Vol. 163|レバンテフジ静岡 チーム代表兼監督 二戸 康寛
疾風(はやて)のように
今年1月、富士市内に事務所・合宿所を構えるプロサイクリングチーム『レバンテフジ静岡』が誕生した。静岡県東部・伊豆地域を活動拠点に、国内最高峰の自転車ロードレースに参戦しながら、将来的にはアジア圏で開催される国際大会への出場も視野に入れる。自転車ロードレースといえば、サッカーワールドカップ、オリンピックと並ぶ世界三大スポーツイベントと称される「ツール・ド・フランス」が有名だが、ヨーロッパ発のメジャースポーツとして発展を続ける自転車文化の息吹が、今私たちのそばでも熱気を帯び始めたのだ。
このチームの代表兼監督を務める二戸康寛さんは、高校卒業と同時にプロサイクリストとしてデビューし、第一線で活躍した経歴を持つ。選手として、リーダーとして、数々の成功と挫折を経験してきた二戸さんが自らに課すのは、人一倍の努力。穏やかな笑顔に見え隠れするまっすぐな思いが、健脚のアスリートたちを率いた今、オレンジ色の新風を起こす。
自転車ロードレースとはどのような競技ですか?
自転車競技にはトラックレースやマウンテンバイクなど、いくつかの分野がありますが、そのうちロードレースは舗装された一般公道を走って順位やタイムを競います。結果として選手個人の成績を競うので、個人競技のように思われがちですが、実際はチームで走る団体競技です。長いコースでは1日に200キロ以上走ることもあるレースの中で、チームの戦略や対戦チームとの駆け引き、自然環境によるハプニングの発生など、とてもエキサイティングなスポーツです。ゴール地点でエースの選手を勝たせるために、コースの特徴や天候、選手の調子、他チームの動きを総合的に見極めながら、局面ごとに対応していく判断力が求められます。集団を形成してエースの体力をギリギリまで温存したり、あえて一人だけ飛び出してレース展開をコントロールしたりと、心理的要素が大きいのも特徴です。そしてもちろん、最後の最後は脚力勝負。汗が飛び散るデッドヒートの躍動感は理屈抜きで感動を呼びます。昨年ワールドカップで盛り上がったラグビーと同じで、見方が分かるとグッと面白さが増すスポーツですね。
我々は国内最高峰の大会である『Jプロツアー』に参戦しながら、2年後にはUCI(国際自転車競技連合)認定の国際ライセンスを取得することを目標にしています。その先に国内ツアーの優勝、海外での国際大会出場、さらには若い選手の育成システムを構築して、この静岡からオリンピック代表や世界を舞台に活躍する選手を輩出していきたいと考えています。
二戸さんご自身もプロ選手として活躍されたそうですが、自転車との出会いやこれまでの関わり方についてお聞かせください。
ごく一般的な家庭で育ったので、自転車との出会いは特別なものではありません。子どもの頃は自転車の競技性には興味がなくて、前かごにゲームやお菓子を入れて友達の家に行くための移動手段でした(笑)。自転車そのものよりも、移り変わっていく景色を眺めるのが好きでした。
早生まれで運動が得意ではなく、人と競うことも好きではなかったんですが、転機になったのは高校で自転車競技を始めたことですね。手に職をつけたくて地元の工業高校に入学したのですが、たまたま勧誘されて入った自転車部が当時高校総体で全国2連覇を果たすような強豪で、お盆と正月に2日ずつの休みを除いてあとは毎日練習という、大変な部活でした。でも不思議なことに辞めたいとは思いませんでしたね。高校に入ると同級生との体格差もなくなって、努力すればするほどタイムが伸びていくことに、やりがいや達成感があったんです。自分の運動能力が劣っていることを自覚していたので、それを補うのは努力しかないと思っていましたし、高校卒業後にプロ契約で実業団に入ってからも、誰よりも努力するというスタイルは変えませんでした。ただ、それを今の若い選手にあまり熱く語っても、『もうちょっと効率的なやり方があるんじゃないですか?』って言われてしまうんですけどね(笑)。
プロ選手としてデビューして、監督という現在の立場に至るまでは、順調なステップだったのでしょうか?
いえいえ、とんでもありません。たしかに高卒でいきなりプロ契約というのは、当時の自転車界では珍しいことで、最初のうちは能力も成績もどんどん伸びていきました。ところが3年目、21歳頃をピークに急激に停滞したんです。努力してもなかなか成績が出ない中、結果がすべてのプロの世界では精神的にも重圧がかかり、そのうち自転車を見るのも嫌になってしまったんです。こうなるともうダメかなと、23歳の時に退社を決意して、別の道へ進むことにしました。レースではチームに貢献するいい走りができているという実感はありましたし、入賞も経験しましたが、一度も優勝できなかったことが心残りで、『やりきった』とか『燃え尽きた』という感覚はありませんでした。その後は建築やデザインに興味を持ったこともあり、夜間の専門学校に3年間通って、卒業後は東京都内の建築事務所で働いていました。
そんな中、専門学校時代の友人が自転車ロードレースの大会を観てみたいというので、ジャパンカップという大きな大会に連れていってあげたんです。そこで目にした光景が、生涯忘れられないものになりました。その大会には、かつて僕と同じ時期に成績不振で実業団を解雇された先輩が出場していました。解雇された後も一般のクラブチームに入って、アルバイトをしながら競技を続けていたその先輩が、世界クラスの選手も出場している国際大会で、日本人最上位でゴールしたんです。プロとしては一度挫折したものの、自転車が好きで諦めずに走り続けてきた先輩と、自転車が嫌になって違う世界に飛び出した僕。その時に初めて、『ああ、自分は何か間違ったことをやっていたのかな』と気づかされたんです。いろいろと考えた末、その後1年弱で設計事務所を辞めて、再び自転車に乗ることを決意しました。
「やりきった感」を得るまで、何度でも
とてもドラマチックな情景が浮かんできます。二戸さんの自転車人生、第二幕の幕開けですね。
とはいえその時点でもう20代後半でしたし、これからは競技にも携わりながら、自転車と長く関わっていこうと、全国的に有名なスポーツサイクルの専門店に就職しました。その会社も実業団チームを持っていて、ショップ店員として働きながら、チームでは本気で走るという生活を10年間続けました。自転車が好きな人がたくさん訪れる店での仕事は楽しかったですし、元プロレーサーが自分の経験を語りながら接客するわけですから、当然売れますよね(笑)。
チームの活動では、僕が入ってすぐに国際大会への出場を目標に掲げました。そんなのは夢のまた夢だよと、当初はあくまでも趣味として取り組んでいたメンバーたちでしたが、その舞台を経験していた僕は、努力すればきっと行けると信じていました。そしてみんなを鼓舞し続けた結果、3年目には国際大会に出場することができました。ちょうどその時期に結婚して、二人の子どもが生まれて、私生活は安定軌道に入っていましたが、2014年に一念発起して退社しました。『東京ヴェントス』というプロサイクリングチームを自ら立ち上げることにしたんです。当時、自転車文化が少しずつ浸透してきた中で、日本各地に地域密着型のサイクリングクラブが登場していました。サッカーのJリーグのようなもので、地元自治体や企業と連携したクラブ運営のスタイルが、栃木県宇都宮市などで成功を収めていました。僕はショップ店員時代のうち5年間を東京都立川市の店舗に勤めていて、多摩地区の玄関口で首都圏のサイクリストがたくさん集まってくる立川は可能性のある土地だと目をつけていたんです。東京オリンピック・パラリンピックの機運も追い風になって、東京ヴェントスは設立後2年でJプロツアーに参戦でき、主催イベントや地域活動も順調に展開していました。
ところが皮肉なことに、その東京オリンピックが大きな原因となって、チームは解散することになったんです。その時のチームはスポンサー収入以外にも、主催イベントやレースの実施、自治体や企業からの委託費をおもな収入源として運営していたのですが、オリンピックが迫ってくると会場の整備工事や他のスポーツ団体の活動と重なって、イベントを開催する場所が確保できなくなったんです。不完全燃焼ではありましたが、昨年いっぱいで東京ヴェントスの活動終了を余儀なくされました。
そしてついに、レバンテフジ静岡の設立へとつながるのですね。
はい、まさに夢のようなタイミングでした。東京ヴェントスの解散が決まり、僕自身も次の仕事はどうしようかと考えていたところに、自転車販売大手のミヤタサイクルさんから、静岡県東部・伊豆地域で本格的なプロチームを立ち上げないかというオファーをいただいたんです。
東京オリンピック・パラリンピックで自転車競技の舞台となる静岡県では、自転車を活用した数々の取り組みが進められています。関連施設の建設や整備だけでなく、自転車文化を広めるイベントの開催や、生涯スポーツとして一般の方も自転車に親しめる環境づくりが重要になります。それらの中核を担う存在として、地域密着型のプロサイクリングチームが必要だというミヤタサイクルさんの熱い思いを受けて、もう一度大きなチャレンジをしてみようと、チーム代表兼監督に就任しました。
静岡という自転車環境に恵まれた地で再スタートを切ることに、迷いはまったくありませんでした。今後はレバンテフジ静岡を名実ともに国内トップクラスのチームに育てるのはもちろんのこと、各自治体や市民の皆さんと協力しながら、富士山のように裾野の広い自転車文化を育む原動力になりたいと考えています。
今後の活動が楽しみですね。私たち市民にとっても自転車がより身近な存在になっていくのでしょうか。
市民の皆さんの参画なしに地域密着型チームは成り立ちません。もちろんレースやイベントなどの屋外活動については、新型コロナウイルスの感染状況や自治体の判断次第ではありますが、我々がすぐにでも取り組みたいのは、まずはサイクルスポーツがどんなものなのかを、多くの人に知ってもらうことです。競技の観戦だけでなく、自転車に乗ること自体が、人生や社会の好循環に直結する行為なんです。
レジャーとしての観点では、イベント参加やサイクルツーリズム、最近ではE-BIKEと呼ばれる電動アシスト付き自転車で、誰もが負荷の少ないサイクリングを楽しめるようになりました。社会的側面としては、車から自転車への転換による交通渋滞の緩和、温室効果ガスの削減などが期待できます。また、成人病予防や幅広い世代の健康増進、交通安全意識の向上、さらには大規模自然災害時の移動手段の確保など、自転車文化がもたらす価値はとても大きなものです。我々はこうした広い視野のもと、人々と自転車を結ぶ大小さまざまな活動に取り組んでいきます。
この富士山麓は幸いにも素晴らしいサイクリングロードが豊富な地域です。たとえば、初心者の方にもおすすめなのが、海沿いの堤防。車も信号もない平坦な道をのんびり走って、富士から沼津まで行けてしまうんですよ。しかも北は目の前に富士山、南には駿河湾という、世界中のサイクリストが羨む絶好のロケーションです。この恵まれた環境を活かしながら、イタリア語で東風を意味する『レバンテ』の名の通り、自転車文化という新たな風をこの地域から巻き起こしていきます。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
映像提供:レバンテフジ静岡
撮影協力:伊藤舜紀選手/石井駿平選手
二戸 康寛
レバンテフジ 静岡 チーム代表兼監督
1975(昭和50)年3月11日生まれ (45歳)
山形県最上町出身・富士市在住
(取材当時)
にと・やすひろ / 山形県立新庄工業高校(現・新庄神室産業高校)入学後に自転車競技を始め、3年次には全国高校総体のロードレースで団体2位に入るなど、中心選手として実績を残す。卒業後は日本鋪道株式会社(現・株式会社NIPPO)の実業団チームにプロ契約選手として入団し、5年間にわたり活躍。一時競技を離れるも、2004年にスポーツサイクルショップ『なるしまフレンド』に勤務しながらクラブチームでの実戦に復帰。2014年には東京都立川市でプロサイクリングチーム『東京ヴェントス』を自ら設立し、2019年まで活動。2020年、『レバンテフジ静岡』の設立に伴い、チーム代表兼監督に就任。チームの事務所を置く富士市に生活の場を移し、地域に根ざした自転車文化の普及と、世界で活躍する人材の育成を目指して奮闘中。
レバンテフジ 静岡
静岡県東部・伊豆地域を活動のフィールドとするプロサイクリングチーム。将来有望な若手を中心とした8名の選手のうち、静岡市清水区出身でエースの佐野淳哉(さの じゅんや)選手は元全日本選手権チャンピオンの実績を持ち、豊富な経験と驚異的な脚力でチームを牽引する。4月に開幕予定だった国内最高峰のJプロツアー(全11戦)は新型コロナウイルスの影響で延期中だが、チーム代表の二戸氏と選手4名は富士市内の合宿所で共同生活を送りながら、屋内用走行練習マシーンなどを駆使したトレーニングに日々励んでいる。
レバンテフジ静岡は、法人・個人を問わず、チームの成長と地域に根ざした活動を応援していただけるスポンサー様・サポーター様を広く募集しています。詳しくはウェブサイトをご覧ください。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
競技に捧げた青春、そしてプロの道へ。挫折を味わい一度は現役を引退してネクタイを締めるものの、心の底にくすぶっていた「まだやりきっていない」という感覚に気づき、自分の原点に舞い戻る。そして今、拠点を新たにし監督として再び競技の舞台へ。二戸さんとレバンテフジ静岡の物語は、まるでスポーツものの映画のようにドラマチックです。
その活動には、たとえば清水エスパルスと同じような地域密着型プロスポーツチームという町おこし的な一面があり、またこの美しい富士地域をサイクリングで楽しむという観光資源、住環境の魅力の発信、さらには健康やエコ、交通安全の啓蒙活動としての一面もあります。これからの活躍がとても楽しみです。
自転車という乗り物は不思議です。楽に移動するための便利な道具として生まれたはずなのに、人はそこに、自分の身体能力ととことん向き合うストイックさや、風を感じながら駆け抜けるビビッドな疾走感といった、文明社会の中で見失いがちな「生きている実感」を求めてしまうようです。私も自転車になんて長いこと乗っていませんが、もう一度自転車のある生活をしてみたい気になりました。
あなたが最後に自転車に乗ったのはいつですか?
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