Vol. 170|薬菜健康クラブ 代表 浅野 龍雄
健康は自分で作るもの
富士市広見公園の南側、住宅地の中にある約400坪の畑には、旬の野菜やほのかに香るハーブが整然と並んでいる。高齢者の生きがいや暮らしの楽しみを提供する施設である社会福祉センター広見荘を拠点に活動する市民サークル『薬菜健康クラブ』は、多種多様な季節の作物を完全無農薬で栽培している。
同クラブ代表の浅野龍雄さんは、昨年満80歳を迎えた。「脳と身体のアンチエイジング」というモットーを掲げるクラブの理想を体現するかのような、浅野さんの若々しさと旺盛な向上心に触れ、取材中には何度も脱帽させられた。
「自ら育てたものを収穫して口にするという体験を通じて、食べ物や自然、健康に対する見方は変わっていきます」と語る浅野さん。その言葉通り、自然を敬愛し、その摂理に沿った暮らしを続けてきた浅野さんは、「自然から愛されている人」でもあるのだと感じた。
『薬菜健康クラブ』の活動内容を教えてください。
社会福祉センター広見荘で活動している高齢者クラブの一つで、会員数は現在18名です。夏季は週に1回、冬季は隔週で集まって、野菜やハーブ、薬草などを30から50種ほど栽培しています。じゃがいも、トマト、ブロッコリーなどの一般的なものから、ヤーコン、パクチー、聖護院大根など少し珍しい野菜まで、年間を通じて何かしらの作物が収穫できます。さらに特徴的なのがハーブ類で、レモングラス、カモミール、ステビアなど、日本ではあまり馴染みのないようなものも数多く栽培しています。収穫したものは会員で分けて持ち帰るので、部分的な自給自足ですね。
また、活動時間のうち1時間程度はセンター内の教室で勉強会を行ないます。最近はコロナ禍の状況もあって、屋内での活動は控えていますが、これまでは野菜に関する知識や栄養の話、収穫したものを使った調理法の紹介、笑うことが健康にもたらす効果など、幅広いテーマを取り上げてきました。基本的に講師役を務めるのは私なので、インターネットなどで調べた情報をまとめて分かりやすく伝えるだけですが、皆さん熱心に話を聞いてくれます。
さらに年に数回は近場の観光地へのハイキングや植物園の見学ツアーなども企画・開催しています。こちらも今はコロナ禍でお休み中ですが、今後も可能な範囲内で会員同士が交流できる機会を設けていきたいと思っています。
畑での農作業の様子を拝見しましたが、皆さんのにこやかな表情が印象的でした。
野菜づくりに関しては素人の集団ですので、農家のように大規模に手際よくというわけにはいきませんが、マンション暮らしで土に触れる機会の少ない人や、自宅の家庭菜園やプランターでの野菜づくりを学びたい人など、活動の需要はあるんです。
ただ、会員の皆さんの動機として一番大きいのは、週に一度集まって、身体を動かしながら仲間同士で楽しく交流できることのようです。仕事も子育てもひと段落すると、かえって生活にハリがなくなって、毎週決まった用事で出かけること自体が楽しいんですね。会員の中には私より年上の女性もいるんですが、畑に来るのが生きがいだと言ってくれています。その点では私も、野菜づくりの作業効率だけを重視するのではなく、会員それぞれが有意義に時間を過ごしてもらえるように心がけています。
一方で、年齢や体力的な問題で退会せざるを得ない人もいるので、ここ数年は会員数の減少が課題になっています。社会福祉センターに所属するクラブの会員は原則60 歳以上が対象なのですが、人口の多い団塊世代が70代半ばになってきたことで、今後さらに会員数が減るかもしれません。全国の老人クラブやカルチャーセンターなどでも同じような問題が起きているようです。若い人たちも活動に加われる仕組みがあれば、コミュニティの維持や世代間交流も含めて、さらに活性化できるのではないかと、個人的には思っています。
土に触れることや食を通じた健康づくりについて、世代を問わず関心を持つ人は多いはずですよね。
ちなみに、「薬菜」という言葉は浅野さんが考えた造語なんですね。
私がこのクラブに入会したのは2003年ですが、会の発足はずっと前の1979年で、これまでに『薬草教室』、『薬草クラブ』と改称してきました。実際の活動の軸は野菜づくりで、広く健康増進を目的としていることもあり、私が2度目の代表になったタイミングで『薬菜健康クラブ』と変更しました。
あえて『薬菜』という造語にしたのは、私たちが食べている野菜はすなわちすべて薬なんだという考え方によるものです。医食同源という言葉もあるように、日常的に口にするものから健康づくりは始まっているんです。じつは私自身がこのクラブに入会したきっかけは、趣味の登山で高山植物に興味を持って、座学でいろいろな植物や薬草について学べるかなと思ったからなんです。入会した時はまさか、毎週畑仕事をすることになるとは思ってもいませんでした(笑)。
予想外で始めた野菜づくりでしたが、その過程にもいろいろな知識や技術が詰まっています。雑草取り、間引き、追肥、土寄せなど、こまめに面倒を見ないといけないので、漫然と作業をしていてはうまくいかないんです。もともと新しいことを勉強するのは好きですし、より効率的な方法を調べたり、珍しい品種の栽培に取り組んだりしながら、日々小さな工夫と挑戦を積み重ねている感じですね。
挑戦といえば、浅野さんは10代の頃からライフワークとしている登山でも、さまざまな経験をされてきたそうですね。
登山の経験は大学で山岳部に入ってから、もう60年以上になりますね。高校までは水泳や柔道に打ち込んでいたんですが、高校時代の友人が夏になると登山に行った話をしていて、当時はまだスキーや山登りに行けるのは一部の裕福な家の子だけという時代でしたから、羨ましさと憧れがあったんでしょうね。
ところがいざ大学で山岳部に入ってみると、辛くて辛くて(笑)。1年生の時、初めての夏合宿で剱岳に行ったんですが、20日間分の食糧や水を全部背負って登るので、自分の体重と同じくらいの荷物の量なんです。雨も降ってくる中、もうとにかくバテバテで、途中どうにもならなくなって先輩に荷物を持ってもらったんですが、なんでこんなにキツいことをしないといけないんだろうと思いましたよ。
ところが、高校までずっとスポーツで鍛え抜いた自分がギブアップしているのに、その隣でこれまでほとんど運動経験のない同級生がわりと平気な顔で登っていたりするんです。それを見た時、負けず嫌いの虫が騒いで、『このまま辞めてたまるか!』って。そしてそこから60年、ずっと山を登ってます(笑)。
でも、登山の厳しさと同時に、山の魅力を知ったのもその夏合宿でした。剱岳の圧倒的な迫力や高山ならではの幻想的な風景に触れて、こんな世界があったのかと、心奪われました。私は地理的に単調で周囲に山がない濃尾平野で生まれ育ったので、あの時の衝撃は今でも忘れられません。
登山は心身ともにあらゆる能力を求められますし、つねに生と死が隣り合わせの世界ですから、その過程は絶対的に苦しいんです。ただ、かっこ良くいえば可能性の限界への挑戦といいますか、苦しみを乗り越えて頂上に立った時の達成感や、そこに広がる絶景を目にした時の感動は、何物にも代えられませんね。
その後は登山に熱中するあまり、人よりも長く大学に在籍したり、就職する際は南アルプスに近い富士市に事業所がある企業を選んだり、定年退職後も富士市での永住を決断したりと、私の人生において登山は切っても切り離せない存在になりました。30年間の会社員生活を卒業してからは妻とともに、マッターホルン、キリマンジャロ、ヒマラヤ、ペルーアンデス、パタゴニアなど、海外の山にも足を運んできましたが、日本国内の名峰とはまた異なるシルエットやスケール感に魅了されました。
日常的な登山としては、体力錬成のために65歳から始めた越前岳登山で、現時点で登頂通算1,450回を超えました。越前岳は愛鷹山塊の最高峰で標高は1,504メートルありますが、十里木高原にある駐車場から登って、往復で2時間半程度です。家を出てから帰宅するまでが午前中で完結するのがいいですね。75歳くらいまでは年齢による衰えを感じることもなく、週に3回くらいのペースで通っていたんですが、さすがに最近は登る回数も速度もゆっくりになってきました。
「もう年だな」と思った時から
人は年寄りになっていく
いえいえ、それにしても驚くべき健脚です。浅野さんの若さや健康の秘訣はどこにあるのでしょうか?
やはり、食と運動が健康の両輪ですね。
運動については、とにかく歩くことが一番シンプルで効果的だと思います。越前岳に行かない日は早朝に1時間半かけて、妻と二人で富士市街を6キロほどウォーキングしています。また、縁起のいい初夢の『一富士二鷹三茄子』になぞらえた『一富士二北三穂高』として、富士山、北岳、穂高岳という日本の標高トップ3の山をこれまでほぼ毎年登ってきたんですが、去年はコロナの影響もあって登ることができませんでした。今後は体力的に大変な部分も出てくると思いますが、ぜひまた挑戦したいと思っています。
そして食については、薬菜健康クラブで収穫したものを中心に、とにかく多種多様な食品を食べること、単調な食生活に陥らないということを意識しています。よく『一日30品目を目標に』といいますが、私は朝食だけでだいたい50品目を摂取しています。驚かれることもありますが、決して食事の量が人よりも多いというわけではないんです。和食であれば、みそ汁やおひたし、サラダ、漬物などの中身を工夫することで、品数を増やすことはそれほど難しくはないんですよ。仕事を引退して以降、それまでずっと頑張ってくれた妻に代わって私が毎朝朝食を作ることにしたんですが、朝食に重点を置いた多品目の食事というのは、ずっと維持していきたいと思っています。
5歳で終戦を迎えた私は極度の貧しさと食糧難の時代に生まれ育ちましたが、幸いにもここまで大病もせず過ごすことができました。80歳を過ぎた今、あらためて思うのは、自分の健康は自分で作るもの。そして何かをやろうとする時にブレーキをかける年齢の壁、可能性の壁、それらを作るのも壊すのも、やはり自分自身だということですね。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Photography/Kohei Handa
浅野 龍雄
薬菜健康クラブ 代表
1940(昭和15)年10月16日生まれ (80歳)
愛知県一宮市出身・富士市在住
(取材当時)
あさの・たつを / 一宮高校、名古屋大学工学部卒。大学の山岳部で登山の魅力を知り、以来60年以上にわたって国内外の山々を歩き続ける。旭化成株式会社に入社後は、工場建設や設備メンテナンスに関する業務に携わりながら、岡山、宮崎、東京と転勤し、1989年に赴任した富士市で定年退職を迎える。2003年、植物への関心から富士市社会福祉センター広見荘の薬草教室(現・薬菜健康クラブ)に入会。野菜づくりや健康増進に関する知識を自ら学びながら、現在はクラブの代表を務める。妻の緑さんとともに体力づくりの一環として2006年から始めた越前岳登山は登頂回数1,450回を超え、2,000回超えを目標に現在も継続中。
富士市社会福祉センター 広見荘 薬菜健康クラブ
《活動日》 毎週水曜(11〜3月は月2回)9:00〜11:30
《場所》 富士市社会福祉センター 広見荘(富士市伝法59)
《会費》 年間5,000円〜10,000円 (会員数に応じて毎年年度末に変更)
薬菜健康クラブでは会員を随時募集しています。興味のある方は活動日に直接現地にお越しいただくか、お気軽にお問い合わせください。
《問い合わせ TEL》0545-57-4750(浅野)
取材を終えて 編集長の感想
パンデミックが始まって以来、「与えられた人生の時間をどう使うか」ということについて、以前よりみんなが真剣に考えるようになっている気がします。「人はいつ死ぬか分からない」ということのリアリティが増したせいもあるし、強制的に活動を止められて、自分にとって本当に大事なことと惰性だけでやってきたことを意識して区別するようになったこともあります。特に外出自粛を強く推奨された60代以上の方々は、やりたいことを先送りしてただ家に閉じこもっていることに焦りを感じ、長く生きるか有意義に生きるかという葛藤についてこれまで以上に考えるようになったのではないでしょうか。
農作物を育てることには「収穫」というゴールがあり、山に登れば「登頂」というゴールがあります。最後に待っている「達成感」はステキですが、土に触れ作物の生長を見守りながら仲間と共有する時間にも、頂上に至る道のりにも喜びはあります。もちろん帰りの下り道だって楽しいはずです。若いとき、会社勤めをしているときには気づきにくいことですが、結果だけを求めていると人生の密度は薄くなってしまうのかもしれません。
浅野さんはほとんど1日おきに越前岳に登ります。「頂上に着いたら、とどまらずにそのまま下るよ」と仰ってました。挑戦とは上を目指すことではなく、ずっと続けること。自分と向き合いながら日々歩く道中にこそ、密度の濃い人生の秘訣があるように思いました。
- Face to Face Talk
- コメント: 0
関連記事一覧
Vol. 154|きがわドッグスクール 代表 木川 武光
Vol. 126|シンガーソングライター 結花乃
Vol. 135|『Fujiことはじめ』代表 赤澤 佳子
Vol. 186|火縄銃射撃競技選手 佐野翔平
Vol. 162|チョークアート作家 下條 画美
Vol. 132|民間救急サービス『アシスト』代表 小山 悦...
Vol. 187|まかいの牧場 新海 貴志
Vol. 172|#おうち先生 主宰 小泉 卓登
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。