Vol. 124|ふじかわっこ!ZERO遊び塾 塾長 大道 和哉

0の遊びは無限大

富士市の旧富士川町エリアを中心に、「遊び」を通した青少年育成活動を行っている「ふじかわっこ!ZERO遊び塾」。塾長を務める大道和哉さんは、現役の富士市職員として青少年育成事業に携わってきた経歴を持つ。その反面、公共の枠組みとは異なる視点で、子どもたちの成長や地域との関わりを持続的にもたらす場の必要性を痛感してきたという。 子どもたちとの遊びの中で芽生えた「なんで?」を見つめ、0からともに考えながら身近な命の大切さを感じることをテーマとしたこの活動は、教え育てる「教育」から、共に育とうとする「共育」へとシフトしながら、世代を超えた人と人との相互作用を生み出している。

『ふじかわっこ!ZERO遊び塾』の活動内容について教えてください。

NPO法人富士川っ子の会が主催する事業で、長年にわたって継続してきた『富士川っ子エコクラブ』という活動をリニューアルして3年前に誕生しました。富士市在住の小学生を対象に毎月1回、富士川まちづくりセンターを拠点に活動していて、さまざまな遊びと学びのプログラムに取り組んでいます。今年度は45名の子どもが参加して、サツマイモの栽培や収穫、それを残さず食べるまでの体験や、電車に乗って旅に出る体験、伝統的な日本の遊び体験などを実施してきました。 モデルとしたのは御殿場や裾野で30年以上続いている『わんぱく遊び塾』という活動で、そこに富士川地区の特性などを絡めながらオリジナルのプログラムを考案しています。顔と顔が見える距離感を重視しているので、無理に参加人数を拡大していくつもりはありませんが、富士市内には他にも『富士市青少年指導者の会ふじまる』という団体があって、広見公園などを中心に遊び塾の活動を行っています。お互いに情報交換や交流も重ねているので、今後も各地域で同じような取り組みを始める有志が出てきてくれることを期待しています。

この活動を担うスタッフの皆さんはボランティアなんですね。

遊び塾の特徴として、子どもたちと向き合い、ともに遊んで学ぶリーダーの存在があります。現在は40代前半までの男女社会人に加えて、大学生や高校生も参加しています。僕も含めて全員がボランティアですので、報酬などはありません。月に一度子どもたちと泥まみれでクタクタになるまで遊ぶのは大変ですが、子どもたちから教わることや活動を通じて得られる感動がたくさんあって、意外とハマる人もいるんですよ(笑)。社会人としての人間関係は仕事だけに限らず、家族や町内会、PTAなど地域での役割も否応なしに出てきます。まだ若いリーダーたちも、ここでいろんな経験を積むことで、地域社会と関わる上での人間的な軸ができます。そういった感覚を持つ青年を増やしたいという思いもあって、リーダーは随時募集しています。 また富士川っ子の会では遊び塾の活動に加えて、『寄り合いどころかわっこカフェ』という事業も同時開催しています。年配の方を中心に、地域住民が気軽に顔を合わせて語らいながら、地元をもっと好きになってもらおうという取り組みです。僕が関わるずっと前から青少年健全育成に尽力してこられた大先輩の皆さんがそばにいてくれることで、遊び塾の活動にも安心感が増します。実際、遊び塾の参加者同士でけんかをしてしょんぼりしてしまった子が、かわっこカフェの部屋に一時避難して、おじさんおばさんに優しくしてもらうことで心が復活、みたいなこともよくあります(笑)。僕たちリーダーとしても、いつも甘えさせてもらっている心強い存在です。

「みんなで考えよう」プログラムでは毎月さまざまなテーマについて子どもたちが主体的に考え、お互いに意見を出し合う。

約300年前から続く伝統行事「岩淵鳥居講」について学び、地元への愛着と理解を育む。(富士市岩淵・八坂神社にて)

遊び塾に参加した子どもたちにはどんな変化や成長がありますか?

まず自信を持って言えるのは、「いただきます」の意味をしっかりと理解できるようになることです。食事を用意してくれた相手への感謝の言葉であることはもちろん、食材を育ててくれた人への感謝、さらにはあらゆるものには命があると捉えて、その命を食すことで自分の命が支えられているということを、活動中に何度となく伝えています。命への敬意と謙虚な姿勢が健全な人間形成の基本だと考えているからです。 また、参加している子どもたちは本当に個性豊かですが、中には落ち着きがなくじっとしていられない子もいます。とはいえ、遊び塾は学校とは違うので、危険な行為でない限り、基本的には『ああしなさい』『これはダメ』と強制はしません。わざわざ学校が休みの日に遊びに来ている子どもたちを必要以上に縛り付けたら、そもそもこの活動の意味がなくなりますから。子どもの行動に合わせてリーダーが柔軟に対応する形になりますが、年度初めには全然言うことを聞かず動き回っていた子も、回を重ねるにつれてだんだん心が通い合ってくるような感覚があって、不思議なもので行動も落ち着いてくるんです。子どももリーダーも、お互いの表情や行動からなんとなく相手の心理が分かるようになるんですね。年齢や性格や能力には違いがあっても、しょせん人間の考えること、感じることなんてみんな同じようなもので、心が伝わりさえすればうまくいくことはたくさんあると実感しています。ですからプログラムにはあまり高度なものを求めず、詰め込み過ぎないシンプルな形にして、人と向き合える時間を大切にしているつもりです。

学校でも家庭でもない
遊んで学べる場を目指して

大道さんは富士市職員としても青少年教育に携わってきたそうですね。

大学卒業後は地元で就職して金融関係の業務に就いていました。営業は得意でずっと続けていく自信はありましたし、職場への不満も特になかったんですが、3年目にスキルアップのつもりで受けた富士市職員の中途採用試験に合格しました。これも何かの縁だと思い切って転職したところ、配属されたのが教育委員会の社会教育課という部署でした。 行政担当者として青少年教育に7年間携わりましたが、その間には長らく富士市の看板事業だった『青少年の船』の廃止や、それに代わる事業として2014年から始まった『キズナ無限∞の島』の立ち上げなど、大きな動きもありました。東日本大震災で基大な被害を受けた宮城県気仙沼市の気仙沼大島で5泊6日の宿泊体験研修を行うキズナ無限∞の島については、構想段階から現地を何度も訪問して、震災当時の状況や失われてしまった日常について地元の方から話を伺い、人生や幸せについて個人的にも深く考えさせられました。これらの経験や思いが遊び塾の活動の源流になっていることはたしかです。

行政担当者としてではなく、あえて個人でボランティア活動を始めた経緯は?

青少年の船に乗船した子どもやリーダーたちの多くはその体験を通じて『自分にも何かできるかも』と動機付けされます。そこまではいいんですが、船から降りた後の継続的な活動の受け皿がなかなか見つからずにいました。そんな中、青少年の健全育成活動をしていた富士川っ子の会の存在を知り、子どもたちと遊ぶリーダーを派遣する形で関わらせてもらうようになりました。富士川っ子の会は現役引退後の教育関係者などを中心に活動していて、高齢化が進んでいたこともあり、若手のリーダーは歓迎してもらえました。 そのうちに当時の理事長から、世代交代が必要でバトンタッチしたいから、個人としてこの活動を引き継いでくれないかと声をかけていただいたんです。僕自身は清水出身・在住の部外者ですし、最初は断っていたんですが、ずっと心に引っかかっていました。青少年教育を担当する市職員として、『教育はこうあるべきだ』なんて口にするくせに、一番大事なのは現場での活動だと分かっていながらもサラリーマンの壁を破れずにいる自分に違和感を感じていたんです。ある時、身近な若手のリーダーたちにその思いを漏らしたところ、『和哉さんがやるなら一緒にやりますよ』と賛同してくれたので、微力ながら自分のできることから動き始めてみようと決心しました。ただ、表層的で目的のないボランティアにはやる意味がないというのが僕たちの信条で、子どもたちの心を豊かにする活動になっているかどうかということは、常に意識しているポイントです。

心の豊かさを育むことが真の目的なんですね。

僕は子どもの頃からずっとサッカーをやってきて、高校時代の恩師からは『邁進』という言葉を授かりました。昨日より今日、今日より明日の自分は必ず前進するはずだと。自分の能力を発揮するために誰よりもトレーニングを積めとか、最後の最後は技術こそが自分の心を支えるんだとか、まさに体育会系ですよね(笑)。もちろんその考え方は今でも大切な人生の指標になっています。 その反面、青少年育成の現場では技術の修練ではなく心の豊かさを高めていこうとする教育のあり方が存在することを知って、新鮮な刺激を受けたんです。たとえば、生まれ育った町で富士山を眺めた時に『ありがたいな』って思う気持ちや涙が出そうになる感覚は、学校の勉強やスポーツでは養えないものです。核になるのは自然の恵みや当たり前のようにそこにあるものへの感謝の気持ちだと思います。 経済的・物質的な幸せの追求が限界に達しつつある今の社会で、心を豊かにしていくことで幸せを感じられる人を増やす、そのための題材として、僕たちは『命』というものを選びました。お父さんやお母さんや友達の命、身近な自然の中にある命、毎日の食事としていただく命があって、それと関わり合いながら自分たちも生きているんだという感覚を子どもたちに持ってもらえたら婚しいです。若造の荒削りな発想から始めた活動ですが、月に一度の体験からでも子どもたちの中で何かが変わるかもしれないと信じていますし、これから先も継続していくことが何よりも大切だと思っています。

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino Text & Cover Photo/Kohei Handa

大道 和哉さんプロフィール

大道 和哉 NPO法人 富士川っ子の会 ふじかわっこ!ZERO遊び塾 塾長 1982(昭和57)年12月14日生まれ(34歳) 静岡市清水区出身・在住 (取材当時)

おおみち・かずや/高校時代は名門・清水東高校サッカー部で活躍し、東京農業大学へ進学。卒業後はJAしみずに就職し、金融部門で3年間勤務した後、富士市職員採用試験に合格。2008年より7年間、富士市教育委員会社会教育課に配属となる。『富士市青少年の船』や2014年に創設された『キズナ無限∞の島』など青少年育成事業の担当職員として活躍し、現在は観光課富士山・シティプロモーション推進室に勤務。2014年、NPO法人富士川っ子の会が青少年育成の場として長年にわたり継続してきた『富士川っ子エコクラブ』をリニューアルした『ふじかわっこ!エコ遊び塾』の塾長として活動を開始。今年度より事業名を『ふじかわっこ!ZERO遊び塾』と改称し、現在に至る。

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