Vol. 197|静岡きょうだい会代表 沖 侑香里

沖侑香里さん

自分を生きていい

病気や障害を抱えた兄弟姉妹のいる人を、ひらがな表記で「きょうだい」と呼ぶことがある。病気や障害のある本人にばかり家族の意識が集中しがちな生活の中で、きょうだいが感じる心の不安や葛藤は小さくない。また、大人並みの責任を負って家族の世話をする子どもを指す「ヤングケアラー」という言葉も知られるようになり、社会的支援の必要性に関心が高まっている。

きょうだいが集い、つながるための自助グループとして2018年に発足した『静岡きょうだい会』の代表を務める沖侑香里さんも、障害が身近にある家庭で育ったきょうだいの一人だ。思いを共有し合うコミュニティを築く一方、自身の経験を公の場で語る啓発活動にも取り組む沖さんは、困難を支え合う家族の一員であり、個人のキャリアを描き挑戦していく若者であり、先進的な社会課題に向き合う活動家でもある。難しい立ち位置にあっても自らを俯瞰し、内省と成長を続ける姿に深い感銘を受けた。

静岡きょうだい会の活動はどのような内容ですか?

障害を抱えた兄弟姉妹のいる「きょうだい」のための交流の場です。障害といっても、その種別や程度はさまざまで、育った環境も大きく異なります。静岡きょうだい会では、きょうだい同士が語り合う座談会に加えて、福祉制度やサービスについて学ぶ勉強会、親睦を深めるための食事会などを開催してきました。座談会では10〜30人程度が集まって、お互いの悩みや思いを打ち明けることで共感が生まれたり、解決の糸口を見出せたりします。勉強会では行政書士や福祉施設職員、大学の先生などの専門家を講師として招いています。

またコロナ禍で対面接触が難しくなった2020年4月以降は、毎月1回のペースでオンラインでの座談会を継続しています。これまでの参加者はのべ300人を超えていて、10代から70代まで幅広い年代のきょうだいが交流してきました。オンライン化によってより気軽に参加できるようになり、遠方に住む人ともつながれる効果がありました。

今後はまた対面も増やしていきたいのですが、いずれにせよ大切にしているのは、参加したい時に参加できる緩やかなつながりです。それぞれの生活や心情を尊重し、認め合うことが前提で、会場代などの実費を除いて入会金も年会費もありません。組織化することで何かを強制されることも、逆に依存しすぎることもない、開かれたプラットフォームであることを意識しています。

沖さんもきょうだいの一人なんですね。

5歳下の妹に重度の身体障害と知的障害がありました。静岡きょうだい会を立ち上げたのは22歳の妹を看取った翌年で、私自身の経験を踏まえて、きょうだい同士が直接交流して助け合える場を地元にも作りたいと思ったんです。

妹は2歳頃から発達の遅れがあって、のちに進行性の難病が発覚しました。徐々に歩けなくなり、食事や意思疎通も難しくなって、痰の吸引や酸素吸入が必要な重症心身障害児者になりました。私は小学校低学年の頃から、妹の介助をすることが当たり前の生活でしたが、当時は妹のお世話をしている母のお手伝いという感覚でした。

ただ私自身も子どもでしたから、妹のことは大好きで可愛いと思う一方、楽しみにしていたレジャーの予定が妹の通院や急な発作で中止になったりすると、「なんで私ばかり我慢しないといけないの?」「妹に障害がなければ良かったのに」と感情的になることもありました。学校の友だちに妹の話をすると暗い雰囲気になるのが嫌で、だんだん妹の存在を隠すようになり、そんな自分への嫌悪感でさらに心が苦しくなって……。

両親は私への愛情も存分に注いでくれて、友だちとの遊びや習い事も思うようにやらせてもらえました。でも周りの大人たちに「いつも妹のお世話をしてえらいね」「優しいお姉ちゃんがいて将来安心だね」と悪気なく言われると、それが重荷となることもありました。テレビなどで観る障害者家族はみんな仲良しで、ともに困難を乗り越えていく感動ストーリーばかり。私もそんな家族の一員として頑張らないといけないんだと重圧を感じつつ、心のどこかで「妹の将来は私が面倒を見るんだろうか」「妹がいるから私はずっと実家で生活し続けるのかな」と考え、誰にも相談できない苦しみを抱えたまま大人になっていきました。

沖侑香里さんと妹の茉里子さん

毎年の楽しみだった家族でのキャンプ

その苦しみを和らげていくきっかけが大学時代にあったそうですね。

大学は県外で一人暮らしをさせてもらいました。新生活は刺激的で、友だちと遊びたい年頃でもあり、実際にたくさん遊びました(笑)。ただ、私が抜けたことで妹のケアの負担が家族にかかってしまう罪悪感や、「自分だけが楽をしていいのだろうか」という思いに囚われることもありました。

また大学では主体的な考えが重視されますが、妹優先の生活が染みついていた私はいつも周りの目や人の意見を気にして、自己主張ができなかったんです。そんな自分を変えたいと2年生の半年間、学業と並行して地場産業の中小企業で働く課外活動に参加したのですが、この時の体験が大きな転機になりました。

私の任務は売上向上のアイデアを出すことで、社長は「やりたいようにやってみてごらん」と言ってくださいました。ところが何ヵ月経ってもアイデアが浮かびません。決められた業務なら人並み以上の結果を出せるのに、自ら何かを生み出して主張することがどうしてもできなかったんです。申し訳なさに耐えきれなくなった私は社長にお詫びをしながら、気づけばこれまでの生い立ちを語っていました。妹に重い障害があること、子どもの頃から我慢が当たり前だったこと、自分の意見や本当の気持ちがどこにあるのかも分からないこと。堰を切ったように泣きながら、何時間も思いを打ち明けたんです。社長は私の話を遮ることもなく静かに聞いて、最後に「今までずっと頑張ってきたんだね」と言ってくださいました。そのひと言で「そうか、私は辛かったんだ」と、ふっと肩の力が抜けた気がしました。「えらいね、優しいね、頑張ってね」と言われ続けて、それに応えようとしすぎたことで、私は自分を見失っていたんです。

きょうだいならではの苦しみに気づいたんですね。

大学時代のもう一つのきっかけが、「きょうだい」という概念を知ったことです。たまたま観ていたテレビのドキュメンタリー番組できょうだい特集が組まれていて、「これって私のことじゃん!」と釘付けになりました。そこで語られるきょうだいたちの思いが、私が感じてきた違和感や生きづらさと重なったんです。

中でも印象に残っているのが、「自分の将来が透明の鎖でつながれている気がする」という言葉。私だけじゃないんだという安堵感と、きょうだいの存在に社会が着目し始めていることへの喜びを感じました。そこからきょうだいに関する書籍を読み漁り、当事者たちの生の声も聞いてみたいと、全国各地で開催されているきょうだい会に参加しました。世代も背景も異なるきょうだいたちが、時に笑い、時に涙しながらお互いの思いを語り合う場があることに安心感を覚えて、私自身も多くの方に話を聞いてもらいました。

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