Vol. 199 |文筆家 甲斐 みのり
すてきな探しもの
「こんなこと言うと変かな」「やりたいけどやめておこう」。大人になるにつれて周りの目を気にして、素直な心の声に蓋をしてしまった経験はないだろうか。
今回登場するのは、文章を書いて生きていくという子ども時代の夢を叶え、東京を拠点に全国で活躍する富士宮市出身の文筆家・甲斐みのりさん。執筆するテーマは多岐にわたるが、自分の琴線に触れるかどうかが筆を執る基準だ。多感な10代の頃から、海外映画や音楽、書籍を通じて自分の感性にとことん向き合い、価値観を確立してきたからこそ、「好き」を貫くその姿勢に読者は魅了される。旅好きで、著作にガイドブックも多いが、決して型通りに観光地をめぐることを押しつけない。迷ったり回り道をしたり、その人なりの行程を作り上げることが旅の醍醐味だと知っているからだ。
道中で想定外の出来事に遭遇しながら進む旅とは、まさに人生と同じ。それぞれの感性を軸に、ハプニングすら楽しむ覚悟を持った時、人生は誰のものでもない自分色に輝くのだと教わった。
現在携わっている仕事について教えてください。
文筆家として、旅、お散歩、暮らし、お菓子、手土産、クラシック建築など自分の好きなもの、興味あることをテーマに執筆しています。他にも『Loule(ロル)』という雑貨ブランドを運営しながら、自治体の観光冊子を作ったり、トークショーやワークショップを開催したり。
また、全国のご当地で長年親しまれてきたパンを20年近くかけて研究してきました。独自の研究分野になったので『地元パン』と命名して商標登録したんです。最新刊の『日本全国地元パン』は、自分の足で見つけ出した全国津々浦々のご当地パンを紹介する、思い入れのある一冊になっています。合わせて監修した『地元パン文具』やカプセルトイも発売されています。
甲斐さんの地元である富士宮市の観光冊子『みやめぐり』も人気ですね。
富士宮市へのふるさと納税や首都圏からの訪問客を増やす目的で、富士宮市役所から依頼があり、制作しました。当初は無料通信アプリで富士宮の情報を流す予定でしたが、何か形に残るほうが伝わるのではないかと、街歩き用とドライブ用に分けて冊子を作ることを提案しました。
(協力:富士宮市 企画部 企画戦略課)
関連して、東京でのイベントや富士宮ツアーも企画していましたが、コロナ禍ですべて延期になり、やっと実現できたのは今年の1・2月です。都内でオンラインにも対応したトークショーを開催し、私の案内で富士宮市をめぐる2日間の『みやめぐり』ツアーには、学生から60代まで、全国各地の方が参加してくれました。観光冊子も好評で、発行部数はすべて配布されたようです。
旅好きが高じてこれまで多くのガイドブックを作ってきましたが、どの情報誌にも載る大定番の観光地より、あえてあまり知られていないところを紹介するのをモットーにしています。自分の目と足を使って探し出した、味わいのある風景や、地元ではあたりまえで見過ごされがちなものをすくい取って光を当てたいと思っているんです。
初の著作である『京都おでかけ帖』も、ガイドブックでありながら想定している読者は、すでに何度か京都を訪れている人。私が興味を引かれたものを誰にも忖度せず載せているので、王道の観光地を網羅する初めの一冊としてはお薦めしません(笑)。時には「どうして有名な観光地が載っていないのか」と不思議がる人もいますが、自分なりの「好き」を詰め込んだものですし、一つの街をいろんな人がそれぞれの価値観で紹介することで、街の魅力もさらに膨らむのではないでしょうか。
例えば2013年に和歌山県田辺市の依頼で『暮らすように旅する田辺』という観光冊子を作った時も、世界遺産の熊野古道には触れず、表紙の写真もなんてことない土手の風景なのですが、田辺の素朴な雰囲気を伝えたいと思ったんです。旅のあとに捨てられないよう、取っておきたくなるものを目指しました。地元の人からも、「この街には何があるのか自信が持てなかったけど、こんなに魅力的だと気づけた」と言われましたし、何でもないものが観光資源になりえるのです。
田辺市にはこの冊子がほしいと数百件の問い合わせがきたそうで、実際に冊子を片手に街歩きをする観光客の姿が見られるようになりました。また冊子を気に入ってくれた和歌山大学の学生が、今度は自分たちで街歩きイベントを始めたそうです。暮らしている人たちが街の魅力に気づくきっかけになったことが嬉しいですね。
小学生の頃には文章を書いて生きていくと決めていたそうですね。
勉強に苦手意識があった中で、自分が唯一得意だと思えたのが、文章を書くことでした。中学1年の時には芸大の文芸学科に行くと決め、いかに推薦で大学に受かるかを考えていましたね。理数科目にはさっさと見切りをつけ(笑)、高校時代は受験に備えて小論文の訓練を重ねました。
両親も、得意なことや好きなことを伸ばせばいいという考えで、芸大に行くことも文筆家になる希望も反対されたことはありません。というのも、両親は仕事のかたわら俳句にのめり込んでいて、日常会話も五七五じゃないかというくらいの熱中ぶり(笑)。自分たちが好きなことに情熱を注いでいるぶん、子どもの興味関心に対してとても寛容だったんです。幼い頃は俳句づくりのために野山など自然を感じる場所に連れていかれることが多くて、おもちゃを買ってもらえず遊園地に行くこともなかったのが不満でしたが、本だけは制限なく買ってもらえました。季語が飛び交う家庭環境でしたし、本に囲まれ、言葉の中で育った感覚があります。
もともと私はできないことを人一倍気にしてしまう性格で、「算数のプリントが終わった人から遊びに行っていい」とか「給食は食べ終わるまで残っていなさい」といったことで劣等感が助長されていました。でも中学時代に趣味の合う友人と出会って、映画や音楽の話ができるようになり、海外や都会の文化への憧れが自分を支えてくれました。休日は朝から図書館に入りびたり、レーザーディスクで映画を観たり、雑誌を片っ端から読んだりと、興味を持ったことには貪欲でしたね。価値観が徐々に研ぎ澄まされていき、いつか仕事につなげられたらいいなと思いを強くしていった時期でした。
“好き”が多いほど、
人生は面白くなる
好きなことを貫いてここまで突き進んでこられたのですか?
希望通り芸大に入ってからは大阪でライブに行ったり映画を観たり、気の合う友人たちと学生生活を謳歌していましたが、いざ就職を目の前にした時に大きな壁にぶつかってしまったんです。文筆家になると決めてはいたものの、どうしたらいいのか道が見えなくなって。芸大を出たからといっていきなり本を出版できるわけでもないし、夢はあるのに何者でもない自分をどう扱えばいいかわからず、引きこもりのような状態になってしまいました。
そんな時に思い出したのが、小学生の時に好きだったアニメの主人公がやっていた「よかった探し」。デザイン科の友人が持っていたスケッチブックを真似て一冊買い、絵は描けないけど文字で埋めてみよう、手あたり次第自分の好きなことを書いてみようと思ったんです。小さな頃にやった、根拠のないおまじまいの類ってありますよね。そんなことにもすがりたい気持ちで、「この一冊を好きな言葉で埋められたら、私は変われる、どん底から抜けられるんだ」と自分に言い聞かせて書き始めました。
でも好きな色や曲の歌詞を思いつくまま書いても、小さな部屋の中にいると1ページが限界です。そこで家の外に出て、「好きと思えるものを見つけるんだ」と決めて見回すと、それまで目に入ってこなかったものがつぎつぎと浮かび上がってきたんです。この看板かわいいな、こんなところに個人商店があったんだ、この銭湯にはいろんな人が通っている、とか。ノートに書き込みながら、街の魅力を自分で発見していくことがすごく面白かったんです。
それと同時に、何者でもないと思っていた自分にも、こんなに好きなことがあって、面白いと感じられるんだと、新しい側面に気付けたのも大きな収穫でした。卒業後は就職せず、京都にある出版社や祇園の料亭でアルバイトをしながら、自分の価値観に即したテーマでミニコミ誌と呼ばれる冊子づくりに携わって、お気に入りのお店に置いてもらったりしていました。そのうちに同じような活動をしている仲間ができ、お互いに記事を書き合ったのが、物書きとしての原点になっています。
25歳の時に出版関係の知り合いに勧められて上京してからは、4年ほど雑誌のライターをしていましたが、自分なりの表現が編集によって定型文に直されることに違和感が募っていきました。自分らしさを大切に書いていこうと決意し、肩書も文筆家に改めた上で再出発したんです。
著作には甲斐さんならではの視点が満載ですね。
「よかった探し」は大きな転機となりましたが、対象のいいところを見つけるいわば加点法の習慣は、今後も持ち続けていきたいです。昔は学校でも苦手を克服しましょうとか、ここができていないと指摘されてきたことで、多くの人が減点法に慣れてしまっています。中高時代の私はまさに減点法で物事を見ていたため、身近にある魅力に気づけず、都会に出ないと何もできないと思い込んでいました。でも例えば私の両親は、私が“何もない”と思っていた野山で鳥の声を聴き、自然の機微を感じ取って作句をしていたんです。当時異なった見方ができていれば、新しい発見がいくつもあっただろうなと思いますね。
今では、降りたことのない駅に降り立つ時にはすごくワクワクします。何もない街なんてなくて、ないと感じるのは自分が見ていないだけなんですよね。仮にほんとうに何もない場所があるとすれば、それ自体が素晴らしいです(笑)。絶対にあるはずの魅力を自分で見つけるんだという気持ちで見れば、街の景色は色彩を増し、輪郭が浮かび上がってきます。誰か私を楽しませてよ、機嫌よくさせてよと人任せにせず、自分から動くようになってからは、見たいものやしたいことが増えていき、人生が楽しく、少し忙しくなりました。
もう一つ大切にしたいのが、自分の「好き」を肯定することです。いろいろな書籍を出して、多くの人からいただいた声として驚いたのが、「こういうものをかわいいって言っていいんですね」というものです。「こけしとか昔ながらのパンとか、そういうものを好きと言ったら、変わっていると思われるから言えなかった」と。
いいと思ったことを素直に声に出せないのはすごく悲しいですよね。多様性が叫ばれている近年、特に若い人たちには自分の「好き」を大切にしてほしいと思います。いろんなことに興味を持って多くの本や映画に触れ、世界は広いと知ってもらいたい。そういう人が増えれば、誰もが好きなものを好きだと表現できて、他の人の「好き」も認められる寛容な社会になっていくだろうと思います。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text/Chie Kobayashi
Cover Photo/Kohei Handa
甲斐みのり
文筆家
1976(昭和51)年9月23日生まれ(46歳)
富士宮市出身・東京都在住
(取材当時)
かい・みのり/富士宮西高校、大阪芸術大学文芸学科卒業。出版社や料亭でのアルバイトをしながら好きなものを集めたミニ冊子制作の手伝いを始める。1999年に雑貨ブランド『Loule』を立ち上げ、25歳で上京。自らが心惹かれるものをテーマに執筆し、29歳で初の著書『京都おでかけ帖』(祥伝社)を上梓。ドラマの原案にもなった『歩いて、食べる東京のおいしい名建築さんぽ』(エクスナレッジ)や『東海道新幹線各駅停車の旅』『電車でめぐる富士山の旅』(ウェッジ)、『たべるたのしみ』『くらすたのしみ』『田辺のたのしみ』(ミルブックス)など著作は50冊以上。全国の自治体の観光案内冊子も数多く手がける。“好き”を追求する姿勢とそのセンスが多くの女性ファンの心を捉え、講演会や街歩き企画も人気。
甲斐さんの最新刊(2023年6月現在)
『日本全国地元パン』
エクスナレッジ
1,870円(税込)
甲斐さんが研究・収集を続ける全国各地の「地元パン®」(ご当地パン)を紹介。静岡県の特集ページでは、本紙読者にもなじみのあるお店が掲載されている。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
「読む」ということは「情報を取得する」ことと同義なのでしょうか?インターネットが普及し日々触れる文字の量が増えれば増えるほど、逆に文章を読むという行為そのものを楽しむ心が薄れてしまっている気がしてなりません。いや、紙の本に限っても、書店のベストセラー棚の大半を占める実用書群はどこまで行っても実用的で、書き手の存在感は控えめ。プロの物書きならではの文体のフレーバーを味わい、その奥にある独自の視点や感性、人生観に触れられるような良質なエッセイ本は、昔ほど主流ではなくなっているのでしょうか。
甲斐みのりさんの本には、フレーバーがあります。一見ガイドブックの体裁であっても、それらの作品から本当に伝わってくるのは「何処どこの何なにが美味しい」というようなお役立ち情報というよりも、「甲斐みのり的目線で街を眺めると、人生はもっと楽しい」というインスピレーションです(そして実は当Face to Faceもそんな方向を目指しているつもりです)。
今回のインタビューを行なった、東京都内・中央線沿線の某街。甲斐さんの感性を真似ながら商店街を歩いてみると、地元のお店はみんな元気そうに見えるし、人々の顔は輝いて見えてきます。地域活性化とか「まちおこし」って結局のところ、そこに住む人々が目の前にあるすてきなものに気づけるかどうか、そんな心の持ちよう次第です。
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