Vol. 156|洋画家 牧野 満徳
調和と不協和の風景
ロシアのエルミター ジュ美術館をはじめ、 フランスやアメリカなどの世界の名だたる美術館から引き合いがあり、モネやゴッホ、 ゴーギャンやセザンヌと一緒に美術専門誌に作品が掲載されている洋画家が富士市に住んでいる。 富士山周辺の風景を独特のタッチで描く牧野満徳さんは、誰にも真似できない表現方法で、キャンバスに描く大棚の滝の水の流れに陰影を、そして大淵笹場の茶畑の葉に輝きを与えた。
国際的に高く評価されている牧野さんの作品は、さながら19世紀後半にヨーロッパに影響を与えた葛飾北斎の浮世絵のようだ。「この辺りにはいい風景が広がっているので、よそへ行く必要はないんです」という牧野さんの情感あふれる作品が、 富士を仰ぐこの地域の情景を世界へ伝えていく。
牧野さんが画家になろうと思ったきっかけは?
中学の部活引退後、父が誕生日に油絵セットを買ってくれたのがきっかけです。小学l年のときに、吉原市 ・ 旧富土市 ・ 鷹岡町が合併して今の富士市になり、その第1回小中学校美術展に出品した運動会の絵で特選を受賞するなど、子どものころから絵で賞をいただくことは多かったのですが、中学時代は卓球部に所属して部活動に打ちこみ、絵は描いていませんでした。 でも、絵を描くたびに表彰されたので、 父は僕には絵を描く才能があると思っていたんでしょうね。 中学3年で受験を控えていましたが、油絵セットをもらえたのが嬉しくて、 受験勉強もせず絵ばかり描いていました。 あまりに勉強をしないので父に叱られ、『画家になる!』と言ったときから親子ゲンカばかりでしたよ。 ずっと反対されていましたが、 二十歳になってようやく、 何でも好きなことをやればいいと言ってもらい、それから東京にある絵の専門学校に行き、 日本画や洋画、 テンペラ画など、絵画についてしっかり勉強しました。
その後、父が起業するというので、 手伝うために富士に戻りましたが、 タイミングよく近くの絵画教室をしていた先生たちから立て続けに教室を引き継いでほしいという話があり、 父の仕事を手伝いながら近隣の方々に教室で教えるようになりました。 経済的にも落ち着いて、自分のペースで描き続けることができ、ときどき個展を開催することもできる環境でした。
世界中で評価されている牧野さんの絵ですが、 題材は富士山をはじめ、 地元の風景が多いですね。
人物画も描いていましたが、風景画を描くようになったのは、東京にいたときに見たジョン ・ コンスタブルの絵に感銘を受けてからです。コンスタブルは風景画の巨匠ウィリアム ・ ターナーと並んで 19世紀のイギリスを代表する画家で、刻々と変化する光の効果を捉えようとしたことでも知られています。故郷のサフォーク周辺の風景を描き続けたコンスタブルの作品は、まさにイギリスの原風景であり、故郷への愛着も感じられ、僕も風景画を描きたいと思いました。
風景画といっても、お金がかかるからそんなに遠くには行けないんですよ(笑)。でも、地元にはいい風景がたくさんあるので、描き尽くすまでよそへ行く必要はありません。昔はあちらこちらへ出かけたので写真もありますし、記憶にも残っています。煙突を描きたくて田子の浦港からの風景を、また子どものころよく訪れた大棚の滝が印象に残っているので、たくさん描きました。 キャンプに行ったときの芝川 ・ 柚野の風景なども頭に焼きついています。 構図を変え、そこにないものをあえて描き加えるなど、実際の風景を加工して、本質を表すようにしているんです。富士山を真ん中に描くのは、題名に『富士山』とつけやすいからです (笑)。
僕の絵が評価されているのは、技法がオリジナルだからということもあります。専門学校卒業後、 誰にも師事せず独学で絵の勉強をしてきました。 独自の描き方なので、海外で僕の絵を見た評論家から『これは師匠がいないか、あるいは師匠がいても逆らう人の絵だ』と評されたこともあります。僕の点描技法は、富士市大淵 ・ 笹場からの富士山を描くときに、茶畑をどうやったら浮き上がっているように表せるかを研究していて生まれたものです。最初は茶畑の葉の表現だけに点描技法を用いていましたが、次には富士山、そして空までと、徐々に広がっていき、今では全体をこの技法で描くこともあります。
でも、描き方にこだわりがあるわけではありません。 技術の研究もたくさんしたので、どういうときにどんな技法で描けばいいのか、最上の方法を選ぶことができます。油絵は水彩画などとは違い、いろいろな技法が使えます。ただ、組み合わせるのにもバランスが大切になります。だからこそ難しいのです。洋画のことをよくわかっている人が見れば、僕の描き方の特異性に気づくので、国内外で評価していただいているのだと思います。
描くときに気をつけていることはありますか?
1枚の絵を描き上げてから次の作品へ移るのではなく、 下塗りを乾かしながら他の絵に取り掛かるので、同時に何枚か描くスタイルです。だいたい2ヵ月で4~5枚のペースで、ローテーションしながら描くのですが、 仕上げは大体同じ時期になります。でもそこは一番大切な作業なので、 一度にすべてを仕上げることはできません。 仕上げは1日に1枚。どこで手を止めるかがとても重要です。 そろそろ完成だと思ったら、手を止めて遠くを見ます。 ふと感じるものがあったらそこで終わりです。
最初と最後だけは部屋に一人こもって作業をしますが、 下描きができていれば、 絵の具をのせていくだけなので、話をしながらでも作業ができます。 難しいのは深みの出し方、 いかに不協和音を入れるかです。 きれいなメロディ ーに不協和音が混ざると音楽に深みが出 るといわれますが、絵でも同じです。 例えば油絵で、白と青だけで富士山を描くと、 きれいには描けますが深みは出ません。 不協和音的要素の他の色を入れて描くといいんです。 どの程度入れるかがポイントで、 入れれば入れるほどぐちゃぐちゃになってしまうこともあります。感覚の繊細さを最も必要とするところですね。僕の描く絵にはどれも影が入ります。影を描くことで深みのある風景画になります。
身近な風景を描き尽くす
海外からも出展の引き合いが多くなり、 ますます活動の場が広がりそうですが、 芸術全般に関して国内の今後の動きに期待していることはありますか?
日本の芸術をとりまく環境が変わり、 芸術で生計を立てていけるようになるといいですね。 今でも子どもが画家になりたいというと、 生活できないからやめなさいと止める親は多いですし、そう言われた子は、大人になってからも芸術を拒絶してしまう煩向があるんです。 これでは芸術は衰退してしまいます。 アメリカやアジアの国々では、芸術品を買う人には納税の際に優遇されるなど、芸術家を育てていくような社会制度が整備されていますが、日本はまだその辺りが十分ではないように思います。
また、芸術というのは心のバランス感覚を育むのにちょうどいいものです。 社会のルールについても、どこまで徹底するのか、どの程度柔軟に対応するのかなど、判断する人の心のバランス感覚が重要となります。日本では芸術作品を鑑賞する際、『私にはわからない』などと言いがちですが、 人それぞれの感じ方が あっていいんです。 もっと自分の感覚に自信を持つべきです。権威ある人の言葉に流されるのではなく、偏見にとらわれない自分らしい感覚を大切にしてほしいですね。 どんなにすごいといわれている人の絵でも、 変だと感じたのならそれでいいんです。 そうやって個々の感覚が磨かれていくと、日本全体のレベルアップにもつながります。
よいものをたくさん観ることが大事です。 芸術家が育っていくことも大切ですが、 誰もが芸術に親しみ、 芸術を通じて感性を磨いていけるといいですね。 地元にそういう場ができるといいなと思います。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Cover Photo/Kohei Handa
Text/Kazumi Kawashima
牧野 満徳
洋画家
1959(昭和34)年11月7日生まれ(60歳)
富士市出身・在住
(取材当時)
まきの・みつのり/ 小学4年まで原田地区で過ごし、その後鷹岡へ。鷹岡中、富土宮北高卒。 エルミージュ美術館国際友好会員、英国王立美術家協会名誉会員、 故宮博物院正友好会員などに名を 連ね、タイ王室からナ・ シラバ(芸術の顔)称号を受けるなど、 世界を舞台に活躍。 冨士 ・ 富士宮 をはじめ、地元の風景を題材にした作品が国際的にも高く評価されている。2017年にスイスで開催されたアートフェアでは展示作品を紹介するカタログの表紙を飾り、インド国立ガンジー記念博物館から国際平和褒章、 モンゴル国立美術館の壁画のアートタイルにも2作品が選ばれている。 来年発行される世界的な美術誌『アート・メゾン』や『グラン・オペラ』にも作品が掲載される予定。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
当紙で富士山を描いたり撮ったりする人を取り上げたことはこれまでほとんどありません。こと富士地域において「富士山を題材にするアーティスト」というテーマはあまりに王道すぎて逆に敷居が高いのです。作る側もたくさんいるし、見る側としても富士地域ほど富士山アートを見る市民の目が肥えていて皆が一家言持っている街もないでしょう。「富士山画家といえばこの人です」という市民コンセンサスみたいなものはどこにもなく、一人を選んで取り上げるのは実に難しい。
実際に牧野さんにお会いしてみると「富士山画家」というカテゴライズが無意味だと気づきました。歌手を讃えるときに「電話帳さえ歌える」と表現することがありますが、その洋画家版のように、牧野さんはどんな題材でも、そしてどんな技法ででも描こうと思えば描けてしまいます。でも大事なのはあらゆることができるなかで何を選び何を選ばないかというバランス感覚。調和のなかにほんのちょっとの不協和を絶妙なバランスで入れる。それが牧野さんの絵が評価される秘密なのでしょう。
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