Vol. 168|川村病院 緩和ケア病棟|いまここ|医師 大木 学
ここに、おくりもの
がんなどの生命を脅かす病気による身体的・心理的問題を把握し、そこから生じる苦痛を和らげながら生活の質の維持向上を図る、緩和ケアというアプローチがある。富士市の川村病院内に今年6月にオープンした緩和ケア病棟|いまここ|。建物の内外には樹木がふんだんに用いられ、陽光が差し込む中庭を眺めていると、自然の中に身を置いているかのような温かさを感じられる。両端の記号「|」はそれぞれ、過去と未来を表しており、その間にある「いま」「ここ」に思いを致し、利用者それぞれのありたい姿に寄り添える空間づくりを目指している。
この施設で緩和医療部長を務める大木学さんは、フリーの医師で写真家という異色の経歴の持ち主でもある。西洋医療の本流を学び、がん治療の最前線で奮闘してきた日々の中で、大木さんが抱いたのは、「病気とは何か?」という根源的な問いだった。命の本質を探し求める思索の旅で、大木さんが見つけたかけがえのないギフトとは……。
|いまここ|とはどのような場所ですか?
医療の進歩に伴い、がん患者さんが長く生きることが可能になってきた反面、生存していても心身の苦しみを抱えたままでは、充実した毎日を送ることはできません。がんそのものの治療と並行して診断時から行なわれる緩和ケアは、今後より一層重視されていく分野です。
|いまここ|では、悪性腫瘍と診断され、かつ治癒を目指した積極的な治療を希望されない、いわゆる末期がんの患者さんの入院療養をおもな対象としています。延命的な治療を強いるよりも、がんの進行はある程度自然の流れに任せながら、それに伴う痛みや吐き気、倦怠感など、身体的につらい症状を取り除いていくこと。そしてなにより、人生最後の時間を穏やかに、自分らしく過ごしていただくことが最大の目的です。丁寧な対話を通じて一人一人の思いに耳を傾け、尊重することを最優先に、リラックスできる環境の中で患者さんやご家族だけでなく、そこに関わる我々スタッフも含めて、互いに癒やされる場を提供したいと考えています。
医療の現場で医療従事者が癒やされるというのは、とても新鮮な表現ですね。
現代社会においては死というものがなんとなく排除されている、見えないところに隠しておこうとされている風潮の中で、目の前にある命や死について真正面から考え、受け止めることが我々の仕事です。患者さんと深く接することで、医療従事者もまた、さまざまな気づきや癒やしを得ることになります。
ここでは、亡くなられた患者さんについてスタッフ同士で語り合う『Life Viewing』という取り組みを行なっています。事例として振り返ることでケアの質を検証し、向上させるという目的もありますが、それに加えて、患者さんに対して何ができたのか、また何ができなかったのか、医療従事者としての葛藤や後悔、自責の念も含めた率直な気持ちやエピソードを共有することで、我々自身が癒やされることが大切だと考えています。故人の安らかなご冥福を祈り、黙祷を捧げ、時には涙しながら思いを馳せる。そうした動的な心の交流そのものが、一つの大きな命なんだということを感じ取るための場でもあるんです。つまり、亡くなられた患者さんも生きているのです。
医師や看護師が癒やす側、患者さんが癒やされる側というのは、表層的な捉え方に過ぎません。またそれは医療従事者やセラピストが陥りやすい錯覚でもあります。ケアを通じてスタッフも癒やしを経験することで、教科書的な処置だけでは対応できない疑問や矛盾に対して、想像力をもって取り組む姿勢、自律的な意識を身につけることができるんです。
大木さんはこれまでフリーの医師として活動してきたそうですね。
出身大学の関連病院で、おもに血液内科医として約20年間勤務していましたが、2016年に常勤医を辞めることにしました。白血病や悪性リンパ腫など、命に関わる深刻な病気を抱える患者さんの症状が改善して、社会復帰していく姿を見ることができる仕事はとてもやりがいがありました。ところがある時からふと、行き詰まりを感じ始めたんです。
医師の仕事は病気を診断して、ベストと思われる治療をして、良くなる人もいれば悪くなる人もいる。基本的にはその繰り返しです。がんの場合、治療がうまくいっている時は『効きましたね、良かったですね』でいいんですが、治療がうまくいかない時、患者さんに大きな負担をかけながらも、外科手術、抗がん剤、放射線と試した結果、最終的には『もうこれ以上やれる治療はありません』という内容の言葉を伝えることになるわけです。それ自体もつらいことではありますが、僕の中で疑問が生じたのは、そうやって医師の前から去っていった患者さんの一部がその後、いわゆる代替療法を含むさまざまなアプローチを通じて病気を治しているという事実についてです。
もちろん西洋医療の手法が患者さんにとって有用な場合もたくさんあって、それを提供する医療従事者は日々最善を尽くしています。ただ、実際に別の方法で治った人がいる以上、西洋医療が全能である前提で『手遅れです』のひと言で片付けてしまうのは、患者さんからすべての可能性を摘み取ってしまうのではないか、それはあまりにも傲慢で暴力的な行為なのではないかと、自問するようになりました。そこで病院以外でがんが治った人に話を聞きに行ったり、いろんなセラピーを自ら体験してみる中で、自分が知っている西洋医療の世界は、生命の営みのほんの一部でしかなかったと感じるようになったんです。そう考えると、患者さんと接していても心のどこかで自分を疑う自分がいて、だんだん苦しくなってきたんです。このままでは患者さんにも失礼だし、なにより自分が自分を生きていないと感じて、病院での勤務はひとまず区切りをつけることにしました。
緩和とは「自分を寛ぐ」こと
『みちる木』
(C)Manabu Oki
『彩糸』
(C)Manabu Oki
『震える羽』
(C)Manabu Oki
写真家としての創作活動は、その頃から始めたのでしょうか?
医師としてのあり方に迷いを感じていた頃、ふと自然を求める気持ちが湧いてきて、早朝に地元の練馬区にある石神井公園を訪れたんです。すると朝日がきれいで、あまりの美しさに泣けてくるんですよ。さらに見渡すと、木々や虫の羽根が光を受けて輝いているんです。幼い頃から知っていたはずの場所なのに、満員電車に揺られて病院と家を往復する毎日の中で、身近な自然の中にこんなにも豊かで美しい営みがあることを、僕は知らずにいたんです。そして、ここにいる動物も植物も太陽も水も、まさしく自分を生きている、今を生きているなと感じたんです。この美しさを誰かに伝えたいと思うようになって、そこから本格的に写真を撮り始めました。
知り合いの経営するレストランや市民ギャラリーで写真展を開催する中で、たくさんの人からいただいた感想もまた、それぞれに個性があって多彩だったんです。僕が撮った同じ写真を見ても、人によって解釈や受け止め方は違うんだなと感心した時にふと気づいたのが、写真も医療も同じで、自分はこれまで医療を一つの型に押し込んで捉えてしまっていたということでした。医療とは何か、そもそも病気とは何かを考える過程で、しだいに病気そのものへの見方も変わっていきました。
もう一つ印象的だったのは、撮影中に朝日を浴びて虹のように輝くクモの巣を見た時です。それまではクモの巣なんて灰色で薄汚れていて、誰からも疎まれる存在だと思い込んでいましたが、視点を変えるだけでこんなにも美しく見えるのかと、心から感動したんです。僕にはこれが病気と重なって見えました。病気は絶対悪、かかったら負け、病院で見つかったらすぐに取り除かれるべきものと、多くの人が考えているけど、はたしてそうだろうか?病気になったことで、豊かな世界や人生の価値に気づけることがある。だとすれば、病気も一つのギフトなのではないかと。
もちろんすべての人にそう言い切れるわけではありませんし、無理して思い込む必要もありません。ただ、先の見えない治療に行き詰まってつらい思いをしている患者さんに、その世界の見方は光明を与えてくれるかもしれないと感じたんです。
セラピストである奥様とともにカウンセリングやヒーリングを行なうサロンを開業され、緩和ケア医として|いまここ|に着任したのも、その気づきによる一連の流れなのですね。
自分が本当に望んでいることは何なのかを考えていくと、病気が治る治らないよりも、もっと源流にあるものを知りたい、そこに携わりたいんだと気づいたんです。そこで投薬や治療などの医療行為を行なわないカウンセリングや講演活動を中心としたスタイルに転じ、自宅近くで『サロンまなは』の運営を始めました。もともとリフレクソロジストの資格を持っていた妻も、音叉を用いたセラピーに出会ったことで、より多彩な癒やしのセッションを提供できるようになりました。音叉というのは金属でできたU字型の器具で、特定の周波数の音や波動を発生させるためのものです。心身のバランスを整えて、深い癒やしにつながる瞑想状態へと誘います。現在も週末は東京で、サロンの活動を継続しています。
この川村病院とのご縁は、副院長の川村雅彦先生ご夫妻と、共通の知人を介して知り合ったことがきっかけです。医療に対する考え方や目指したい方向性について大変共感していたので、今回のオファーをいただいたことは本当に光栄でした。じつは|いまここ|でも毎朝の回診時に、音による癒やしを提供しているんです。音叉ではなく金属製の筒でできたヒーリングパイプと呼ばれるものですが、心と身体を緩めてくれる周波数の音を鳴らすことができます。患者さんの反応や感想もさまざまで、お寺の鐘のようで心地いいと語る方もいれば、至福の気持ちに満たされて涙を流す方もいます。克服ではなく調和を重んじる、新たな医療の象徴的な存在として、これからも続けていきたいと考えています。
「克服から調和へ」という大木さんの言葉に、病気との接し方、そして生き方の真髄があるように感じます。
どうせ末期だから、もうすぐ亡くなってしまうからと、終末期医療に対して暗いイメージを持つ人もいますが、たとえ亡くなることが不可避だとしても、患者さんご自身の中に灯っている光が、とてつもない輝きを放って見えることがあるんです。その光をしっかりと見つめて、残りの時間をかけて育てていく。そうすることで、病気というものが自分の人生を創造していくために与えられたギフトとして捉えることができるかもしれません。もちろんそれがすべてではありませんが、僕自身、その考え方がとてもしっくりくるんです。
またこれは終末期医療に限った話ではありません。我々一人一人にはそれぞれの視点があって、音叉で例えるなら、誰もが自分だけの周波数、オリジナルの音を持っているんです。周りの音を羨ましがったり、真似しようとする必要はありません。ありのままの自分を生きている時に、自分だけの最高の音が鳴る。たとえ今日が人生最後の日でも、それに気づくことができた人の生涯は、実りあるものだったといえるのではないでしょうか。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Photography/Kohei Handa
大木 学
川村病院 緩和ケア病棟 |いまここ|緩和医療部長
日本内科学会認定内科医 日本血液学会・専門医
1970(昭和45)年9月6日生まれ(50歳)
東京都練馬区出身・富士市在住
(取材当時)
おおき・まなぶ / 桐朋中・高、東京医科歯科大学医学部卒。都立駒込病院、武蔵野赤十字病院などで内科医として勤務した後、2016年に常勤医を辞め、フリーの医師に。地元である練馬区・石神井公園を拠点に写真家としての創作・講演活動を並行して展開。2017年、妻で音叉セラピストの華さんとともに『サロンまなは』を開業し、医師との対話に音や香りによる施術を融合させた癒やしの場を提供している。2020年6月より川村病院緩和ケア病棟|いまここ|の開設当初より緩和医療部長として勤務。静岡県内4例目となる緩和ケア専門施設で地域医療の重要な一翼を担いながら、週末は東京に戻る二拠点生活で、自身の思いを発信する活動を精力的に続けている。
緩和ケア病棟|いまここ|
富士市中島327(川村病院内)
TEL:0545-61-5170 (地域医療連携室)
https://imacoco.kawamura-jp.jp/
緩和ケア病棟のブログ
https://ameblo.jp/kanwaimakoko/
写真集『ひかりみち 石神井公園 朝散歩』
文・写真:大木 学
価格:2,750円(税込・送料無料)
メールでの購入申し込みはsalonmanaha@gmail.com
取材を終えて 編集長の感想
今回のお話はVol.148(2019年4月号)でご紹介した「幸ハウス富士」のいわば続編で、「死生観」というテーマでつながっています。日常の中で忘れられがちな「死」を意識することは、自分らしい「生」を意識することでもあります。
「医者」というのはステレオタイプなイメージが強い職業のひとつで、身内に医師がいるのでない限り、その職業倫理の向こう側にある個人的な価値観の存在を「患者側」にいる私たちが意識することはあまりありません。でも大木さんの場合、たとえ別の職業についていたとしても、やっている仕事の本質は同じだったんじゃないか、という気がします。「医者とはこうあるべき」というゴールが先にあるのではなく、死生観や自然観といった個人的な感受性を大事にすることから出発していて、医療の仕事はそのひとつの現れ方に過ぎないんじゃないかと。
|いまここ|の根底価値になっているのはたぶんそんな「感受性」です。終末医療の現場において、日常的に起こる人の生死への感受性を開くのはある意味しんどいことかもしれません。でもだからこそ、|いまここ|という場所それ自体が一人ひとりの生命の重みを記憶し、刻みつけ、成長していくように思いました。
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