Vol. 148|幸ハウス富士 看護師 植竹 真理
そっと自分になれる家
優しい木のぬくもりと大きな窓からの自然光。富士市中島の川村病院に隣接し、まるで森の中の陽だまりを思わせるようなこの空間『幸(さち)ハウス富士』では、がん患者が不安と向き合い、本来の自分を取り戻して自分らしく生きていけるよう、看護師や傾聴トレーニングを受けたスタッフがそっと寄り添う。
ここで優しく微笑みながら訪問者を迎える植竹真理(うえたけ まり)さんは、看護師としての経験から、最期まで自分らしくありたいと願う患者の意を酌む仕事がしたいと熱望して幸ハウス富士に辿り着いた。今や二人に一人が発症するともいわれている、がん。だからこそ、こういう場所が地元にあることが心強く感じられる。
外観からはカフェのようにも見えますが、幸ハウス富士とは何をするところですか?
ひと言で言えば、がんを患っている方やそのご家族が、大切にしたいことを大切にできる場所です。自分の過ごしたいように過ごせる場所なので、ここへ来たからといって特に何かしなくてはならないわけではないんです。気軽に立ち寄って、本が読みたければ本を読んだり、お茶を飲みながら一息ついてもいいし、話がしたいというのであれば私たちがいます。予約も利用料も必要ありません。お茶やヨガ、アロマテラピーなどのプログラムをしていることもありますが、参加してもしなくてもいいんです。最初はどうしたらいいのか分からない方も、どんな風に自分が過ごしたいのか徐々に分かってくるようです。
先日、とても嬉しい言葉をいただいたんです。その方はご友人の紹介で来てくださったんですが、『過ごしたいように過ごしていただけるところですよ』と言うと、『皆さんの表情を見ていると、皆さんが何かに囚われることなく、それぞれ過ごされていますね。空気感で分かりますよ』とおっしゃったんです。これはなによりの褒め言葉です。ふつうの施設は髪を切るために美容室へ行く、お茶を飲むためにカフェへ行くなど、やっていること、つまり『doing(ドゥーイング)』ありきですが、ありのまま『being(ビーイング)』でいられるのが幸ハウス富士です。
これまでにどのくらいの人数が利用しているのですか?
現在開いているのは毎週水曜日だけなのですが、昨年3月のオープンから12月までの10ヵ月で延べ452人の方々が来てくださいました。そのうちがん患者さんが300人で、その他は患者さんを支えているご家族やご友人です。川村病院にかかっている方が半分くらいで、富士市内外の他の病院にかかっている方も来ています。遠くから車で2時間かけて通う患者さんもいます。病院に置いているパンフレットやチラシがきっかけの方々が多いですね。今後は地域の方にももっと知ってもらえるように努力しなければいけないと思っています。幸ハウス富士の存在を知っていても利用しないのと、知らなくて来られないのでは意味が違いますから。
数ヵ月に1回のペースで週末に開催されているイベントにはがん患者さんでなくても参加できます。これまで開催した計13回のイベントには延べ181人の方々が来てくださいました。3月10日には1周年記念感謝・報告会を、また6月には『記憶のアトリエin 幸ハウス』と題して、自分の大切にしているものを手製の本に収めて綴じるというワークショップも開催します。ホームページでもイベントのお知らせをしているので、興味のある方はぜひ参加していただきたいです。
植竹さんがここで働きたいと思ったきっかけは?
私は中学生の時には『絶対に看護師になる』と決めていました。大学で勉強した後、最初に就職した神奈川県の病院で2年、静岡県内の病院で2年弱くらい働いていました。看取ることの多い、看護師が忙しく処置やケアにまわっている病棟に勤務していたのですが、看護師が忙しくしていると、患者さんが本当の気持ちや想いを話すのは難しいですよね。自分の勤務が終わって、特に話をするわけでなくても、なんとなく患者さんのベッド横に座っていたり、つらいところを擦っていたりすると、『本当は治療を辞めたいんだ』とか『家に帰りたい』とか、その人の最期を決めるような本当に大切なことを話してくれるんです。私にはその時間がとても大事で、どのタイミングで医師やご家族に伝えるのがいいのかを考えながら、患者さんとそれを支える人々をつなげていくことにやりがいを感じていたんです。でも、大きな組織の中で私一人が勤務時間外に患者さんとコミュニケーションをとるようなことをしてしまうのは管理する側からすると良くないんですね。それではどうしたらいいのか、じっくり関われるのはどこかと考えて訪問看護の仕事をしたりもしました。
その後出産を機に家庭に入り、仕事からは離れていましたが、患者さんの気持ちに寄り添えるような仕事をしたいという想いはずっと持っていたんです。そして1年半くらい前に、ひどい肩こりに悩まされて通っていた整体で、『植竹さんがやりたいことって、こういうことじゃない?』と教えてもらったのが、NPO法人・幸ハウスの川村真妃(かわむら まき)代表の書いた幸ハウス富士についての記事だったんです。それを読んで、『私のやりたいのはコレだ!』と、なんだか自分の形をした穴にスポッとハマった感覚になったんです。連絡先が分からなかったのですが、幸ハウス富士が川村病院の敷地内に建設されるということだったので、すぐに川村病院に電話をしました。『どうしたら行けますか?』って(笑)。当時子どもが小学3年生と1年生で、まだ復職を考えていたわけでもなかったんですが、私がやりたいと思っていたことが見つかったと家族に伝えると、夫も子どもたちも賛成してくれました。
生きる力を
与えてくれる場所に
イギリス発祥の『マギーズセンター』をモデルにしているそうですが、マギーズセンターとはどういうところなのでしょうか。
イギリスの女性造園家・マギー・K・ジェンクス氏が再発がんで死を覚悟した際、がんを患い、さまざまな想いを持つ人たちが自分を取り戻せる空間とそのためのサポートの場をつくりたいと願い、発案したのがマギーズセンターです。その後マギー氏は亡くなりましたが、その遺志を継いだ建築家である夫の手により、1996年に設立されました。
川村代表が同センターを訪問した際に感銘を受け、病院ではできないような患者さんの声に耳を傾けることを重視した施設をつくりたいと発起し、この幸ハウス富士がオープンしました。医療行為を施すところではなく、空間の癒しの力というのでしょうか。心がほぐれて、ありのままの自分でいられる空間なんです。マギーズセンターと違うのは、イギリスのやり方をそのまま日本で実践するのではなく、日本の、さらにはこの地域に根差したプログラムやセンターの在り方を考えて運営しているところです。
NPO法人としての活動方針はどのようなものですか?
『病気になっても病人にならない』という大きな命題を軸として、『患者さんが自分を取り戻し、自分の生き方を考えるための寄り添う居場所を日本中につくる』『誰もが死生観を語り合える場をつくる』という2つの使命を掲げています。具体的な取り組みとしては幸ハウス富士の運営に加えて、『Death Café (デス カフェ)』という死について語り合うイベントや死生観を深められる映画上映、カードゲームなどを随時開催しています。日本では死について話すことを忌み嫌うような風潮もあり、ふだんからどんなふうに最期を迎えたいかを家族や友だちと気軽に話すことはなかなかないと思うのですが、死について考えることはいかに生きるかを考えることと同じです。
今の医療は選択肢もたくさんあるので、自分がどんな最期を迎えたいかということを家族で話す機会を作れるといいなと思うんです。話しておかないと、残された家族が後悔したり、『本当にこれで良かったんだろうか』と、ずっと迷いながら残りの人生を送ることになったりします。それはすごく残念なことですよね。だからこそ、家族に限らず、なるべく多くの人に自分の死生観を知っていてもらうのが一番安心なんです。誰か一人にだけ『延命は嫌だ』と伝えておいたとしたら、いざという時にその一人に大きな責任がのしかかってしまいます。でも、その人が延命を望んでいないということを複数の人が知っていれば、その決断に対する迷いのハードルは低くなるわけです。残された家族の悲しみや寂しさは変わらなくても、後悔や苦しみは減らしてあげられると思うんです。
私自身、夫に自分がどういう風に最期を迎えたいのかをよく話していて、夫婦や家族間で自然にそういう話ができるような社会になるといいなと思っています。でも、夫は医療関係で働いているわけではなく、自分は元気いっぱい、病気にならない、絶対に死なないくらいに考えているような人なので、自身のことはまだ全く話してくれないんですけどね(笑)。
また、川村病院の敷地内には終末期ケアを行うホスピスも建設予定です。病院で手術・治療を終えて家に帰る時には『家で最期を迎えたい』と思っていても、人の気持ちは揺らぎます。激しい痛みや症状が出てきた時には家族も本人も不安になります。ホスピスでは痛みを取り除くなどの医療行為も行えます。ただし、私たちの目的は単なる医療機関の拡充ではありません。真に目指すのは、患者さんを医療従事者だけで支えるのではなく、幅広い分野の専門家がそれぞれの角度から支え合う、多職種支援施設の実現です。患者さん自身が大切にしている想いを大切にするために、地域のさまざまな専門家が集い、耳を傾け、寄り添うことができる幸ハウス富士の特徴を活かしながら、この場所を拠点とした地域づくりにこれからも取り組んでいきたいです。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text/Kazumi Kawashima
Cover Photo/Kohei Handa
植竹 真理
幸ハウス富士 看護師
1979(昭和54)年12月21日生まれ
三島市出身・在住
(取材当時)
うえたけ・まり/静岡県立韮山高校、香川医科大学(現・香川大学)医学部看護学科卒。北里大学東病院をはじめ県内外の病院での勤務を経て訪問看護師として働いた後、出産を機に家庭へ。2018年、幸ハウス富士との運命的な出会いから仕事復帰を決めた。座右の銘は「出会いは人生の宝もの」。小学4年生と2年生の男の子2人の母。
幸ハウス富士は、世界でも権威ある建築賞
アーキテクチャーマスタープライズを2018年病院部門で受賞している。
設計は太刀川英輔(たちかわえいすけ)氏。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
ビジョンを共有する人と巡り会い、同じ夢を目指すことができるのは幸せ。今回取材した植竹さんと幸ハウス代表の川村さんの出会いのきっかけから今までのお話を伺い、そんなことを強く感じました。通常、団体の取材をするときには代表の肩書を持つ方にご登場いただくことが多いのですが、植竹さんにスポットを当てようという川村さんのご推薦どおり、幸ハウスの活動にかけるお二人の思いはあたかも姉妹のように歯車が噛み合っている印象でした。
優しさ溢れる建築デザインと、居心地のいい空間。植竹さんをはじめとするスタッフの方々がつくる、包容力に満ちたホスピタリティ。ここは、誕生と死で区切られたほんの束の間をともにすることになった、人と人との邂逅の不思議を見つめる場所です。死は決して遠く冷たいものじゃない。誰もがいずれ死ぬという事実をそっと受け入れてみると、今生きる自分の命にも愛する家族の人生にも温かな敬意をもつことができるようになるのだと、幸ハウスの皆さんに教えてもらいました。
自分が、あるいは家族の誰かががんと告知されたとき、動揺しない人はいないでしょう。まずどこから整理して考えたらいいのか戸惑うことでしょう。そんなとき、あまり構えずにふらっと訪れてみるだけでもいいんです。ただ心の荷を下ろしたいだけでも、植竹さんたちがきっと力になってくれるはずです。
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