Vol. 101|シンガーソングライター CHISE
ひまわりのように 〜笑顔の種 幸せの花〜
アーティストにはその活動の源泉となる自身の物語が必要だ。表現者として、人間として、時には内面的な心のあり方までも白日の下に晒すことで、その作品に触れた人の心を動かす。それだけのエネルギーを放ち続けるには、感性や才能だけでなく、相当な覚悟も必要だろう。
富士市出身のシンガーソングライター・CHISEさんは、自らの経験や思いを飾ることなく作品に投影し、ライブ活動や門下生への指導を通じて積極的に発信している。2度にわたるがんとの闘病、さらには原因不明の難病にまで苛まれながらも、歌を愛する一心で活動を続けてきた。不思議なことに、困難に直面した経験を語る時ほど、CHISEさんの表情はいきいきとして眩しい。太陽のような存在感を持ち、花が咲いた後には次世代につながる無数の種を残すひまわりを自らのシンボルにしているというCHISEさんの周りでは、今日も誰かが笑顔になり、前向きな気持ちになれる明るい輪が広がっている。
CHISEさんの楽曲は恋愛を扱ったものに限らず、夢に向かう人を後押しする曲や広い意味での人間愛を題材にしたものなど幅広いですね。曲作りは具体的にどのような流れで進めるのですか?
私の場合はメロディーを先に作って、後から歌詞をつけていきます。作曲はDTM(デスクトップミュージック)といって、パソコンのプログラムを使う方法で、楽器は使わず全ての音を自分で入力して作り込んでいきます。歌詞は思い浮かんだ時にメモを残しておいて、ひとつの作品として何を伝えたいかを意識しながら、書き溜めた言葉をつなぎ合わせていくという感じですね。
シンガーソングライターの大変なところは、全部自分で作っているだけに、歌う時にお手本になるものが何もないんです。だから自分で作った曲なのに、歌うのが難しくていつまで経っても自分の中で満点が取れないんですよ(笑)。でもそこがプロとしてのやりがいでもあって、表現の引き出しやテクニックを増やしていくことで、自分の曲を何度も歌いながら完成型へと育てていきたいと思っています。
歌を始めたきっかけは?
小さな頃から歌うことが大好きで、ご飯を食べる時も歌ってしまうほどでした。両親は趣味で合唱やトランペットをやっていましたが、私自身は特に音楽のレッスンを受けたわけでもなく、ただ純粋に歌うことが好きだったんです。音感は良かったのか、家にあった貰い物のエレクトーンを自分でなんとなく弾いたりもしていました。でもその頃は将来歌手になりたいとは口に出して言えませんでした。そんなの絶対に無理だし、恥ずかしいって、自分で勝手に決めつけていたんです。結局高校で卒業後の進路を決める時まで言い出せずに、職業として何か他のものはないかと探しました。当時アルバイトをしていた美容院の仕事に興味を感じて、美容師の専門学校に進学する願書を提出する直前までいったんですが、最後の最後でどうしても歌が気になって。やっぱり今ここで歌をやらなきゃ、このままじゃ絶対に後悔すると思って、歌手になろうと決心しました。それからは歌一筋ですね。そこまで考え抜いて自分自身で決めたことですから、どんなに辛いことがあっても後悔したり、別の道に逃げたいと思ったことは一度もありません。プレない女です(笑)。
その後、音楽留学のために単身渡米したとのことですが、ものすごい行動力ですね。不安はありませんでしたか?
進路を決めてからは、東京に通ってボイストレーニングやピアノの先生にレッスンを受けていましたが、先生からの勧めもあって、より良い指導と刺激を受けられる環境を求めて、ロサンゼルスに行くことにしました。ツテもコネもありませんでしたが、自分で留学先を調べて、高校卒業後2年間はいろんなアルバイトをかけ持ちしてお金を貯めました。基本的に両親はノータッチです。一人娘ということもあって、当然心配はしていましたが、私がやると言い出したら聞かないのは分かっているので(笑)。
私としては、とにかくやってみたい、やらないと後悔するんだからやるしかない、それでもし何かトラブルがあっても仕方がないという感覚で、あまり不安は感じませんでしたね。実際は言葉の面でも最初はかなり苦労して、銀行口座を作るのに1週間くらいかかりましたけど(笑)。でもアメリカでの経験は本当に大きな糧になりました。留学期間は1年半でしたが、語学学校では出身国も生活環境も違うルームメイトとの共同生活で、みんなそれぞれに親元を離れて来ている者同士なので、お互いに助け合ったり刺激し合ったり。音楽ではボイストレーニングや作曲などのプライベートレッスンを受けていて、休日には教会で本場のゴスペルも学びましたし、月に1回は現地のバーやカフェでライブや飛び入りのセッションに参加しました。うまくいかない時はお客さんのブーイングも受けましたが、生の音楽の楽しさや素晴らしさを肌で体感することができました。
異国での生活、がん、難病
乗り越えるのはいつだって自分自身
その後帰国して、東京を拠点とした音楽活動に入るわけですが、ここでまたさらに大きなハードルが現れたそうですね。
そうなんです。帰国して、音楽活動もさあこれからという時に、耳下腺がんを発症しました。文字通り、耳の下にある耳下腺という器官の近くにがんが見つかり、結果的には2度の手術で摘出できましたが、最初に宣告を受けた時はまだ20代前半で、『ああ、もう歌えなくなるのか、夢は叶えられないのか…』って、さすがに落ち込みました。
そんな中、入院中にたまたま観たテレビでアフリカの貧困問題を扱ったドキュメンタリー番組をやっていたんです。飢えている人、病気になっても注射一本打てない人、サッカーをやりたくてもボールがなくて、丸めた紙で遊んでいる子ども達。自分の夢を持ちたくても、生きることに精一杯で夢を持てない人がいる中で、私はがんとはいえ手術すれば治る病気だし、豊かな国に生まれて歌を歌うという夢も持てるんだから、落ち込んでる場合じゃないと思って、そこからは前向きな気持ちに変わりました。その時生まれたのが『僕を信じて』という曲なんですが、その一節にある、『願いが一つだけあるのなら この地で祈りを込めるものは ここじゃ無理だって言われたって 気にしないよ 僕は僕を信じてる』という歌そのままの思いでした。
その後も筋痛性脳脊髄炎という原因不明の難病を患って、一時期はいろんな薬を一度に15錠も飲むような状態でしたが、それもなんとか音楽活動を再開できるまでに回復したので、今はとにかく健康に気をつけて、限りある時間を音楽のために使いたいという気持ちが強いですね。でも私の場合、曲や歌詞を作る時にあまり幸せに満たされ過ぎていると、かえって大切なものに対して鈍感になってしまうのか、いい作品が作れないんですよ。多少厳しい環境の方が性に合っているのかもしれませんね(笑)。
現在はご自身の活動に加えて、一般向けのボーカルスクールを開講しているのですね。
病気の静養もあって富士市の自宅に戻ってからは、自宅兼スタジオで個人レッスンを行っています。生徒さんは小学生から70代の方まで幅広いですが、カラオケで上手に歌いたい、音痴を解消したい、正しい発声法を身につけたいなど、レッスンを受ける動機も様々です。音痴というのは基本的に耳に問題があるか、発声に使う筋力が不足しているかのどちらかです。たいていは筋力不足の方で、その場合はトレーニングをすれば治るんですよ。歌う喜びを知ってもらうことで、それ以外のことにも挑戦する意欲や対人的なコミュニケーション能力も向上します。
個人レッスンとは別に、カラオケボックスを利用したグループレッスンも行っていますが、人の歌を聴いて学ぶこともたくさんありますし、単純にカラオケ仲間を作りたいという目的で参加している生徒さんもいます。歌はあくまでひとつのツールでしかありませんから、人それぞれの楽しみ方があっていいと思います。私としては、より多くの人が歌を学び、自分の歌をレベルアップさせることで自言につなげてほしい、そしてみんなに幸せになってほしいという思いが一番です。
歌が自信につながれば
そこから始まる何かがある
シンガーソングライターとして、今後の予定や目標は?
静岡県中部・東部を中心に、今後もライブやイベントへの出演は続けていきたいと思っています。近いうちに富士市内の大きな会場でもライブがやりたいですね。将来的にはもちろんメジャーデビューを目指していますし、新しいアルバムの制作も予定しています。シンガーソングライターの創作活動は、まさに自分が歩んできた人生をそのまま地図に書き記すような作業で、テクニックだけで流行りの曲を作ろうとしても、結局薄っぺらなものにしかなりませんし、聴いている人にもそれが伝わってしまいます。デビューアルバムにつけたタイトルの通り、アイム・ノット・パーフクト、私は完璧じゃないですけど、ダメなところもいいところも含めて、自分そのものを素直に表現できたらと思います。
それと、いろんな意味で影響力のある職業なので、歌うこと以外にも自分ができることは積極的に発信していきたいと思っています。私自身が患った難病の患者さんをサポートするためのチャリティーや啓蒙活動、自分の体験や思いを語る講演なども、これまでと同様に続けていくつもりです。また影響力があるからこそ、それだけしっかりとした自分を持っていないといけないとも思います。まずはお世話になった人や支えてくれる人への感謝の気持ちです。私自身が後輩や子ども達に教える立場になっても、謙虚な気持ちと素直に学ぶ姿勢は忘れずに伝えていきたいですね。
最後に、何かメッセージがあればお聞かせください。
特にこれから将来について考える若い人に伝えたいのが、まず何よりも自分を大事にしてほしいということです。自分の考えや思いをきちんと発言すること、偽らないこと。男気のいることですが、そういう生き方をすることで自分の能力が最大限に発揮できるようになります。また自分を大事にできない人は、他人を大事にすることも守っていくこともできませんよね。これは実際にあった話ですが、ある小学生に将来の夢を聞くと、あえて目標を低く見積もって、実現できそうな回答を出してきたんです。批判されたり笑われたりするのを避けたいという心理があるんだと思いますが、これでは自分の器を自分で小さくしているようなものです。本当に好きなこと、自分自身で決めたことなら、周りからいろんなことを言われたり、困難な環境があったとしても、高い目標を持って自分を信じるという強い気持ちを持ってほしいですね。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
CHISE
シンガーソングライター
富士市出身・在住
(取材当時)
本名・長倉知世(ながくら・ともよ)/幼い頃から憧れていた歌手への夢を追い、高校卒業後の準備期間を経た2005年に音楽留学のため単身でアメリカ・ロサンゼルスに渡る。1年半の滞在中に語学と並行してポイストレーニングや作曲・音楽理論に関する知識を学ぶ。また現地でのライブなどにも積極的に参加し、JAZ・R&B・POPS・オリジナルソングを歌うポーカリストとして活躍。帰国後は東京を拠点にライブハウス・クラプ・ホテルなどで音楽活動を続けるが、2008年に耳下腺がんを患い2度にわたり病床につく。回復後も原因不明の難病・筋痛性脳脊髄炎を発症するなど、困難に見舞われる中で復帰を果たし、自身の体験をもとに「命」をテーマとした表現を続ける。2012年12月にはオリジナルデビューアルバム「I’m Not Perfect」をリリース。翌2013年、地元富士市に「CHISE VOCAL SCHOOL」をオープン。歌を学ぶことでより多くの人に自信を持ってもらい、生活を楽しんでもらいたいという思いとともに、プロ・アマチュア両方に対応したレッスンを行っている。
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