Vol. 182|チョウの研究家 袴田四郎
蝶に魅せられて
「子どもの頃の夏の思い出は?」と聞かれた時、そのひとつに「虫採り」を挙げる人もいるだろう。採るどころか怖くて虫をいっさい触れない子どもが増えている昨今、虫採り網を手に駆け回る少年たちの歓声も、古き良き昭和の記憶となりつつあるのかもしれない。
そんなひと夏の感動を大切に育み、50年以上にわたって大好きなチョウを追い続けている人物がいる。チョウの研究家で、富士市内で中高一貫教育を提供する静岡県富士見中学校・高等学校の現役校長でもある袴田四郎(はかまだしろう)さんがその人だ。
チョウの写真や標本、19世紀に記された貴重な図録などが数多く並ぶ校長室で、熱のこもった話を伺うと、一途な思いを抱き続けられることへの羨ましさを感じた。ひらひらと美しく舞う姿から、日本の詩歌では古来より儚さの隠喩としても用いられてきたチョウだが、そこに向けられた袴田さんの情熱が消え入ることは決してなさそうだ。
校庭でチョウを探す校長先生の姿は微笑ましいですね。袴田さんがチョウに魅了されたきっかけは?
小学5年生の夏休み、山へ虫採りに行った時のことです。森の中に落ちていた三角ケースを、僕がたまたま拾ったんです。三角ケースとは腰のベルトに取り付ける昆虫採集の道具で、チョウやトンボなどのデリケートな翅のある虫を傷めないように紙に挟んで、一体ずつ保管するためのものです。周りの友達は虫かごだけど、僕だけはかっこいい三角ケースを使っているのが、なんだか専門家になったみたいで誇らしくて。
ただ、厚みのある昆虫は三角ケースには入りません。人気のあるクワガタやセミを狙う友達を尻目に、僕はチョウを採るようになりました。そこで初めて、チョウの模様の美しさや不思議さに気づいて、どんどんのめり込んでいったんです。
また同じ頃、親が昆虫図鑑を買ってくれて、そこには自分の知らないチョウがたくさん載っていました。それもそのはず、日本のチョウは3月頃から羽化を始めて、12月頃まで飛ぶものもありますが、子どもはたいてい夏休みに虫採りをするので、春や秋にしか飛ばないチョウはあまり見る機会がないんですね。そこで春休みの暖かい日に野山へ行ってみたところ、春にだけ飛ぶツマキチョウや、個体数が減って場所によっては採取禁止になっているギフチョウを初めて目にすることができました。図鑑の中でしか見たことがないチョウが本当にいるんだと、心から感動しましたね。
とはいえ、今と違って当時は情報が少ない時代ですので、目的のチョウを見るにはとにかく自分の足で探し回るしかないんです。それ以来、早朝や放課後は毎日のように一人で山の中に入っていました。
その情熱が将来の進路にもつながったのですね。
学生時代は頭の中がチョウでいっぱいでしたね。今もいっぱいですけど(笑)。
中学2年生の頃、近所の森で本格的な昆虫網を持った大人の男性に出会ったんです。ものすごくチョウに詳しいその人は、天竜森林事務所という行政機関の職員でした。『そんなにチョウが好きなら入ってみない?』とそこで紹介されたのが、静岡昆虫同好会というサークルです。愛好家が集まって昆虫の調査や研究発表を行なう活動に、中学生の僕も大人に混じって参加して、チョウの分布調査に取り組みました。遊びとしての虫採りではなく、学術的な活動に関われることが嬉しかったですね。
高校3年生で進路を決める際もチョウありきでした。ほんとうは貴重な固有種がいる沖縄の琉球大学に進みたかったんですが、当時の沖縄はまだ本土復帰前で、留学という形になってしまうため、断念しました。
それならばと高山帯のチョウに会える長野県の信州大学に進みましたが、ここでショックなことが起きました。担当の教授に『ここでは君のやりたいことはできないよ』と言われたんです。僕はチョウの分類や生態を研究する純粋昆虫学をやりたかったんですが、日本の大学で昆虫学といえば、虫を殺すためのもの、つまり産業界から求められる害虫駆除の研究が大半という印象がありました。日本の学術研究は人も予算も実利的な分野に流れてしまうので、昆虫の分類などの地道で基礎的な研究は、実際のところ今でもアマチュアの愛好家に支えられている部分が大きいんですよ。
卒業後に教員になったのも、最前線でチョウと関わり続けるためです。大学時代に山でチョウを採っていたら、そこにいた人に『何かの先生ですか?』と言われたことがありました。その時、『なるほど、先生になれば大人がチョウを追いかけても許されるのか』と思って、生物の教師になることにしました(笑)。
静岡県の高校教諭として教鞭を執った後、キャリアの後半は管理職として、いくつかの高校の統廃合などにも関わってきました。定年退職後は三島市にある放送大学静岡学習センターで5年間、教務主管を務めて、4年前からこの富士見中学・高校の校長を務めています。
教職の傍らの活動でありながら、チョウの研究では新種を発見して学名の名付け親にもなっているそうですね。
僕が学名をつけた新しい種や亜種のグループは7つありますが、それらの申請をするには根拠となる論文を書いて発表しないといけません。ヨーロッパの権威ある博物館に直接問い合わせて資料のコピーを取り寄せたり、200年以上前に書かれた図録を古本屋で探してきたりと、大変な作業の連続です。
また申請時には論文だけでなく、学名の科学的な基準となる標本を示さなければなりません。標本の作製や管理はとても重要で、そこに添付されたラベルの順番や内容によって、記録・分類の歴史が時系列で積み重なっていきます。これらの作業と学校での授業を同時並行で進めていたので、振り返ってみると多忙でしたが、授業の空き時間に生物室でチョウの腹部を解剖して交尾器を比較したり、家に帰ってからは論文を書いたりと、どんなに忙しくてもチョウのこととなると苦になりませんでしたね。当時のあだ名はもちろん『チョウ先生』ですよ(笑)。
学校の夏休みなどでまとまった時間が取れると、ヒマラヤやチベット、中央アジアなどに出かけて、そこにしかいないチョウを採集しました。標高5千メートルを超える場所でチョウを捕まえるのって、ものすごく苦しんですよ。チョウがいそうな場所を選んで、まずはひたすら待ちます。チョウが現れたら、逃げられないように息を潜めて狙います。空気の薄い高山で息を止めたまま大きな網を振るわけですから、それはもう大変です。
40代後半になると体力的にも厳しくなって、管理職に就いて長期の休みが取れなくなったこともあって、2000年代からは海外ではなく、毎年のように沖縄に通っています。沖縄の風土や文化、それから泡盛を飲むのも大好きなんですが、やはり沖縄固有のチョウに出会うことが一番の目的ですね。
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