人にも共通していえることですね。まずは自分が楽しくなることで、周りの人や家族にもそれが伝わっていくんです。どうしても楽しめなかったら、頑張らないで少し休んで、誰かに助けてもらってもいいんです。僕は富士市内の中学校で職業講話をやらせてもらうことがあるんですが、特にこれから社会に出る若い人たちに伝えたいのは、自分が心から楽しいと思えることを大事にしながら、どんどん視野を広げていってほしいということです。若い頃は自分が今いる環境や価値観がすべてだと思い込んで、自分を押し殺して我慢したり、諦めたりしてしまいがちです。僕もその一人でした。でもそうじゃない、他にも人生の選択肢はたくさんあるよ、もっと殻を破っていいよ、自分の居場所はここじゃないと思ったら、今いる場所から逃げたっていいんだよということを、しっかりと発信していきたいですね。
もちろん抑圧や困難を全否定しているわけではありません。何をやるにしても、最初の壁が親だったり先生だったりするのはいつの時代でも同じで、まずはそれを乗り越えないと始まりません。本気の姿勢を見せるなり、説得するなりして、一番身近な壁を乗り越えた時に、その相手が自分のことを世界一応援してくれる最大の理解者になる。それも僕自身が経験して分かったことです。そしてマジックを愛する若者、マジシャンを目指す熱意のある後輩に対しては、自分の持っている知識や技術をどんどん教えていくつもりです。そうすることで業界全体の底上げにもなりますし、いい意味で自分を追い込むことで、さらに成長できると思うからです。僕はここ数年でようやく、成長する意欲や喜びを知った『遅咲きマジシャン』なので、ここから先はもう一生、自分の歩みを止めたくはないんです。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
オイル
プロマジシャン / 静岡マジック株式会社 代表取締役
1987(昭和62)年10月13日生まれ (32歳)
静岡市清水区(旧・由比町)出身・富士市在住
(取材当時)
本名:望月紳之介(もちづき・しんのすけ)。静岡商業高校、富士常葉大学経営学部を卒業後、ビジネスホテルでの接客業務、製紙会社勤務を経て、プロマジシャンの道を志す。2018年、静岡マジック株式会社を設立し、妻でマネージャーの李果さんとともに本格的な活動を開始。国内最大のマジックバーグループ『手品家』のフランチャイズオーナーとして、静岡店・浜松店を相次いで出店し、今年の夏には名古屋でもマジックバーを開業予定。心を掴むトークセンスが話題を呼び、営業力やコミュニケーション術に関するセミナー、中学校での職業講話の講師を務めるなど、活躍の場は多岐にわたる。SBS学苑静岡校・富士校(マジック講座)講師、公益社団法人日本奇術協会会員。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
ショービジネスは、コロナ自粛の影響を受けた業界のひとつ。マジックはおそらくその最たるもので、オンラインではなく「ライブ」で見ることの意味がとても大きい。CG技術のおかげで画面の中ならどんなことでも可能な現代だからこそ、手品を見たときの驚きとワクワクはやっぱり同じ空間にいるからこそ伝わってくる気がします。
実はオイルさんのマジックを数年前に見たことがあります。社員旅行の懇親会だったのですが、手品師と観客との距離感をすごく近く感じたのを覚えています。最後には一つひとつのテーブルを回って目の前で見せてくれました。マジシャンにとって、背後に人がいる状態で手品を実演するのは気安いことではないはずなのに。
今回取材して、その意図がよく分かりました。いちばん大事なのは演者と観客の関係ではなく、観客同士の関係。人が集まったその場所に生まれる楽しい空気づくりに、自分は脇役としてできるだけ近いところから関わっていたいのでしょう。そんな「ライブ感」への思いは、まさにこのコロナの時代に聞きたかった話でした。
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