Vol. 208|JICA海外協力隊 2021年度1次隊 中田 里穂

中田里穂さん

私のフロンティア

2000年代以降、「若者の内向き志向」というキーワードを目にするようになった。実際に、海外に留学したい、海外で働きたいと考える若者の割合が低下しているという統計もある。そこに追い討ちをかけるようなコロナ禍や現在の円安環境を受けて、若者が海外に出ないだけでなく、日本人全体が変化を好まず、精神的に内向き化しているのかもしれない。

そんな中、地域での青少年育成活動や多彩な趣味を通じた「外向き」の活動を積極的に行なっているのが、今回紹介する中田里穂(なかだりほ)さんだ。富士市職員として勤務する中田さんは、JICA(国際協力機構)海外協力隊のコミュニティ開発隊員として2年間、アフリカのマダガスカル共和国で活躍してきた。

自らを成長させるフロンティアを求め、あえて厳しい環境に身を置くことを選んだ中田さんがマダガスカルの地に残してきたのは、生活を改善するためのバイオガス装置と、人々との触れ合いの記憶。遠いアフリカの食卓に、人の心に、明かりを灯してきた中田さんの言葉は、やはり相応の熱量を帯びていた。

中田さんが2年間を過ごしたマダガスカルは、日本ではあまり馴染みのない国ですね。

マダガスカルはアフリカ大陸南東のインド洋沖にある島国で、国土は日本の約1.6倍です。生息する動植物の約8割が固有種で、自然保護区も多数存在します。と、ガイドブックには書かれていて、その情報は間違いではありません。私自身も海外協力隊として派遣される前は、自然豊かな緑の楽園をイメージしていました。ところが着任の際に飛行機の窓から目にしたのは、広大な赤茶色の大地。多くの土地が削られ、地肌が剥き出しの状態でした。マダガスカルでは1年間に、千葉県の面積とほぼ同じ51万ヘクタールもの森林破壊が進んでいて、すでにその93%が失われたというデータもあります。焼畑農業による焼失、木材・木炭生産のための伐採などがおもな原因で、その影響は生物多様性の喪失だけでなく、気候変動や耕作地の減少にもつながり、国民の約8割を占める貧困層の農民を苦しめています。

その一方で、人々はとても気さくで温かいのがマダガスカルの魅力です。物理的にも精神的にも、人と人との距離が近くて、一歩外に出ると必ず誰かが笑顔で声をかけてきます。「可愛いね〜」とか「結婚して!」とか、日本だと問題になりそうな発言も多々ありますけど(笑)。暮らしの毎分毎秒がエネルギーに溢れていて、しかもそれをお互いに交換できている感覚があるんです。言葉にするのは難しいですが、街の喧騒や排気ガスの匂いも含めて、「ああ、生きているってこういうことなんだ」と五感で感じられる、とても素敵な国です。

のどかな田園風景と緑を失いつつある山々

バオバブ並木はマダガスカルを代表する絶景

海外協力隊として普及に取り組んだバイオガスとは、どのようなものですか?

私の任地はアンチラベという国内第3の都市でしたが、最貧国に属するマダガスカルの農村部では生活インフラが充分ではありません。調理には今でも薪とかまどを使っていて、それも森林減少の一因になっています。また、保有する家畜の排泄物で不衛生な住環境に暮らす人も数多くいます。そこで私が着目したのが、バイオガスでした。牛や豚のふんを微生物の力で発酵させるとメタンガスが発生します。バイオガス装置は家畜のふん尿をタンクに溜めて、発生したガスを各家庭に引いてコンロや電灯で使うというシンプルな構造で、持続的な運用が可能です。また、無臭・無害・無爆発のガスなので安心して利用でき、同時に生成される廃液は良質な有機肥料になるため、SDGsの観点からも優れているんです。

現地では、隊員として何をするのか、まずは自ら課題を発見して、それを解決するために必要な仕組みや人脈づくりから始めないといけません。バイオガスに関しては私自身にもともと知識や経験があったわけではなく、以前バイオガス事業に携わっていたという現地在住の日本人男性と偶然知り合ったことがきっかけでした。地元の農家を一軒一軒回って需要を調査し、さらに日本国内で環境問題に取り組むNPOなどにも協力をお願いして、自分一人ではどうにもならないたくさんの壁を一つずつ乗り越えていきました。クラウドファンディングを立ち上げて建設に必要な資金を募り、任期中に3基のバイオガス基を稼働させることができました。バイオガスのコンロで作った料理を食べた現地の皆さんの笑顔を見た時は、本当に嬉しかったですね。思い通りにいかないことやハプニングの連続でしたが、自分で決めた目標をやり切ることができた達成感は、大きな財産になりました。

バイオガスで作ったピラフに大喜び

地下に建設中のバイオガス基

水と混ぜた家畜のふん尿を投入

それほど大変な海外協力隊を志願した理由は?

開発途上国の人々の生活改善や国際親善に貢献したいという気持ちはもちろんですが、これまでの自分の価値観を一度壊して、この先の人生に活かせる力を高めたいという思いがありました。具体的には、共創する力、突破する力、変革する力で、いわば「フロンティア力」ですね。海外協力隊への応募ではまず、希望する職種と派遣先を決めるのですが、市職員としての経験を踏まえて、帰国後にも活かせる職種としてコミュニティ開発を、そしてフロンティア力を高めるにはより困難な環境に身を投じたいと思い、希望派遣先は迷わずアフリカを選びました。

じつは申請当初は、アフリカ内陸部の国々での青少年教育に関する案件を希望したんです。ところがJICAから届いた選考結果は、同じアフリカでも島国のマダガスカル。しかも自分とは縁のない農業畜産関連の案件だったので、驚きと落胆のあまり、一時は辞退しようかとも考えました。でも要請書をよく読んでみると、その考えは浅はかだったと気づきました。たしかに配属先は農業畜産局ですが、隊員に求められるのは単なる農業支援ではなく、現地の人々の生活環境を良くして、喜びを感じてもらうこと。私は自分が希望した国や案件ではなかったことに囚われて、視野が狭くなっていたんです。そもそもコミュニティ開発という職種は、臨機応変に動く「なんでも屋さん」。柔軟性と汎用性が重要で、必ずしも要請内容に縛られるものではありません。だったらこれをチャンスと捉えて、私ならではの活動にしよう。与えられた条件が正解不正解ではなくて、自分で正解にしていけばいいんだと思い、マダガスカル行きを決意しました。

そして実際に現地入りしてからは、派遣先がマダガスカルで本当に良かったと思えるようになりました。人柄が温厚で心が通いやすく、積極的に人と関わることで道を拓く私らしい活動ができました。現地は伝統宗教と並んでキリスト教徒が多いのですが、日曜の礼拝では音楽隊としてバイオリンの演奏をしたり、お世話になった人々に似顔絵や絵画を贈ったり。これまで趣味として取り組んできたことが活かせましたし、音楽やアートなどの非言語で交流できる素晴らしさも改めて実感しました。

教会の儀式で聖歌とバイオリンのコラボ

電気の安定的な供給にも貢献

バイオガス基の完成式にて

深くしなやかな
自分軸で生きよう

いつでも前向きな姿勢やプラス思考は、きっと生来の素質なんでしょうね。

じつは、そうでもないんですよ。中学生の頃までは良かったんです。好奇心旺盛で、勉強も部活も自主的に努力して、しっかりと成果が出て。それが次の自信になるという好循環でした。海外へのホームステイも経験して、将来の夢は外交官や国連職員として海外で働き、人と人をつなぐことでした。ところが高校に入ると、心理面でどん底に落ち込んでいきました。進学先の大学名ばかりを求められるような受験勉強も、ひたすら厳しく指導された部活も、なんとか耐え抜いて、結果的には3年間皆勤賞でした。周りからは「ちゃんとできる子」として見られていたのかもしれません。ただ、内心では本当に苦しくて。自分がどうなりたいのか、何のために生きているのか、まったく分からない状態で、その当時は家も学校も地域も大嫌いでした。「こうしてはいけない」「こうであるべき」といった抑圧ばかりを背負い込んで、自分の価値を壊してしまっていたんですね。高校卒業後も心の霧は晴れなくて、とりあえず大学に進んで、とりあえず公務員試験を受けて、といった感じでした。

そんな中で転機になったのは、市役所に勤務して3年目でした。当時富士市が主催していた青少年育成事業の『青少年の船』で使用する客船を見学する機会があって、そこである先輩職員に「子どもたちの指導員として一緒に参加してみないか」と誘われたんです。船酔いがひどいので戸惑いはありましたが、これも何かのご縁だろうと参加してみたところ、そこで景色が一変しました。沖縄を往復する4泊5日の船旅を通じて知ったのは、こんなにも仲間を大切にし、子どもたちのために熱い心を持って取り組む青年や大人たちがいること。喜怒哀楽の感情豊かにぶつかり合いながらも、自他を認めて助け合える場があること。一つの大きな目標に向かって、みんなで協力しながら困難を乗り越えた達成感。「こんな世界があったのか!」と、ずっと自分の中にかかっていた霧が晴れていくようでした。

そこからはボランティアとして地域の青少年育成活動にも携わるようになり、小学生が週末のレクリエーション活動を通じて仲間づくりを学ぶ場などを運営しました。子どもたちとの関わりや青少年指導者の会の代表を務めた経験を通じて、より新しい視点・視野・視座を持てるようなり、必要な資格や知識を得るための学びにも貪欲になっていきました。海外協力隊への挑戦も、その延長線上にある自己実現の一つですね。

若者たちとの感動体験が活動の原点

中田さんの周りでは、これからも素敵な出来事が生まれそうですね。

マダガスカルのバイオガス事業については、帰国後も関係者と密に連絡を取っていますし、青少年の支援活動は今後も続けていきたいです。自治体職員としても、「まちづくりは人づくり」という基本に立てば、やはり大切なのは人の支援、心の支援なんですよね。現在は個人的に、若者とオンラインで対話するコーチングセッションを無料で行っています。進路で悩んでいる高校生・大学生から、慌ただしく仕事に追われる社会人まで、日常の中で自分を見失いがちな世代の声を聞き、同じ頃に生きづらさを抱えていた自分自身の経験や思いを伝えることで、何らかの助けになればと考えています。

海外協力隊を目指している若者と対話することもありますが、そこで私が最初に伝えているのは選考に合格するためのノウハウではなく、「協力隊になって何をするの?」「なんのために行くの?」ということです。海外に行くことも協力隊になることも、その人にとって一つの通過点でしかありません。人生を通じて何をやりたいのか、どうなりたいのか。まずは自分を軸とした全体像を描くことが大切です。その上で、自分とは異なる価値観を許容するしなやかさを意識すれば、より豊かな成長につながるはずです。特に可能性の扉がたくさんある若い人には、柔らかい頭でいろんなことに挑戦してほしいですね。そして私自身も、まだまだ挑戦してみたいこと、行ってみたい場所がたくさんあります。私の名前の由来でもありますが、行く先々で里に稲穂が実るように。生まれ育った富士山麓でも、遠く離れたアフリカの赤い大地でも、まだ見ぬフロンティアでも。今いる場所で関わる人々と笑顔や喜びを実らせて、分かち合える人になります。

帰国直後の講演会で語る中田さん

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa

中田里穂
JICA海外協力隊2021年度1次隊
(マダガスカル共和国・コミュニティ開発隊員)

富士市役所職員富士市出身・在住
(取材当時)

なかだ・りほ/富士南中、富士高校理数科、千葉大学教育学部スポーツ科学課程卒業後、富士市役所に入庁し、福祉総務課、原田まちづくりセンター、商業労政課で勤務。富士市の青少年育成事業『青少年の船』、青少年体験交流事業『キズナ無限∞の島』への参加を経て、職務と並行した地域ボランティア活動に参画。任意団体『富士市青少年指導者の会ふじまる』では3代目会長を務める。2021年、JICA(ジャイカ)海外協力隊への派遣決定を機に休職。同年9月より2年間、2021年度1次隊としてアフリカ・マダガスカルに赴任。コミュニティ開発隊員として、同国第3の都市アンチラベの農村地帯で現地住民の生活改善やバイオガスの普及などに取り組み、2023年9月に帰国。富士市役所に復職後は農政課で農業振興を担当し、現在に至る。静岡県青少年指導者上級、国家資格キャリアコンサルタント、行動心理士など、教育や対人支援に関する資格を多数保有し、若い世代へのオンラインコーチングを無償で行なうなど、後進の育成にも尽力している。バイオリン、絵画、フルマラソンの完走歴もあるジョギングなど、趣味も多彩。

JICA海外協力隊としての活動を記録した中田さんのブログ
『リポシカ協力隊記〜マダガスカル編〜』
https://ripopo1212.hatenablog.com/

オンラインコーチングセッションに関する問い合わせ先
中田さんインスタグラム(@rihoo1212)
https://www.instagram.com/rihoo1212/

Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜

中田さんと最初に出会ったのは、とあるセミナーの場でした。それはSDGs(持続可能な開発目標)について学ぶ5回シリーズのワークショップで、中田さんと私は同じチームでいっしょに企画書を作ることになりました。そのとき中田さんは「市役所で働いてます」と名乗っただけで、すでに協力隊への参加に向けて準備をはじめていたこと(ただし、コロナの影響で行き先も時期もまだ不透明だったのですが)などはそのとき一言も口にしてませんでした。だけど、その落ち着いた物腰のなかにある聡明さと自信、そしてもっと言えば、大きな挑戦にも物怖じしなさそうな逞しいオーラを感じたのを覚えています。

中田さんのお話の中で「フロンティア力」というのがひとつのキーワードになっています。彼女がどのように定義しているかは本文を読んでほしいんですが、私が受け取ったのは「迷ったときには、自分のこれまでの価値観を一番揺るがしそうな場所を目指そう」ということでした。

人が悩んだり立ち止まったりするのは、失敗のリスクに怖気づいたとき。そんなときはついつい一番よく知っていて一番安心な道を選びたくなるものですが、本当は思い切って未知の地平線に身を乗り出すことでしか、膠着した自我のその先にあるものは見えてこないのかもしれません。まったく知らない環境によって自分自身の価値観が変化してしまうことを受容する勇気。そんなしなやかな勇気を中田さんに感じました。

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