Vol. 207|沼津港深海水族館 館長 佐藤 慎一郎

佐藤慎一郎さん

港へおいでよ

ダイオウグソクムシやメンダコと聞けば多くの人が、海底を這う巨大な白いダンゴムシと、ユーモラスに海中を漂う宇宙人のような生き物を思い浮かべることができるだろう。十数年前にはほとんど知られていなかったこれらの深海生物が市民権を得るきっかけとなったのが、今回の主役『沼津港深海水族館』である。ただ、この深海ブームの火付け役の経営母体が沼津で100年以上続く老舗の水産会社だということは、あまり知られていないかもしれない。

佐政(さまさ)水産株式会社の社長・佐藤慎一郎さんは、人口減少が進む沼津と水産業の衰退に危機感を覚え、水族館をはじめとした幅広い事業を展開している。民間企業ならではの自由な発想と機動力で故郷を再び元気にしたい。佐藤さんの瞳には、100年後も観光客と地元の人で賑わう沼津港の姿が、たしかに見えている。

沼津港深海水族館は、今や沼津の顔ですね。

2011年に開業して以来、世界で唯一の深海に特化した水族館として注目していただき、今では年間35〜40万人が訪れる観光施設です。国内に120館以上、世界では500館以上の水族館がありますが、どこを探しても深海水族館はありません。深海生物は入手しづらく、水温の変化や光に弱いため、輸送や飼育が困難なんです。でもここ沼津港は、すぐ目の前に水深2,500メートルの日本一深い駿河湾を擁し、漁場まではわずか1時間。底引き網で捕獲し、船上ですぐに光を遮り、低水温を保てば、数時間で生きたまま水族館に運ぶことが可能です。

ただ、深海生物の多くはその生態が解明されておらず、飼育方法は手探りです。幸い、副館長を務めているのは、東京・池袋にあるサンシャイン水族館の館長だった安永 正(やすなが ただし)さんで、100種類以上の深海生物が展示できるようになりました。中でも、かわいい見た目で人気のメンダコは、カメラのフォーカスの光でさえ弱ってしまう繊細な生き物ですが、試行錯誤の末、飼育最長記録を52日間に更新できました。

さらにここでしか見られない目玉が、約3億5千万年前から深海に生息し続けている「生きる化石」シーラカンスです。ワシントン条約に指定され、捕獲や商業展示が厳しく制限されていますが、当館の個体は条約発効以前に日本に持ち込まれたもので、環境省の許可を得た上で、はく製3体と冷凍標本2体を展示しています。内臓も含め生きた姿のままの冷凍標本は、冷気を特殊な流れで管理する高性能な冷凍庫に収蔵しています。ガラスが曇らず、凍っていることがわかりづらいので、あえてケース内に氷の装飾を施しているんですよ(笑)。館内にはシーラカンス発見秘話や、遊泳映像など貴重な資料も紹介していますので、合わせて楽しんでもらえればと思います。 沼津港深海水族館

水槽の中が海底神殿風になっているなど、一般的な水族館とはかなり印象が違います。

日本の水族館や動物園は「学び」が第一の文化施設で、生き物の生息環境を再現して見せるのが通例です。でも当館が目指すのは、デートでも家族でも、没入感たっぷりに楽しめるエンターテインメント施設なんです。レジャー施設の代表格、ディズニーランドは並んで待っている間もワクワクしますよね。当館も入口にシーラカンスやタカアシガニのオブジェを設置して、入場前から期待を高める演出をしています。企画展では海鮮丼や干物の食品サンプルと、生きている魚を一緒に見せることもあります。水族館の魚=食べ物として見せるのは一見タブーですが、ここに来る方は必ずその前後で海鮮を食べますから(笑)。

視察した海外のいろんな水族館では、水中に街を構築したり、海の神ポセイドンを設えたりしてあって、ファンタジーに寄せるのも面白いと実感しました。深海についての学びの要素は残しつつ、空間自体を総合的に楽しめる仕掛けを大切にしています。水族館の王道からは外れていますが、沼津に何があれば観光客が来たくなるかを考えた結果で、発想が異なるのです。地元の人が自慢できる、沼津のシンボルとなる場所を作るのが目的でした。

空間演出にも力を入れた結果、来場者の満足感も高くSNS上に投稿してくれる方がとても多いので、ひとりでに宣伝になっています。水族館としては首都圏への広告宣伝費をあまりかけていないんですよ。規模は小さくてもそのぶん、施設や展示を頻繁に見直しリニューアルすることで、リピーターも飽きさせず高いクオリティを提供しています。また、港八十三番地をテーマパークのような丸一日楽しめる場所にしたいと考え、深海をテーマにしたシューティング型アトラクションやVR(仮想現実)技術を使った深海アドベンチャー施設もオープンしています。

メンダコ

人気のメンダコ(展示は不定期)

スタッフによるシーラカンスの解説

スタッフによるシーラカンスの解説

『ディープクルーズ』

VRを駆使した『ディープクルーズ』

水族館が建つ施設『港八十三番地』も、食のコンセプトが深海魚ですね。

港に海鮮の飲食店があるだけでは、他と変わりません。差別化するために、港八十三番地内の飲食店では、必ず深海魚を使ったメニューを提供しています。沼津では昔から深海魚が食べられていて、あたりまえに水揚げされますし、セリにも出ます。そこで、グロテスク、気持ち悪いという負のイメージを逆手に取って、深海魚という言葉をあえて前面に出してみたのです。私は沼津で曾祖父の代から続く水産会社の4代目ですが、この地で長く水産業をやってきたからこその視点かもしれません。

一般の人にとっては「深海魚って食べられるの!?」と興味をそそられるようで、想像以上にヒットしました。とはいえ、みなさんに馴染みのあるキンメダイ、ズワイガニ、甘エビや桜エビだって深海魚ですし、意識していないだけで、日本人は日常的に深海魚を食べているんですよ。深海魚の水揚げ量としては愛知県蒲郡(がまごおり)の方が多いですが、沼津港は漁場が近く日戻りなので、刺身でも海鮮丼でも食べられる新鮮さが強みなんです。深海魚がブランド化したことでセリでもかつての5〜10倍の値がつき、漁師さんからも喜ばれています。

沼津港自体を、他の港町と差別化していこうということですね。

あの手この手で沼津の魅力を発信しているのは、この地域が廃れていくことに大きな危機感があるからです。沼津市の人口は1995年をピークに減り続けていて、沼津港周辺に限っては4割も減っています。今息子が中学生ですが、同級生の数は僕が子どもの頃の8分の1ですし、沼津港の町内に数十人いた僕の同級生のうち、今も地元に残っているのはほんの数名です。全国的な水産業の衰退は沼津港も例外ではなく、廃業も相次いで、別の仕事を求めてまた人口が流出してしまう現状。このままでは沼津港が消滅してしまう、なんとか歯止めをかけなければという思いで、新たな観光スポットを作ってきました。この悪循環を断ち切ることが、この地で100年仕事を続けさせてもらってきた弊社の使命だと思っています。自社だけが生き残ればいいという発想はそもそもなく、沼津全体をどうするかという観点から事業を展開しています。佐政水産自体も「沼津のあしたを、つくろう」をスローガンに掲げているのです。

沼津港は、伊豆にも箱根にも1時間で行けますし、富士山もあります。首都圏からも日帰りが可能で高速道路も新幹線の駅も近いという、他の観光地からすれば垂涎の立地です。あとは目的地となる“何か”さえあれば、伊豆や箱根に来る数千万人の観光客に足を延ばしてもらえるのです。

シーラカンスの冷凍標本

シーラカンスの冷凍標本

海の底から町おこし

多くの人が訪れることで、地元の人が誇れる街になりますね。

観光名所として人気が出ても、地元の人から敬遠されては意味がありません。いちばん身近な観光客は地元の人。彼らがふだんから訪れ、「夕飯を食べに行こう」と言ってもらえる場所にしたかったのです。港八十三番地という名前も、地元を大切にしたくて、ここの住所から取ったんですよ。テナントを募集した際、「深海魚を使ったメニューを提供」「年中無休」「夜10時まで営業」「価格は抑えて地元の食材を2割使う」という条件をつけたら、最初は応募がゼロでした(笑)。それでも徐々に賛同してくれるお店が集まり、3年目には地元のお客さまで夜も賑わうようになりました。観光客だけに依存しなかったことで、観光地にありながらコロナ禍でも売り上げを3割減にとどめることができたんです。また、もっと地元の人に来てもらえる場所にしたいという思いから、味にこだわったベーカリーやカフェも開店し、『メンダコ食パン』などお土産映えする商品も揃えながら、日々の暮らしの中でも利用しやすくしています。

以前アメリカを視察した際に驚いたのが、人口3万人のモントレーという田舎の港町です。もともと港だった場所に新鮮な魚介類のレストランが立ち並び、廃業した缶詰工場を水族館にするなどの取り組みで、年間800万人が訪れる一大観光地となっているのです。豊富な食材と素晴らしい景観を持つ沼津港にとっても、起死回生の大きなヒントになると感じました。

今後やりたいことを教えてください。

数年以内に水族館を拡張し、中身をより一層充実させる予定です。毎年小規模なリニューアルを繰り返してきましたが、次は大規模に、もっとエンターテインメント性を持たせます。映像を駆使して、未知の深海を旅するような世界観を表現したいですね。もはや水族館じゃないと言われる可能性がありますけど(笑)。深海生物はちゃんと見せつつ、感動体験を届けたいです。

他にも港八十三番地内に、いったん営業を終えたイタリアンの建物を使って、深海をテーマにした博物館や美術館ができないか構想中です。建物にデジタル映像を投影するプロジェクションマッピングやAR(拡張現実)など、最新技術を組み合わせれば面白いものができるはず。最近視察に行ったアメリカやヨーロッパで、導かれるように美術館や博物館を巡り、自分の中で具体的なイメージが見えてきたのです。いずれにしても、つねに頭にあるのは“沼津のあした”です。ここで生まれた人、今いる人たちが住み続けたいと思える街、観光客が何度でも訪れ、少しでも長く滞在したいと思える魅力的な沼津港を100年後までつないでいくべく、力は惜しまないつもりです。

沼津港

沼津港

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text /Chie Kobayashi
Cover Photo/Kohei Handa

佐藤慎一郎さんプロフィール

佐藤慎一郎
沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム館長
佐政水産株式会社代表取締役社長

1976(昭和51)年12月30日生まれ(47歳)
沼津市出身・在住
(取材当時)

さとう・しんいちろう/沼津港で1913年創業の佐政水産株式会社の後継者として、小学生の頃から魚市場で働きながら育つ。沼津第二中学、沼津東高校、東京経済大学経営学部を卒業後、貿易について学ぶため、家業の仕入れ先として縁のあったアイルランドへ留学。帰国後は福岡魚市場株式会社、昌和水産株式会社勤務を経て、2003年に佐政水産に専務として入社。全国的な水産業の衰退と、沼津市の人口減少に危機感を抱き、国内外の港町や観光地を視察。より多くの人が訪れ、働ける場を創出すべく、2011年12月に沼津港に『港八十三番地』と、そのエリア内に『沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム』をオープン。2021年12月に代表取締役社長に就任。沼津港の持つ魅力を活かすべく、新たなアイデアを形にし、地元の活性化に尽力し続けている。

沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム
www.numazu-deepsea.com

深海生物の宝庫、水深2,500メートルの駿河湾で捕獲された深海生物を中心に、海外から取り寄せたものも含め常時100種類以上を飼育・展示。「生きる化石」シーラカンスのはく製、冷凍個体の展示も国内で唯一。隣接するアトラクションとして、レーザー銃を片手に深海生物を捕獲するライド型シューティング『ディープシーワールド』や、2023年にオープンした深海アドベンチャーで、VR空間に再現された駿河湾を舞台に海底遺跡を探検する『ディープクルーズ』も人気。

沼津市千本港町83
TEL 055-954-0606
年中無休(1月メンテナンス休業あり)
営業時間10:00〜18:00(入館は閉館の30分前まで)
高校生以上1,800円、小・中学生900円幼児(4歳以上)400円(各種割引あり)
近隣の有料駐車場をご利用ください(港八十三番地の飲食・物販利用で割引あり)

沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム

港八十三番地
www.minato83.com

11の飲食店と、水族館・アトラクション施設を擁する、食と体験が楽しめるエリア。深海魚を使ったメニューも味わえる。
年中無休(1月メンテナンス休業あり)
※各店舗により営業時間・定休日が異なります
※天候により営業時間が変更になる場合あり

港八十三番地

Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜

今回の取材の下調べのため深海水族館を久しぶりに訪れたら、オープン当初とは随分と雰囲気が変わっていました。より洗練されて、よりコンセプトが明確化されて、より神秘的で遊び心のある展示方法にリニューアルされたその空間は、開業以来10年余りの間にも絶え間なく模索し進化し続けてきたことを物語っています。観光名所というのは常にその魅力をアップデートし続けなければならない宿命にあるのでしょう。訪れてくれた客の反応を見極め、またマクロの視点で世の中の消費トレンドを読む。まさに経営者の腕の見せどころです。

佐藤さんの経営者としての強み。その軸には「見聞を深めること」と「それを応用し意思決定すること」という、インプットとアウトプットの好循環があるように思います。佐藤さんはいつもアンテナを高く広く張って、仕事のヒントを探し続けているように見えます。水族館にも港八十三番地にもそれが随所に活かされています。

人はともすれば自分の手持ちの経験則だけで条件反射的にものごとを判断しようとしたり、逆に座学の知識ばかりを詰め込んだ末に行動が鈍ってしまったりしがちです。しかし経営者が大きな投資判断を行なうためには、目の前の事業環境を見ているだけでなく、本業の枠を超えた幅広い視野でいろんな「最先端のもの」や「伝統あるもの」に触れて自分の判断力を磨き続けることが欠かせません。正しい意思決定とは「未来へのビジョンがどれだけ見えているか」にかかっているからです。

水産加工業から観光そして街づくり業へ。佐藤さんが楽しそうに語る港町のビジョンにはどれも説得力があって、聞いていてワクワクしてきました。

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