Vol. 165|わんわん大サーカス 団長 内田 博章
みんながいるから
戦後の見世物小屋から始まった、「犬だけのサーカス」。街のあちらこちらを野良犬がさまよっていた時代から、家族の一員である犬を屋外で飼うことすら珍しくなった現在まで、変わりゆく価値観に即したステージで全国の人々を笑顔にしてきたのが、富士市大淵に拠点を構える『わんわん大サーカス』だ。
祖父の代から受け継いだ芸に磨きをかけ、団長として当サーカスを率いるのは、内田博章さん。現在では国内唯一となった犬のサーカスは、イベントにCMにテレビ番組にと引っ張りだこの毎日だったが、新型コロナウイルスによる影響で、状況は一変した。そんな中でも犬たちの健康と日常を守ることを第一に考えながら、新しい生活様式に沿ったエンターテインメントのあり方を模索し、挑戦し続ける内田さんの姿に、全国から支援と共感の声が届いている。
『わんわん大サーカス』の成り立ちや、ステージの見どころについて教えてください。
現在は犬が29頭、人間のスタッフが8名という体制です。過去には犬120頭、スタッフ30名という時期もあって、全国に4ヵ所あった犬のテーマパークに分散して常駐していました。
発祥はいわゆる見世物小屋で、戦後間もない頃に祖父が始めた事業です。当初は人間が芸をする形だったのが、ある時みんなで焚き火に当たっていたところ、野良犬がひょっこりやって来て、火を怖がることもなく一緒に温まったんだそうです。これは面白いということになって、その犬も舞台に上げるようになったのがきっかけです。ところが優秀な演者さんが一人また一人と別のサーカス団に引き抜かれていって、最終的に犬だけが残ったそうです。祖父がよく言っていました。『犬は裏切らない』って(笑)。そこから犬に特化したサーカスを始めて、祖父から父、父から僕へと、3世代にわたって活動を続けています。
内容はステージによってさまざまですが、縄跳びや玉乗り、乱杭渡りなどが定番の演目です。みんなで協力して息のあった演技を見せる大縄跳びや樽転がしは、犬が主役のサーカスならではの賑やかさと愛らしさが魅力です。
内田さんご自身にとっては、生まれた時にはすでに身近にたくさんの犬がいたということですね。
小学生の頃、犬に顔をベロベロ舐められている僕を見た友だちに、『わっ、汚ねぇ!』って言われて、『えっ?これってみんなやってるんじゃないの?』とショックを受けたのを覚えています(笑)。週末にはステージ上で父がおしゃべりをして、かわいい犬たちが芸をして、お客さんが笑ったり泣いたりしているのを当たり前のものとして見ていましたし、その会場全体がとてもキラキラしていた思い出があります。大きくなったら自分もこの仕事をやるんだと、何の迷いもなく決めていましたね。
大学卒業後は2年間、社会勉強を兼ねてイベント関連の企業に勤めましたが、それ以降はずっとこの仕事です。僕がステージにデビューしたての頃、緊張して演技の順番を忘れてしまうことが何度かあったんですが、次の出番の犬が勝手にステージに出てきて、僕に段取りを教えてくれるので助かりました(笑)。
犬は人間にとって最も身近な動物で、ペットとして飼われている犬でも、素晴らしい芸をする子はたくさんいます。プロとアマの違いがあるとすれば、その芸を仕事として安定的にできるかどうかですね。ただ、技術がすべてという話ではありません。完璧な演技を見せるよりも、むしろ一つ二つ失敗した上で、お客さんからの声援をいただきながら成功したほうが、ショーとしては盛り上がります。また、演技の前に照明や音楽で緊張感を高めたところで、急に犬があくびをしたり後ろ脚で首を掻いたりすると、ものすごくウケるんです。特に最近は演技の完成度だけでなく、多くのお客さんが犬に親しみや癒しを求めているようですね。
警察犬や盲導犬などの世界では、極端におとなしい子、元気すぎる子は適性がないとされますが、サーカスの犬は違います。落ち着きのない子は玉乗りなどの派手な演技に向いていますし、逆におっとりした子はおどけたピエロの役といったように、個性に合った役割を与えて、人間がうまく演出してあげることで、みんなが活きてきます。それぞれの得意なこと、好きなことをそのまま伸ばしてあげることで、犬たちも楽しみながらトレーニングができますし、どんなタイプの子もスターになれるんです。これは人間の教育においても同じことがいえるのかもしれませんね。
今では人気者になった犬たちの中には、以前は不遇な環境に置かれていた子もいるそうですね。
ここで活躍している犬の多くは、元保護犬やペットショップで売れ残ってしまった、つまり一度人間に見放された子たちです。僕としては演技や興行以前に、動物の命に対しての思いがあります。血統書付きの容姿がきれいな子も、そうでない保護犬の子も、まったく等しい一つの命ですよね。そこに人間による選別が行なわれていることは、残念ながら現実です。
もちろん僕がすべての命を救えるわけではありませんが、そういった悲しい出来事を少しでもなくしたいと考えています。そして身につけた演技によって、この子たちにも人間を笑顔にすることができる、輝くことができるということを知ってほしいんです。また、ステージを観てくれる子どもたちには、どんな環境からでも頑張れば自分にも何かすごいことができるかもしれないという、希望や可能性を感じ取ってもらえたらと思います。
今はコロナ禍の状況ですので、犬と直接触れ合う場を設けることは難しいですが、本来であれば、ステージ後には犬たちに触れてもらって、命が持つ温かさや柔らかさを伝える活動もしています。保護犬だった子はたいてい、どこか暗さを抱えていて、最初は人間が近づくだけで怯えたような表情になります。まずはその警戒心を解いて、怖くないよ、ここは安心していい場所なんだよと、関係性を築くことに努めます。それができてから、ようやくトレーニングを始めます。
基本的には遊びをベースにした動きの中で、少しずつ演技を身につけていきます。犬も人間と同じで、習得したことは披露したいんですね。ステージではそれをそのまま表現しているだけなんです。動物に芸を教えて興行することついて、批判的な意見があることはもちろん承知しています。しかし、僕たちは犬に対して心から愛情と敬意を持って接していますし、わんわん大サーカスの犬たちが自ら楽しんで演技をしていることは、一度ステージを観てもらえればきっと伝わると思います。その姿を見ることなく、これは動物虐待だ、金儲けの道具だと言われてしまうと、この子たちが過ごしてきた時間や成長の過程まで丸ごと否定されたようで、とても悲しいんです。
イベント会場に向かう際に、高齢で引退した子を犬舎に残していこうとすると、私も連れて行ってと言わんばかりに勝手に車に乗り込むんですよね。その姿を見ていると、『ああ、この子たちにとってはステージに立つことが生きがいなんだな』と改めて感じます。
サーカスの灯は、
消さない
多くのファンを楽しませてきた中で、今回の新型コロナウイルスは活動の根幹に関わる問題だと思います。犬たちを守るために行なったという「クラウドファンディング」についてもお聞かせください。
新型コロナウイルスの問題が大きくなり始めた2月から4月は、北海道の洞爺湖で長期公演の真っ最中でした。通常は数ヵ月前にはイベント出演のオファーが全国から届いて、週末はすべて予定で埋まるんですが、3月以降のイベントが次々と中止になり、5月にはゼロになりました。
正直なところ、夏には通常に戻るだろうと、当初は楽観視していたんですが、東京五輪が延期になった頃からイベント業界全体の空気が変わっていくのを肌で感じました。感染症対策としてのイベント自粛は仕方ないと思いますが、犬は生き物です。公演がなくても、収入がゼロでも、固定の飼育費やワクチンなどの医療費は必要になります。一度人間に見放された犬たちを、再び人間の都合で切り捨てることなど僕には絶対に考えられません。
さあ困ったと頭を抱えていたところに、保護猫カフェを経営している知人がクラウドファンディングで支援を募っているという話を聞きました。インターネット上で理念を伝え、共感していただいた方から支援を募るこの仕組み自体は以前から知っていましたが、まさか自分が利用することになるとは夢にも思いませんでしたし、強い葛藤もありました。ステージを観てもらうわけでも何かを販売するわけでもなく、単純に金銭的な支援をお願いする行為が、祖父の代から積み上げてきた『わんわん大サーカス』の信用を切り崩してしまうような気がして。ただ、今回ばかりは自分たちの頑張りだけではとても乗り切れないと、覚悟を決めました。
そして大変ありがたいことに、『昔わんわん大サーカスを観て楽しませてもらいました』とか、『このお金でわんちゃんたちにおやつをあげてください』といった、本当に嬉しいお言葉とともに、予想もしていなかった早さで、全国から多大なるご支援をいただきました。あるSNSの投稿では、『10万円の特定定額給付金をわんちゃんたちのために使います』と支援を表明してくださる方もいて、思わず涙が出ました。
資金面での支援には、それ以上の価値や思いが込められていたんですね。まだまだ困難は続くかもしれませんが、今後の活動についてはどのようにお考えですか?
今は言葉にできないほどの感謝とともに、大きな責任も感じています。今回の支援は、わんわん大サーカスの未来に対して、みなさんからお預かりした期待と信頼だと思っています。
コロナ禍によって世界の価値観は一変しました。それを受けて、僕たちは表現方法を工夫しながら、事業をしっかりと継続していくことで、その思いにお返しをしていかなくてはなりません。チケットの販売から視聴までをインターネット上で行なえるオンライン公演の開催や、接触の機会を減らしながら楽しんでもらえるプログラムの再構成など、スタッフみんなで協力しながら試行錯誤を重ねているところです。
現在は少しずつ、小規模なイベント会場での出演が戻ってきていて、この春に入団して以来一度もステージに立てていなかった新人スタッフが、先日ついにデビューを果たせたことも、明るい材料として捉えています。今すぐに大規模な公演というのは難しいですが、もしどこかで機会があれば、わんわん大サーカスのショーを観ていただけると嬉しいです。わんちゃんたちはこんなに元気ですと、胸を張って報告したいですし、応援していただけることへの感謝の気持ちを、ステージ上で精いっぱい表現したいです。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Photography/Kohei Handa
内田 博章
わんわん大サーカス 代表
1977(昭和52)年5月27日生まれ (43歳)
富士市出身・在住
(取材当時)
うちだ・ひろあき / 吉原一中、富士東高校、常葉学園浜松大学経営情報学部を卒業後、2年間の会社員生活を経て、家業である有限会社内田芸能社に入社。『わんわん大サーカス』の団長を務め、現在に至る。全国の観光・商業施設や教育機関でのイベントに出演するほか、国内最大規模のサーカス団と業務提携するなど、人気実力ともに評価が高い。テレビ番組やCMにも数多く出演し、3つのギネスワールドレコード(犬の大縄跳び、ネックウォーク、レッグジャンプ)も保有。行き場を失った保護犬を積極的に受け入れ、これまでに引き取った保護犬は300頭を超える。今年5月、新型コロナウイルス感染拡大に伴う活動の制限を受けて、在籍する犬たちの生活と医療環境を守るためのクラウドファンディングに挑戦。当初設定した目標額200万円に対して、50日間で延べ560名から650万円超の支援を集めたことでも注目された。
取材を終えて 編集長の感想
昨年11月、文化の日。富士市中央公園で行なわれた「富士市産業まつり」の特設会場で、わんわん大サーカスを初めて目にしました。実は私、特にペット好きというわけでもなんでもないのですが、犬たちの健気な姿とステージを仕切る団長さんの軽妙なトーク芸に、思わず立ち止まり魅入ってしまいました。かわいい演技にうちの子どもたちも大はしゃぎです。そして終盤、観客の視線を投げ銭用の帽子へ誘導する団長さんの話術の、それはそれは上手いこと……。子どもたちがこんなに喜んでいるんだから、財布の紐を緩めないわけにはいきません。
そしてコロナがやや落ち着いた、7月頭の取材当日。ステージで見たひょうきんなキャラとは違い、素顔の内田団長はとても真剣で物静かな眼差しの職業人でした。「サーカス」と聞くと、まるで動物に危険なことをさせたりムチで酷使しているような昔ながらのイメージを持っている方もいるかもしれませんが、それはまったく違います。かつては保護犬だった子たちを、みんな違う個性をもった大切な仕事のパートナーとして、お互い支え合う。信頼できる仲間と働くことの喜びは、人間も犬もきっと同じなのでしょう。
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