Vol. 200|富士山こどもの国 本原昌哉
大自然とあそぼう
「ふじさんだ〜パヤパ〜♪」で始まる、あの曲。静岡県民なら誰でも知っているテレビCMは、多くの人に楽しい記憶を思い起こさせることだろう。富士山こどもの国は、富士市桑崎(かざき)の高原地帯に広がる県営の都市公園だ。富士山麓の自然と四季の移ろいを感じながら、子どもと一緒にのびのびと過ごせる憩いの場として、静岡県東部のみならず首都圏から訪れるファンも多い。
開園から四半世紀を迎えるこの施設では近年、新たな魅力づくりに力を注いでいる。スタッフの本原昌哉さんはこれまでに、イベント企画や広報、園内での接客など、多岐にわたる業務を経験してきた。人と関わること、楽しい企画を考えることが大好きだという本原さんが思い描く青写真には、富士山の懐でいきいきと遊び、学び、交流する、世代を超えた人々の笑顔が写り込んでいる。
富士山こどもの国の概要について教えてください。
開園以来の変わらないコンセプトとして、雄大な自然の中で子どもたちが遊べる場、またそこから多くのことを学び、豊かな心を育むことができる場を目指しています。富士市の北の玄関口ともいえる標高800〜900メートルにかけての涼しい環境で、敷地面積は94.5ヘクタールの広大な公園です。
人々が集い賑わう「街」、自然や動物たちと触れ合える「草原の国」、カヌーやニジマス釣りが楽しめる「水の国」の3エリアで構成されていて、特徴的なのは、ジェットコースターや観覧車などの大きな設備がない点ですね。
「自然そのものが遊具」という考え方で、季節の変化に応じた遊びやイベントを楽しめます。夏は水遊び、冬は期間限定で人工雪を降らせた「雪の丘」でのソリ滑りや雪遊びが人気です。自然の中で全身を使う遊びは、子どもたちの夢や冒険心を育む貴重な体験になると思います。
また、名称は「こどもの国」ですが、ここは子どもだけが楽しむ場所ではありません。親・子・孫の3世代がそれぞれに活用できる施設を目指していて、飲食や雑貨販売の店が並ぶマルシェや各種親子体験教室、健康増進を目的としたノルディックウォーキングなど、大人も楽しめる企画を展開しています。
また地元以外への波及効果としては、ホテルロッジやキャンプ場での宿泊に加えて、クロスカントリーコースを利用した陸上部の合宿先として、大学や実業団の誘致にも力を入れています。最近では静岡・山梨両県を跨いで開催されるウルトラマラソン大会『ウルトラトレイル・マウントフジ』のスタート地点になっています。また2019年からはキャンプフェス『FUJI&SUN』の会場にもなっていて、有名ミュージシャンの野外ステージライブを目当てに全国からファンが集う一大イベントに成長しました。
先進的なユニバーサルデザインを採用している点にも注目ですね。
身体的な特徴や個性を問わず、誰もが利用しやすいよう配慮されたユニバーサルデザインは、1999年の開園当初から施設内のいたるところに反映されています。例えば、車いすやベビーカーを利用しやすいように通路の勾配を5%未満として、50メートル間隔で休憩スペースを設けています。また点字ブロックの設置など、実際に利用された方の声も参考にしながら、園内の環境整備に努めています。
障がいなどの有無だけでなく、多様性が尊重される時代となり、より多くの人に快適に利用してもらいたいという意識はありますね。これまでの「天気のいい週末に親子連れで遊びに行く場所」という固定化されたイメージを払拭することが、今後の課題でもあります。雨の日でも楽しめる、平日でも楽しめる、大人だけでも楽しめる、そんな空間を目指しています。
具体的には、屋根のある施設を有効活用したり、シニア層の方に向けた平日のイベントを充実させたりと、時代のニーズにも合わせながら、新しい企画を積極的に打ち出しています。手前味噌ですが、センスのいい若手スタッフがたくさんいるので、勤続10年以上の僕も刺激を受けながら毎日を過ごしています。
本原さんの前職は保育士とのことですね。
大学の専門は土木工学で、卒業後は下水道の設計会社で2年ほど、測量などの業務に就いていました。会社の近くに幼稚園があって、駐車場からの通勤途中に賑やかな園児たちの姿を見るうちに、「保育士も楽しそうだな」と思うようになりました。若い頃からラジオのDJに憧れていて、人前で話すことは好きだったので、大人数の子どもと直接関わる仕事にも興味が湧いたんですね。
バブル崩壊後で景気が悪くなっていたこともあり、思い切って会社を辞めて、名古屋の専門学校で保育士の資格を取ることにしました。当時、男性の保育士はまだ数えるほどしかいない状況だったこともあり、転職に猛反対する父からは、「せっかく大学まで行かせて就職もしたのに、お前はまた保育園からやり直すのか!」って、冗談みたいな怒られ方をしましたけどね(笑)。
専門学校を出てからは富士市内の保育園で勤務しました。園児の歌に合わせて弾くピアノの伴奏には苦労しましたね。あまりにもピアノが苦手なので、代わりにウクレレで演奏したら、意外にも園児のウケが良くて、それまで泣いていた子がウクレレの音でピタッと泣き止んだりして(笑)。
周りの先生方や子どもたちにも助けられながら比較的自由にやらせてもらいましたが、10年間勤めた節目に新しい領域に挑戦してみようと、富士山こどもの国に転職しました。保育士時代の経験は今の仕事にも大いに役立っていますね。例えば、子ども向けのイベントを企画する際に、「この内容だと3歳児にはちょっと難しいかな」とか、「これくらいの作業なら興味を持ってもらえるかな」といった感じで、子ども側の視点が感覚的に分かるんです。
こどもの国を
みんなの国に
とはいえ、スマートフォンやSNSの普及、そしてコロナ禍など、レジャー業界を取り巻く環境はずいぶん変わったのでは?
たしかに、最近の環境変化は激しいですね。以前は広報活動をする際に紙のチラシや割引券を近隣の幼稚園や保育園、小学校、子ども会などに配布して回りましたが、今は割引券や情報発信の大半をインターネット上に移しました。これによって園内の混雑状況や冬場の積雪情報などがリアルタイムで発信できるようにもなりました。
それと、やはり大きいのはSNSですよね。園内の絶景スポットなどで撮った写真や動画を、お客さん自身がSNSに投稿することで大きな反響があったり、逆に僕たちスタッフが「これが面白いの!?」と驚かされるものもあったり。昔はテレビでの情報発信が最強でしたけど、今はその上にSNSがある感じです。地域のあちらこちらを走り回って紙の割引券を配っていた頃が懐かしいですよ(笑)。
コロナ禍で閉園していた期間もありましたが、そんな時でも花はきれいに咲きますし、季節の表情は変わります。閉園中でも園内の魅力をSNSで発信できたことで、ささやかなPRになりましたし、再開を待ち望んでくださる方からのコメントも、スタッフには大きな支えになりました。コロナ禍前には及びませんが、おかげさまで来場者も順調に回復しています。
現場でお客さんと接していると、こどもの国の細かなところまでよく知っているリピーターの方や、イベントやコンテスト企画にいつも応募してくださる方がいることに気づきます。もちろんお叱りを受けることも反省すべき点も多々ありますが、お客さんが楽しんでいる姿を直接見られるのは、大きなやりがいですね。
公園としては大規模アトラクションなどの設備面が注目されがちですが、ここでは人と人のつながりが大切な資源なんですね。
お客さんだけでなく、園内の環境整備やイベントの実施などでも、地域の人々にはお世話になっています。花壇の剪定作業や自然観察会のガイドなどは専門知識を持った団体にお願いしていますし、特別支援学校の皆さんは園内の清掃活動や花植え活動に来てくださいます。各種親子体験教室やスポーツ大会、ゴールデンウィークのステージショーへの出演などでも、各分野で活動している地元の方にご協力いただいています。運営側から来場者へ一方的にプログラムを提供するのではなく、訪れた人同士が双方向で関われる生涯学習や地域交流の場としても、どんどん活用できたらと思います。
本原さんはプライベートでも、人と関わる活動をされているそうですね。
住んでいる地区ではまちづくり協議会に参画していて、地域の中学生と大人が語り合う機会を作るなど、生涯学習推進活動に取り組んできました。
またそれとは別に『富士むかしばなしの会』という団体の会長も務めています。地域に伝わる昔話や言い伝えを富士市がまとめて書籍化した『ふるさとの昔話』という本があるのですが、これを地元の大学生や高齢者の皆さんに朗読してもらって、音源として後世に残していこうという活動です。
こうして考えてみると、僕は仕事でもプライベートでも、人と関わっているのが好きなんでしょうね。そして人がやらないことでも、いいと思ったらなんでもやってみたくなる、出たがりの目立ちたがり屋(笑)。いろんな人と出会えることや、そこからさらに広がっていくご縁が一番の財産ですね。ご縁の輪はきっとこれからも広がりますし、どんな人に出会えるか、わくわくしています。富士地域には魅力的な活動をしている個人や団体がたくさんいらっしゃいます。大自然の恵みがある富士山こどもの国に、人の恵みもかけ合わせて、世代を超えて愛される場所にしたいんです。
SNSでの情報発信がどれだけ便利で盛り上がっても、やっぱり最後は顔を合わせる人と人。吹奏楽の演奏でイベントに参加してくれる高校生の中に、かつて僕が勤めた保育園の園児だった子がいるんです。自分が抱っこしてお世話をした子が、今では僕よりも背が大きくなっていて(笑)。そんな姿を見られることもこの仕事の喜びですし、さらにその子たちが大人になって、いつか自分の子どもを抱っこして来園してくれたら、どんなに嬉しいでしょうね。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
本原昌哉
1974(昭和49)年9月5日生まれ(48歳)
富士市出身・在住(取材当時)
もとはら・まさや/吉原第二中、東海大学工業高校(現・東海大学付属翔洋高校)、東海大学海洋学部海洋土木工学科を卒業。地元の設計会社で2年間勤務した後、名古屋文化学園保育専門学校に通う。2002年より10年間、緑ヶ丘保育園(富士市今泉)に保育士として勤務。2012年、富士山こどもの国の指定管理会社である小泉アフリカ・ライオン・サファリ株式会社に入社。以後、富士山こどもの国のイベント企画や園内での接客サービス担当などに幅広く携わり、現在に至る。プライベートでは、地域に伝わる昔話を市民の朗読により保存・伝承していく任意団体『富士むかしばなしの会』の会長も務める。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
私も東京から静岡県東部へUターンしてきた口ですが、大人になってあらためて生まれ故郷で暮らしてみると、都会にも自然にもどっちにも近いこのエリアの地の利をいつも感じます。休日に都心を脱出するだけで1~2時間の渋滞を抜けなければならないような都会住人から見れば、ほんの20分やそこらで自然の中に出られるというのはとんでもない魅力です。本原さんの言葉を借りれば「中心市街地から交差点を3回曲がれば自然の中にたどり着く」くらい恵まれた場所に私たちは住んでいます。
人生の質(クオリティ・オブ・ライフ)の大事な要素のひとつとして、生活の便利さと自然環境の豊かさとのバランスが挙げられるでしょう。都市の利便性を享受しつつ、休みの日には富士山こどもの国のある富士裾野線・丸火・越前岳方面に出かけて山歩きを楽しむもよし、旧富士川町・芝川町・柚野方面の渓流や田園風景を眺めるもよし、朝霧方面の高原の空気を味わうもよし、伊豆方面に行くもよし。もちろん、市内の公園でゆったりした時間を過ごすのもよし。移住促進においてもアピールすべき、この地域の大きな武器です。
と、そんな地元の魅力を伝えるために始めた『FacetoFace』はおかげさまで今月200号。これからも地域に暮らす「人」にフォーカスしてストーリーを伝えていきます。沼津地域のネタやおすすめスポット情報なども少しずつがんばっていきますので、どうぞお楽しみに。
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