Vol. 217|おもちゃのキムラ 店主 木村 光亮

わくわく玩具店
東海道五十三次14番目の宿場・吉原宿。高潮の被害を受けて江戸時代前期の1680年に移転し、現在も富士市・吉原商店街として往時の面影を残している。
この商店街のほぼ中央、吉原本町通りに面した場所で戦後間もなく開業した玩具店『おもちゃのキムラ』の3代目店主・木村光亮さんが今回の主人公だ。持ち前のアイデアと行動力で時代の変遷に順応し、量販店やインターネット通販と対峙しながらおもちゃ屋を切り盛りする一方、人間関係が希薄になりがちな現代において、世代という縦軸、地域という横軸を強烈に意識し、大切にしながら日々を送る木村さん。その人生観には、歴史ある吉原の地に受け継がれた「結」の精神が垣間見えた。
背負うものが少なければ身軽で快適かもしれないが、大事なものを自ら多く背負って歩む幸せも、たしかにある。木村さんが見せる笑顔はきっと、後者のそれだ。
令和の時代、商店街にある個人店のおもちゃ屋さんは貴重で魅力的な存在ですね。
この地で代々続く床屋を営んでいた祖父が1948年に転業して始めた店で、おもちゃ屋としては僕が3代目です。創業当初は手づくりのおもちゃや人形を販売していて、生計を立てるのに相当苦労したそうです。そのうち鯉のぼりや雛飾りなどの節句物も扱うようになり、戦後のベビーブームの需要でなんとか軌道に乗せたと聞いています。
ただ、その後も時代は変わり続けて、量販店の出店やインターネット通販の普及に加えて、止まらない少子化です。全国的にも少なくなった商店街のおもちゃ屋の経営環境は厳しくなっていますが、大手にはできない手間と工夫で地道に頑張っています。
例えば、モーターで走るプラモデルの『ミニ四駆』は長年の主力商品ですが、これを普通に売っても量販店には勝てません。そこで僕は仕入れたセット商品を細かな部品に分けて、それぞれを個別に販売しています。
ミニ四駆は部品を交換・改造することで速さを追求するのが特徴で、「この部品だけを買いたい」という需要があるんです。1個50円の部品にまで徹底的にバラして売るのは量販店には真似できませんし、店舗だけでなくネット販売でもバラ売り商品を充実させることで、全国から一定の注文が入る仕組みも作りました。先日遠方から来たお客さんが、「こんな小さな部品まで売ってる店、東京にもないですよ」と驚いていました。
ものすごく手間はかかりますが、もともと几帳面な性格も功を奏して、今ではミニ四駆のどの部品がどの商品に入っているか、その知識では誰にも負けない自信があります。ただ、それは速く走らせるための知識ではないので、僕がミニ四駆のレースに出てもまったく勝てませんけどね(笑)。

時代を感じさせるおもちゃが並ぶ昭和30年代の『おもちゃのキムラ』店内

細かく分けられたミニ四駆の部品を買い求めに来店する常連客も多数
小規模店ならではのアイデアと戦略ですね。
おもちゃは既製品を仕入れて売るのが基本ですから、他店との差別化なんてできない、結局は安売り競争で大手に負けるだけだと、以前は言い訳もしていました。そんな中でも、自分が得意なこと、一番になれることはなんだろうと真剣に考えた結果、ミニ四駆のバラ売り部品で日本一の品揃えを目指すという活路を見出しました。ほかにも、知育玩具や立体パズルの品揃えには自信を持っています。半分は自分の好みで置いているんですけど、なるべくアナログな、手触り感のあるおもちゃにこだわりたいという思いはありますね。
また、小売店ながらオリジナル商品の開発にも取り組んでいます。富士山が世界文化遺産に登録された際に発案した『ふじさんがらがら』という木のおもちゃは、出産祝いとして人気の商品です。当時は自分に娘が生まれた直後で、赤ちゃんが安全に遊べるものや木のおもちゃを意識して取り揃えていたところ、富士山の形をしたおもちゃがあったら面白いかもしれないと思いついて、地元のデザイナーや木工職人さんの力を借りて商品化しました。
また最近では、富士市を中心に活躍するイラストレーターと書家の方にデザインしてもらった富士山Tシャツを発売しました。これはおもちゃというより、僕の率直な地元愛、富士山愛を形にした商品ですが、多くの人に着てもらえたら嬉しいですね。
お店を継ぐことは幼い頃から決めていたのですか?
物心がついた頃からなんとなく、「おもちゃ屋に生まれた自分は恵まれているなぁ」という感覚はありました。僕は小学生の頃にテレビゲームが登場した、いわゆるファミコン世代ですが、家がおもちゃ屋だと当然みんなに羨ましがられますから(笑)。でも実際にはおもちゃ屋の子だからといってゲームをたくさん持っていたわけじゃありませんけどね。
意外だったのは高校生になってからも、店から離れた地区に住む友達に、「えっ、お前の家ってあのおもちゃのキムラなの!?」と言われたことがあって、改めて誇らしく感じました。これはまさしく祖父や父たちの頑張りのおかげで、感謝しかありません。店を継ぐことを誰かに強制されたわけではありませんが、今にして振り返ってみると、おもちゃ屋を継ぐことが子どもの頃からの夢だったのかもしれませんね。
大学卒業後は東京の日用品卸売企業で営業担当として2年半ほど勤めました。いずれ家業を継ぐ前提で、小売だけでなく製造や物流に近い分野の仕事も経験してみたかったからです。1999年から地元に戻って店の経営に携わり、8年ほど前に父から代表を引き継ぎました。ちょうど50歳の節目を迎えましたが、祖父や父が育ててきた『おもちゃのキムラ』の看板を残していきたいという思いは、歳を重ねるごとに強くなっています。
吉原商店街全体の事業にも積極的に取り組んでいるそうですね。
現在は吉原商店街振興組合の副理事長を務めています。店主たちが集まって、商店街の課題について話し合いながら、活性化のためのイベントを企画・開催しています。毎年2月の『吉原まるごとマルシェ』と10月の『吉原宿宿場まつり』、またこれまでは月に一度の『吉原宿一の市』を18年間続けてきましたが、今年からそれに代わる『吉原アーケードマーケット』という新イベントを立ち上げて、実行委員長を務めています。
商店街に足を運んでくださるお客さんの要望は変化しますし、出店者さんとの交流や意見交換も重要です。『吉原再発見』をテーマに、老舗と新しい店、さらに他の地域からの出店者が協力して、賑わいのある商店街にしていきます。3ヵ月に一度のペースでこれまで2回開催しましたが、若者向けの出店を増やして、音楽のステージや単発の企画を盛り込んだことで、おかげさまで来場者数は好調です。ゆくゆくはイベント出店者さんに商店街の空き物件で実店舗を構えてもらうことも目標にしています。
この商店街はただお店が集まっているだけじゃなく、東海道の宿場町としての歴史があります。また実際に、江戸や明治から続く老舗も残っています。今おもちゃのキムラがあるこの場所には江戸時代、身分の高い人が宿泊する脇本陣があったそうです。また『木村床屋』だった頃の店は明治の古地図に載っていて、今から116年前に大相撲の横綱が巡業で宿泊した際の写真まで残っています。そう考えると、この地に身を置くことは商売のためだけじゃなく、歴史の重みを受け継ぐ責任も伴っていると感じます。

多くの人出で賑わう新たなイベント『吉原アーケードマーケット』

『木村床屋』に横綱・梅ヶ谷(二代目)が宿泊した際の貴重な写真(明治42年)

店・街・祭りを“定め”として生きる
そして吉原商店街といえばやはり、毎年6月の『吉原祇園祭』ですよね。お祭りについてはどのような関わり方をしていますか?
関わるどころか、祇園祭を中心に一年を過ごしているようなものですよ(笑)。もちろん自分の店も大事、商店街も大事ですが、やっぱり根っこの部分はお祭りでつながっている地域であり、人間関係なんですよね。僕は生まれ育った本町二丁目、お祭りでは『本甼區』と呼ばれる町内で活動しています。準備も含めた1ヵ月間はとてつもなく濃密で、お囃子の太鼓や笛の練習が週に6回、そして練習の後は毎回飲み会。しかも2時間練習して3時間飲むって、ちょっとやりすぎですよね(笑)。
でもそのおかげで町内の仲間意識は強くなりますし、世代を超えて伝統を継承していく意味は大きいと思います。うちの町内にだけ伝わっているお囃子もあって、太鼓の演奏は書面化されていますが、笛はすべて先輩からの口伝と実際の音を聴いて覚えないといけません。お祭りが終わると身も心もぐったり疲れ切って、心底ホッとするんですけど、不思議なことに次の年にはちゃんとまたお祭りに戻ってくるんですよね(笑)。
時代によって地域の活動や人付き合いの価値観も変わってきて、お祭りは面倒だから一切出ないという人もいます。もちろんそういう考え方も否定はしません。ただ、僕も仕事は忙しいですし、お祭りにも出なければ楽なんでしょうけど、ふと先祖の遺影や店の古い写真なんかを見ると、逃げるわけにいかない、自分が率先してやるしかないっていう気持ちになるんですよね。それはもう自分に与えられた定めのようなもので、今はむしろそれを全うして生きていきたいと思っています。

吉原祇園祭で神輿を担ぐ木村さん(左から3人目)
お店、商店街、お祭りと、木村さんは幾重にも地域と交わっているのですね。今後はどのような活動をしようと考えていますか?
おもちゃ屋としては、少子化のニュースを見るたびに危機感を覚えます。しかも最近の子どもは放課後や休日も習いごとなどで忙しいですよね。店ではミニ四駆レースやカードゲームなど、メーカー公認の大会を毎週のように開催していますが、昔と比べて子どもの参加者はかなり減りました。それでも、おもちゃを通じて仲間と一緒に楽しめるリアルな体験を大切にしてほしいですし、そういう場をこれからも提供していきたいです。
また、僕はディズニーアニメの『トイ・ストーリー』が大好きなんですけど、子どもたちにはおもちゃへの愛着や物を大切に扱う心を育んでほしいですね。たとえ既製品のおもちゃでも、手にした瞬間からその子にとっては唯一無二の存在、まさにトイ・ストーリーです。彼らが大人になってからも、「実家の近所におもちゃのキムラっていう店があってさ」と語ってもらえるような思い出の場所になれたら、すごく嬉しいですね。
その一方で地域を見渡すと、変わっていくもの、変えるべきこともあって、特に今後の鍵になるのは観光だろうと思っています。最近では吉原商店街を歩く外国人観光客も多く見かけるようになりました。外国人の宿泊を意識したホテルもできましたし、料亭や和菓子店など彼らの心を掴めそうな店もたくさんあるので、商店街としてもっと積極的に発信していかないと。
幸いなことに、僕よりも優秀で柔軟な考えを持った若者たちが商店街の運営に関わってくれていますし、県外からも新しい人材が入って面白い活動をしています。なにより僕自身も、やってみたいことがまだたくさんあります。地方の商店街と聞くと暗いイメージを持つ人もいますが、僕はこの地域の未来は明るいと信じてワクワクしています。吉原はこれからもっと楽しくなりますよ。

店内で開催の『ベイブレード大会』では子どもたちの熱戦が繰り広げられる
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa

木村 光亮
おもちゃのキムラ 店主
1974(昭和49)年10月14日生まれ (50歳)
富士市出身・在住
(取材当時)
きむら・みつあき/富士市・吉原商店街の玩具店『おもちゃのキムラ』を営む家の長男として生まれる。吉原第一中、富士東高校、山梨学院大学卒。都内の日用品卸売企業に約2年半勤務した後、地元へ戻り家業に従事。現在は3代目店主として経営を担う。得意分野の商品に特化した販売戦略で差別化を図りながら、富士山を絡めたオリジナル玩具やグッズを開発するなど、地元を盛り上げる活動にも積極的に取り組む。吉原商店街振興組合では副理事長を務め、商店街主催のイベントでも長年にわたりリーダー的役割を果たす。毎年6月に開催される吉原祇園祭をこよなく愛する生粋の『吉原っ子』。
おもちゃのキムラ
富士市吉原2-13-7
TEL 0545-52-1382
営業時間 10:00〜19:00
水曜定休 駐車場あり


ふじさんがらがら
1,980円(税込)
富士山麓のヒノキを使用し、富士市在住のデザイナー・鈴木雄一郎さんがデザインを担当した、おもちゃのキムラ初のオリジナル玩具。赤ちゃんの安全に配慮した素材とやさしい手触りで、出産祝いとして何度も購入するファンも多い。2013年グッドデザインしずおか奨励賞受賞。
キムティー(富士山Tシャツ)
2,970円(税込)
富士市内の桜の名所・龍厳淵や田子の浦を詠んだ万葉集の歌などを美しく表現した、外国人観光客も意識した新商品。こだわったのは右稜線に宝永山がある「富士市から見た富士山」。富士市在住のクリエイター・コイズミチアキさんと書家・宮久保胡蝶さんによるコラボで実現した。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
20年の東京生活を終えて地元に帰ってきたときに最初にしたことは、記憶の中にある街と実際の2011年の富士との突き合わせでした。何が変わってしまって、何が変わらずにいるのか。おもちゃのキムラがまだそこにあったことをとても嬉しく感じたのを覚えています。
富士駅エリアで育った自分ですが、祖父母の営む写真館が吉原商店街のすぐ裏にあったので、おもちゃのキムラは幼少期のお気に入りの場所でした。商店街から裏通りまで貫通する特徴的な細長い作りの店舗。表口から入って裏口に向かうにつれてジャンルや対象年齢層が変化していく商品棚は、まるでおもちゃの博覧会みたいでわくわくしたものでした。
おもちゃというのは大人になった僕らをつなぐ共通言語です。同じ時代のなかで少年期を過ごした者同士だからこそ通じ合うノスタルジーの共有。世代によってそれはガンプラだったりファミコンだったりミニ四駆だったり。もちろん男子がそれらに夢中になっている間、女子たちはまた別のおもちゃに夢中になっていたのでしょう。そしてそんな思い出の舞台としてのおもちゃ屋さんに対しても、特別な懐かしさを感じる人は多いと思います。
同じ時代感の共有、あるいは同じ地元感の共有。木村さんにとって「おもちゃのキムラ」も「吉原祇園祭」も、過去から未来へ承継し守っていかなければならない「みんなの共通言語」です。それらを担うことはほとんど宿命みたいなものだったけれど、「だってこれが俺の定めなんだからさ」ってな具合にひょいっとみんなの期待を背負ってみせる木村さんは、最高にかっこいいです。
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