次世代への能文化の継承

臥牛敷舞台

甫の一歩 第14回

毎年ながら確定申告をやっとの思いで終え、しばらくすると例年よりやや早く桜は開花宣言をし、ああ春が来たなと心も身体もひと安心します。

確定申告に限らず、会員登録や口座開設などの書類に記入する際、職業欄の項目が少なからずあります。この職業欄に我々能楽師は何と書くのでしょうか。同業者に聞いてみると、「自営業」と書く人が最も多く、次いでそのまま「能楽師」と書く人となりました。

そもそも能楽師という職業は、いったいどれほどの認知度なのでしょうか。能楽という言葉を聞いてもピンとこない人もいるかもしれませんが、私は「あーオメンとかかぶるあのノウガクね!」というような反応をされることがしばしあります。能楽師とは、能楽を専門に演じる人、職業とする人を指します。私の師匠は、能楽師とはあくまで役者だから、能楽師と偉そうに名乗らず、「能役者」とすべきだと常々言っております。たしかに「楽師」というと「教習する者」という意味合いも含まれますから、一理あります。

さて、そんな我々能楽師が生涯続けるべき事柄は二つあります。一つは「飽くなき向上心、終わることのない修行」。もう一つは「普及啓蒙活動」です。この二つは両輪となり、どちらかが欠けたらば一流の能楽師とはいえないでしょう。

私は縁あって、5年ほど前より富士宮市粟倉にある臥牛敷舞台(がぎゅうしきぶたい)という立派な能舞台にて、お弟子さんのお稽古を始めました。4名のお稽古を月に2回続けながら、同時に不定期で『小さな能』と称して能の普及活動を続けています。能という芸能の中には、能面能装束などの美術的要素、謡(うた)やお囃子(はやし)などの音楽的要素、すり足に代表される舞踊的要素などさまざまありますが、『小さな能』では一つの演目より見どころとなる部分を取り出し、紋服袴姿でシンプルに謡と舞のみによって能の世界を楽しんでいただく試みです。現代劇ではわかりやすく、おもしろく、喜怒哀楽を極端に表現することが主流なのに対し、能舞台には舞台セットも照明変化も、背景すらもありません。この特殊な限定空間で、能楽師が謡い舞うことは、観客の想像力を引き出すことに終始していると思います。

無から想像することは簡単なことではありませんが、しかし同時に能は「人とは何か」を追い求めています。時代は変わり、能の世界観は現代では受け入れがたく理解できないものが多いですが、そこに描かれている人の心は普遍的なものです。だから能は何百年も受け継がれ、今日まで伝わったのでしょう。

本年より、長年の夢であった子どもたちへの普及活動を、臥牛敷舞台にて始動することとなりました。夏休み期間を使い、数回のお稽古で能の舞と謡を学ぶというプログラムです。

能を経験する上で大事なことは、三間四方の能舞台の存在です。三間四方の大きさがあってこそ、美しく舞うことができます。この能舞台で子どもたちは、大人は敬遠してしまう能という芸能に先入観なく、能の謡を学び、能の舞を舞い、楽しむことができます。理屈ではなく感覚で、身体を動かして素直に取り入れることができます。これが、能を伝えることだと思います。学ぶよりも、見るよりも、まずはやってみましょう。そうして能を知った子どもたちが、いつか大人になったときに、能を楽しみ、お稽古事として再び始めてくださることを期待して普及活動を続けます。能を伝えることは、能楽師の宿命だと考えています。

立派な能舞台を使えることはこの上なく幸せなことで、この場所をもっと多くの方に知っていただきたいという思いが、臥牛敷舞台へ通うたびに私の中で大きくなっていくのです。

田崎甫プロフィール

田崎 甫

宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」

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