Vol.223 |表富士宮口八合目池田館 池田裕之
雲の上の2ヵ月
夏の晴れた夜に富士山を見上げると、山肌にいくつかの灯りが輝いて見える。登山道の各所にある山小屋から届く光だ。富士山信仰や巡礼の歴史とも密接に関わり、古くは「室」と呼ばれた山小屋は、日本最高地点へ向かう道標として、また疲れを癒す数少ない拠点として、現在の富士登山においても重要な存在であることに変わりはない。
標高3,250メートル、富士宮口登山道で『表富士宮口八合目池田館』を経営する池田裕之さんは夏の2ヵ月間、毎年ここで登山者の姿を見送り続けている。富士山そのものは300年余りにわたって静かな姿のままだが、近年では世界文化遺産登録、外国人旅行者の急増、コロナ禍、入山規制の導入など、富士登山を取り巻く環境の変化は多い。今回のインタビューでは、意外と知られていない山小屋業務の現場について貴重な話を伺うことができた。また、富士山を訪れる登山者だけでなく、地元で生まれ育った池田さん自身の「富士山観」も、長い年月を経て変化していることが印象的だった。
池田館ではどのようなサービスを提供していますか?
富士山富士宮口登山道の開山期間にあたる7月10日から9月10日頃までの2ヵ月間限定で、登山者に宿泊、売店、トイレなどを提供する民間施設として営業しています。富士宮口の山小屋は現在8軒あって、池田館は五合目登山口から3時間半ほど登った八合目にあります。各山小屋ごとにサービスは違いますが、うちは宿泊専門で、食事のみの提供や休憩所としての開放はしていません。宿泊は完全予約制で、夕食と朝食がセットです。とはいえ大半のお客さんが夜中のうちに頂上へ向けて出発するので、朝食は軽食とコーヒーを事前にお渡しする形です。宿泊可能人数は約150名ですが、登山シーズンが始まる時点で多くの日が予約で埋まっています。
目の前には箱根の山々や伊豆半島、遠くは房総半島まで見渡せます。朝焼けや雲海も絶景ですし、8月下旬になると方角的に日の出も見えるようになるので、ここでご来光を眺めて、少し休んでから頂上を目指す人もいます。また、山小屋に泊まる魅力の一つが星空です。晴れていれば下界ではあり得ないほどの満天の星と、天の川の帯まではっきりと見えます。夜は気温が一気に下がって氷点下になることもあるので防寒着は必須ですけど、ぜひ一度満喫してほしいですね。

愛鷹連峰と富士市街方面を見下ろす

岩場を登る登山者と目前に迫る巨大な宝永火口

感動的なご来光は富士登山のハイライト
池田さんやスタッフの皆さんはどのように過ごしているのですか?
基本的にシーズン中は八合目に登りっぱなしです。水と燃料がものすごく貴重なので風呂に入るのは数日に一度で、なにより同じ場所に2ヵ月間ずっといるんですから、我ながらすごい仕事だなと思います(笑)。
今年は僕と妻とアルバイトスタッフの計9名で、24時間対応の業務もあるのでスタッフは交代制、僕はたいてい朝4時起きです。7時のチェックアウトまでにお客さんを送り出して、ひと通りの掃除が終わると、おやつにしたり、順番に休憩したり。昼間は売店業務や金剛杖に押す焼印の対応、トイレの案内係などをそれぞれ担当します。夕方には次の宿泊客が続々と登ってくるので大忙しです。
また、池田館の隣には富士宮ルートで唯一の診療所があって医師が常駐しているので、先生への食事の提供や体調不良の登山者への対応も重要な仕事です。
富士山全体では世界遺産登録以降、外国人の登山者が急激に増えました。その少し前には、登山を趣味とする女性が「山ガール」と呼ばれて流行ったのも大きかったですね。残念ながらゴミやマナーの問題でトラブルになることもありますが、2025年から富士宮口でも4千円の入山料を徴収することになったのと、夜を徹して無理に登る、いわゆる弾丸登山を禁止して14時以降は宿泊の予約がないと入山できないルールにしたことで、登山者の意識や行動はずいぶん改善されたと思います。
でも実際のところ、お客さんがいる時間帯はずっと忙しくて、僕自身がお客さんと直接話す機会はあまり多くないんです。山小屋のオーナーというと、登山者と一緒に暖炉を囲んでギターでも弾きながら毎晩語り合う、みたいなイメージを持つ人もいるんですけど、毎日150人のお客さんに対応しながらそんなにのんびりはできませんよね(笑)。

山小屋の屋根は布団を干せる貴重な作業スペース

金剛杖に登山記念の焼印を押す池田さん

診療所(写真奥)もある八合目は重要な拠点
閉山中の10ヵ月間は何をしているのでしょうか?
周りからは冗談半分で、「1年のうち2ヵ月しか働かないなんて、楽でいいよね」って言われるんですけど、閉山中も遊んで暮らしているわけじゃないことは声を大にして言いたいです(笑)。山小屋経営者の大半は登山シーズン以外に別の仕事を持っていて、僕は富士宮市内で農業をしています。山小屋の仕事も春には宿泊の予約が始まって、住み込みアルバイトの募集をして、6月以降は開山までに3回ほど、山小屋に水や資材を運ぶ準備作業があります。また、冬の間に雪や強風で傷んだ部分の補修も必要です。春になると登山道とは別の道路から重機が入って除雪や整備をするので、開業準備で登る際はそこに便乗させてもらっています。
富士山の山小屋の歴史は古くて、江戸時代以前から登山者の宿泊施設として各所に石造りの室が設置されていました。池田館のある場所がいつからどのような経緯で営まれてきたのかは、実際のところよく分かっていないんですよ。明治の頃に妻の曽祖父が山小屋の運営を引き継いだとは聞いています。僕は婿として池田家を継いでいるのですが、家業では4代目になりますね。妻と結婚する前年から山小屋を手伝うようになって、先代の引退以降は代表として経営を担っています。
山小屋で過ごす夏は今年で28年目になりますが、池田家の一員になったことで人生が大きく変わったのはたしかですね。だってもともとは海とサザンオールスターズが大好きな人間で、船舶の免許まで持ってるんですよ(笑)。高校卒業後は富士宮市内のメーカーに就職して、その後は不動産や建築関連などいくつかの仕事に転職しましたが、普通の会社員だと夏の2ヵ月間だけ富士山に行くから休ませてくれというのはなかなか難しくて、結果的にオフシーズンは農業をやるようになりました。それでも最近は山小屋が集まる組合の組合長や富士宮市観光協会の副会長を頼まれて、冬でも山小屋関係の仕事や会議が入ってきます。ちなみに僕は8月生まれなんですけど、毎年8月はずっと富士山の上にいるので、いろんなお店のポイントカードの誕生月特典をもらったことがないのが悔しいです(笑)。
富士山は
当たり前で特別な存在
仕事現場でも、特殊な環境ならではのエピソードがたくさんありそうですね。
特殊といえば、まずは天候ですね。富士山麓に雨が降っていても、雲の上の八合目は快晴ということはよくありますし、逆に上だけ大荒れということもあります。ここから見下ろすと、巨大な台風の雲が迫ってくる様子や線状降水帯の雨の筋がはっきりと分かります。
最近怖かったのは、雷ですね。富士山に雷が落ちることは珍しくないんですが、その時は池田館のすぐそばで雷が発生したんです。髪の毛がふわっと逆立ってきて、最初のうちはみんなで面白がっていたんですけど、そのうちにバキバキッ!とものすごい音がして。お客さんやスタッフは比較的安全な場所に避難してもらったんですけど、屋外にある鉄板や発電機、室内の蛍光灯からも火花が出ていました。遠くで見る稲光は黄色や白のイメージがありますけど、間近で発光する稲光は赤いんですよ。でもそういう極端な悪天候の時に限って、その後は一気に晴れて、真っ赤な夕焼けや澄みきった街の夜景がものすごくきれいなんですよね。このダイナミックさが富士山の魅力でもあります。
そして面白いのは、やっぱり人です。長年定点観測をしていると、富士山にはいろんな人がやってきます。神聖なイメージからか、夢でお告げを聞いて登ってきたという人がいたり、汲み取り式のトイレが怖くて、使用中もドアを開けっぱなしにしておいてくれと頼んでくる人がいたり(笑)。そして全国各地からアルバイトスタッフとして来てくれる若者たちも、個性豊かです。夏の間だけ集中的に働くので、夢や目標があって短期間でお金を稼ぎたい子や、写真が趣味で休憩時間にカメラを持って歩き回る子、大学から大学院生の間毎年働きに来て、修士論文に使うデータとして登山者にアンケート調査をしている子など、さまざまです。
最近は女性の応募者も増えてきました。今は山小屋でもインターネットが使えて、各自持ち込んだスマホで休憩時間を過ごしてはいますが、わざわざ遠方から働きに来て頂上まで行かないまま帰らせるのもかわいそうなので、8月後半の天気のいい日には、記念に山頂まで行っておいでと送り出しています。このアルバイトで知り合って一生の友になったという話も聞きますし、彼らにとっても価値のある経験になっていたら嬉しいですね。

先人たちが築いた石垣の上に建つ池田館

山頂への英気を養う宿泊スペース(個室)
それぞれの出来事が富士山によってもたらされたご縁なのでしょうね。
僕は富士宮で生まれ育ったので、毎日目にする富士山を当たり前の存在だと思ってきました。初めての富士登山は中学1年の学校行事でしたが、九合目で急に気分が悪くなって、結局頂上までは行けなかったんです。その時は「富士山はもういいや、一生登らねーぞ!」って思ったくらいです(笑)。
それでも今になって思うのは、富士山は登山者にとってはもちろん、麓で暮らす我々にとっても特別な存在だということです。豊富な伏流水のおかげで水道水は安くて美味しいですし、食や観光資源にも富士山由来のものがたくさんありますよね。富士登山のPRイベントなどで県外に行くことがあるんですが、名刺交換をするとたいてい、「すごい!あの富士山で山小屋を経営してるんですか!?」って驚かれるんです。やっぱり富士山の知名度は抜群ですし、国内外から毎年多くの人が訪れるということは、本当に愛されている山なんだと思います。
また、八合目から上は浅間大社の「奥宮境内地」、つまり神域とされていて、その一部に身を置いて働かせてもらうことには特別な思いがあります。富士山同様、子どもの頃は近所にある浅間大社を意識することはほとんどなくて、訪れるのはお祭りの時だけでしたが、今では前を通れば自然と手を合わせる気持ちになります。富士宮市観光協会の一員として地域の賑わいづくりに目を向けた時に、やはりこの街は浅間さんが中心にあって、歴史や文化を作ってきたんだなとつくづく感じます。地域の顔でもあり、世界的な文化遺産でもある浅間大社と富士山を、僕は僕の立場からずっと大事にしていきたいですね。

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
池田 裕之
表富士宮口八合目池田館 オーナー
1972(昭和47)年8月27日生まれ (54歳)
富士宮市出身・在住
(取材当時)
いけだ・ひろゆき/ 富士宮東小、富士宮第一中、星稜高校卒。製造・建築・測量などの地元企業での勤務経験を経て、妻・徳子さんの家業であった富士山の山小屋『表富士宮口八合目池田館』の業務に1999年から携わり、翌年結婚。以後は毎年登山シーズンを富士山で過ごし、2016年より代表として現在に至る。富士宮口の関連事業者が加盟する富士山表富士宮口登山組合の組合長のほか、富士宮市観光協会副会長なども務め、富士登山のPRや安全への啓発活動にも注力している。
表富士宮口八合目池田館
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
皆さんは富士山に登ったことありますか?私はあります(えっへん)。おっと、皆さんの答えは分かってますって。「富士山周辺地域の住民はなぜか富士山に登りたがらない」というのが定説ですから(笑)。でもなぜでしょうね。毎日見てるとそれだけで満足してしまうからでしょうか。
今回のお話は、当紙が(とくに富士山に惹かれて西日本から富士市に移住してきたという編集部の飯田くんが)いつかやりたいと長年夢見てきた企画でした。そのためいつもより取材に力が入って、この8月に私と飯田くんとで池田館のある八合目まで登っちゃいました(そんなわけでこの総評もいつもより長く書いています)。インタビュー自体は下界の富士市でオフシーズンに行ないましたが、それだけではリアリティがお伝えできない!と思ったのです。
当日は朝6時半に五合目登り口まで行き、そこで30分かけて気圧に身体を慣らしてから7時に登山開始です。富士宮市制作の富士登山パンフレットによると、そこから八合目までが正味3時間25分。30〜60分ごとに10分の休憩を入れるように書いてあるので、およそ4時間〜4時間半の道のりですね(実際には5時間かかりました)。途中、六合目、新七合目、元祖七合目という3つの中継地点があり、それぞれに山小屋があります。富士宮口ルートには池田館含め8つの山小屋があり、合わせておよそ千人が宿泊できる計算です。今回はもちろん池田館で夜を過ごしました。
登りでは薄い空気のなか、30分どころか30メートルごとに立ち止まっては息を整え(空気が薄いため息が上がって会話することさえままなりません)、下りでは五合目のゴール目前でもはや脚に力が入らなくなって、何もないなだらかな砂地で気づいたらバタンと倒れこんでいたという(箱根駅伝のアンカーのように、といえばかっこいいですが)、運動不足の50代男子にとってそれは久しぶりの非日常的苦行体験でした。昔の人々がこれを宗教行為として行なっていたのも頷けます。
冒頭でえらそうに書きましたが、これが私にとって初めての富士登山です(ちなみに飯田くんは20年ぶり3度目だそうです)。しかもじつを言えば八合目止まりで、山頂までは行ってません。とはいえ、池田館すぐ上の鳥居を越えて神社境内には足を踏み入れたので(八合目から上が富士山本宮浅間大社の奥宮とされています)、これはもうほぼ登頂したと言ってしまってもいいですよね。一番高いところ以外は頂上じゃないなんて誰が決めたんでしょう。
日没後は曇り空で残念ながら星空を見ることは叶いませんでしたが、朝5時前に訪れた素晴らしいご来光を拝むことができました。下界を覆う雲が晴れ、夜明けを迎える沼津と富士の街明かりも見えました。それはまさにマジカル・モーメント(魔法の時間帯)でした。
地元に住んでいながら富士山に登ったことがないという人は(先月までの私を含め)たくさんいますが、いつも遠くから眺めている景色の中に自分自身が入ってみるという経験を一度すると、たしかに富士山の見え方が変わります。私はこれから毎日、富士山を目にするたびに「ああ、あそこに行ったんだなあ」と思い、あのごつごつした溶岩質の山肌や澄んだ空気、朝焼けに美しく浮かび上がる稜線を思い出すことでしょう。自分の住む街に「いつもどこからでも見える場所がある」というのは、たぶんとてもラッキーなことなのです。
ちなみにこれはまったくの偶然なのですが、今号はVol.223(=ふじさん)でした。
- Face to Face Talk
- コメント: 0
関連記事一覧
Vol. 119|冨士日本刀鍛錬所・刀匠 内田 義基
Vol. 110|チャイルド・ライフ・スペシャリスト 桑原 ...
Vol. 107|作曲家 渡井 ヒロ
Vol.111 |青年海外協力隊 平成24年度3次隊 隊員 ...
Vol. 192|テディベア作家 清 祥子
Vol.102 |富士レディースFC 代表 後藤 敏江
Vol.215 |陶芸家 芦澤和洋
Vol. 170|薬菜健康クラブ 代表 浅野 龍雄
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。











この記事へのコメントはありません。