夏の夜に舞う薪能

薪能

甫の一歩 第4回

ジリジリと強く照りつける真夏の太陽は、例年にない酷暑をもたらしています。黒い服は光を吸収して熱を溜め込み、白い服は光を反射して熱を逃がすと、大人の言葉を覚えたのか学校で教わったのかは分かりませんが、子どもの頃のあやふやな記憶として残っています。あまりの暑さに外を歩くのも億劫になりますが、しかし能楽師は紋付きという黒い服を着て、日射しと暑さに耐えながら舞台を勤める機会があります。

薪能(たきぎのう)をご存知でしょうか。花火大会やビアガーデンなど、夏の風物詩とされる楽しいイベントはたくさんありますが、能楽師の夏といえば、やはり薪能でしょう。歌の世界では夏の季語にも詠まれる薪能は、神社の能楽殿(神楽殿)や仮設舞台の周りにかがり火を焚いて演能するもので、その起源は奈良の興福寺で催された「薪御能(たきぎおのう)」といわれています。世阿弥の時代よりもさらに400年遡る、約1,100年前から今日まで続く伝統の儀式です。その後、能楽は時の為政者に庇護され、江戸時代にはついに幕府の式楽としての位を手に入れます。そして明治維新を迎え、能楽が自然と隔てられた「能楽堂」という現在の能舞台の形になりました。建物の中の能舞台は興行面において天候の心配がない一方で、自然とともにある本来の能楽の形を失ってしまったのです。

もともと能舞台は、ただ空き地に土を盛り上げただけのものでした。私は経験したことがありませんが、今でも木の舞台ではなく、芝や土の上で能を舞うこともあるようです。昔より確実に温暖化している現代でも、能装束や紋付き袴姿という格好は夏でも変えられませんので、せめて冷水を浅く張った舞台で舞うことがあってもよいのでは…などと考えてしまうくらい、夏の薪能は演者にとって暑く辛いものです。

しかし、それでも薪能は素晴らしいのです。夏の夜空を幻想的に彩るかがり火、自然と一体化した舞台の美しさ、演者を照らす光、極限まで無駄を削ぎ落とした型(動き)、独特の節回しで謡われる朗々とした謡いは、まさに幽玄の世界そのもので、能楽の魅力を深く感じていただけることでしょう。また薪能では分かりやすく楽しい演目を選ぶ傾向にありますので、能楽初心者の方でも安心して楽しめます。ぜひ今年の夏は日本各地で開催されている薪能へお出かけください。

さる7月23日、富士宮市粟倉南町にある稽古場・臥牛敷舞台(がぎゅうしきぶたい)にて『臥牛サロン』というワークショップのようなものを企画しました。「のような」というのは、よくある能楽のワークショップとは少し違う形を考えたからです。この催しは、演目1曲を取り上げ、物語の進行に合わせて謡い舞い解説していくという、新たな試みです。ひとつの曲の見どころ、聞きどころを抜粋するだけでなく、90分間で一冊の本を読むようなイメージで作り上げています。今まで数多く参加したワークショップでの経験を活かし、自分なりの普及の仕方、伝えたいことをまとめました。「サロン」と名付けたのは、対話の時間を設けたいと考えたからです。

能楽は他の習い事と違い、「何か」ができるようにはなりません。華道を習えば花を生けることができます。剣道を習えば剣に達者になり、良い運動にもなるでしょう。では、能楽を学ぶとは何か。能楽は紛れもなく物語であり、その詞章は叙事詩として完成された美しさを持っています。物語を深く読み込み、参加者の皆さんにも理解していただき、その上で謡い舞う。そこにはきっと、今までにない能楽との触れ合いがあると思います。まだ一度開催しただけですが、これからも原則毎月行いますので、興味のある方はぜひお越しください。

田崎甫プロフィール

田崎 甫

宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」

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