Vol. 219|自家焙煎珈琲屋 花野子 マスター 齋藤 清一
豆とアロマと語らいと
沼津市今沢、JR片浜駅から徒歩5分のところにある喫茶店『自家焙煎珈琲屋 花野子』。住宅街の風景に馴染んで並ぶ店舗群の一角からは、今日も心を穏やかにしてくれる芳醇な香りが漂う。自家焙煎の名の通り、落ち着いた色調の店内では生豆の選別から焙煎、抽出までの過程を見ることができ、市外からも多くのコーヒー好きが通う。
この店を四半世紀にわたって切り盛りするのが、マスターの齋藤清一さんだ。45歳で脱サラして、憧れの喫茶店を開く。悠々自適なセカンドライフの理想形のように聞こえるかもしれないが、未経験から挑戦する飲食店経営の現実はそんなに甘くない。それでも長引く不況やコロナ禍などの障壁を乗り越え、今や常連客も新規客も途切れない人気店へと成長した理由は、徹底的にこだわり抜いたコーヒーへの情熱と、齋藤さんの気さくな人柄によるものだろう。
手間を惜しまず丁寧に淹れた一杯のコーヒーがあり、それを楽しむ人々が集い、語らう。コーヒーと人とのいい関係は、真の意味での豊かな暮らしに欠かせないワンシーンだ。
遠方から来店する人もいるそうですが、花野子のコーヒーが人気の秘密は?
特殊なことをしているつもりはなくて、良い豆を正しい方法で淹れるという点に尽きます。具体的には生豆を選別して不良品を除き、焙煎して、そこで再び選別します。あとは注文を受けてから挽いて、抽出するという流れですね。
選別はハンドピッキングといって、目視と手作業で欠点のある豆を一粒ずつ取り除きます。コーヒー豆は農作物ですから、収穫や輸送の段階でどうしても不良品や異物が混入してしまいます。最近は産地側でも品質管理の意識が高まっていますが、それでも虫食いやカビの付着、発酵などで品質が落ちた豆や、枝の一部や家畜の飼料と思われるとうもろこしなどが見つかります。そう聞くと嫌な気分になるかもしれませんが、紛れもない事実です。そして一度挽いて粉状になってしまうと見分けがつきませんし、そういうコーヒーを飲むから胸焼けや頭痛がするんです。ハンドピッキングは大変な作業ですが、これをやるかやらないかで品質は格段に変わりますよ。
焙煎前と後で2回の選別をクリアした豆は、その後も明確な基準に沿って扱います。濃さを決める豆の量、抽出時のお湯の温度と量、蒸らす時間など、細部まで厳密に管理することで、いつでも最高品質のコーヒーを提供できるようにしています。

焙煎中は刻々と変化する豆の状態に細心の注意を払う

欠点のある豆を速く正確に選別するハンドピッキング
ものすごく緻密な作業なのですね。
コーヒーへのこだわりを語ると、なんだか気難しい店だと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。お客さんに「コーヒーを飲む作法はありますか?」と聞かれることもありますが、そんなものは何もないですよ(笑)。僕の仕事はコーヒーを出すところまでで、あとはお客さんの自由です。ミルクや砂糖の量も含めて、好きなように飲んでもらって構いません。もちろんご希望があればいつでも相談には乗りますよ。
店内に20〜30種類あるコーヒーを選ぶ際の提案としては、まずは苦味が好きか嫌いか、ミルクを入れるかどうかを確認します。苦味が好きなら中深煎りや深煎りを勧める、といった感じです。色が濃い深煎り豆は刺激が強そうなイメージがありますが、じつは逆で、浅煎りの方がカフェインなどの刺激が強いんです。豆の産地や焙煎具合によってそれぞれの特徴がありますし、せっかくなら好みに合ったコーヒーを選んでほしいので、気軽に話しかけてもらえると嬉しいです。
店内での過ごし方もお客さん次第です。一人静かにコーヒーを味わうもよし、友人とおしゃべりするもよし。経営者の常連さんも多いので、商談や仕事の打ち合わせで使う人や、勉強する学生さんもいます。入口からカウンター席、焙煎室、ピッキングルームと並んで、その奥にグループ席。店の統一感は保ちつつ、いろんなスタイルで使えるようにしています。自由で開放的な雰囲気を心がけている理由は、コーヒー文化を広めたいから。一部のコーヒー通のためだけの店ではなく、多くの人にそれぞれの楽しみ方でコーヒーに触れてほしいんです。家庭でも美味しいコーヒーを飲めるようにドリップパックなどの物販にも力を入れていて、コーヒーの淹れ方講座を開催して知識や技術を惜しみなく伝えるようにもしています。
また、コーヒーは身体に悪いという先入観も払拭したいですね。不純物を取り除いたコーヒーはむしろ健康に良く、利尿効果を高めて肝機能の数値を向上させます。そして香りはアロマとしてリラックス効果を生みます。カフェインは刺激物なので摂りすぎは良くないですが、最適な摂取量は一日3杯といわれていて、ほとんどの人はその範囲内ですよね。実際に、コーヒーは飲めないと思い込んでいた人がうちに来てからはコーヒー好きになったということが何度もありますよ。
齋藤さんご自身のコーヒーとの出会いや、喫茶店を始めた経緯は?
コーヒーとの出会いは幼少期です。当時はインスタントコーヒーが世に出た頃で、まだ一般的には嗜好品でしたが、父がコーヒー好きで自宅には抽出用のサイフォンもありました。高校に入ると、学校帰りは毎日のように喫茶店に通いました。当時はまだファミレスもショッピングモールもありませんから、放課後に遊ぶところがなくて。ちょっとカッコつけたい、大人ぶりたいという気持ちもありましたね。でもその頃喫茶店で飲んだコーヒーの美味しさはずっと心に残っています。
卒業後はスーパーやドラッグストアを運営する会社に就職して、コーヒーとは直接関係のない分野で長年働きましたが、45歳を迎える頃になんとなく、この会社で貢献できることはやり尽くしたという感覚があったんです。その時点では辞めた後のことを具体的には考えていませんでしたが、一番下の息子が18歳になり、ある程度は親の責任を果たしたタイミングでもあったので、思い切って喫茶店を開いて第2の人生を歩んでみようかと。
退職後は調理の専門学校に半年間通いましたが、コーヒーに関する知識や技能はあまり学べませんでした。どうしたものかと考えながら、ある時本屋でコーヒーに関する雑誌を眺めていたら、そこに『カフェ・バッハ』の文字を見つけて、「これだ!」と閃いたんです。
カフェ・バッハは東京の南千住にある老舗の自家焙煎珈琲屋で、社長の田口護さんは焙煎の第一人者として知られ、コーヒー界のレジェンドとも称される方です。独自の技術を研究して美味しいコーヒーを極めようとする田口さんの考えに感銘を受けて、直接カフェ・バッハに電話をしてみました。
本来は突然の電話には対応しないそうですが、その時はたまたま店にいた田口さんに取り次いでもらえて、自分の状況や思いについて相談したんです。すると田口さんが「とりあえず東京に来なさい」と。カフェ・バッハでは研修生を募って、ノウハウを学んだ人が各地で自家焙煎珈琲屋を開くことで、高品質のコーヒーを世に広める事業に取り組んでいるんですが、田口さんとしてはコーヒーづくりを教えることよりもむしろ、学んだことを活かして自分の店をしっかり経営できる人物かどうかを見たかったようです。
100年先まで美味しいコーヒー
カフェ・バッハでの修行を経て、晴れて花野子を開業したわけですね。
焙煎技術や理論、接客の心得まで、田口さんから学んだものに自信を持って始めましたが、最初は本当に大変でしたね。空き物件を探す段階で不動産会社には、「沼津市内で飲食店を始めて続けていけるのは全体の数パーセントだよ。喫茶店なんてやめておいた方がいい」と言われました。今は妻と息子とスタッフが店を手伝ってくれていますが、開業当初はすべて一人で、売れ残るので豆も数種類しか用意できない状態。自家焙煎という言葉もまだあまり知られていませんでした。
それでも店に来てくれた知り合いや近所に住む人に丁寧にコーヒーを提供し続けて、口コミで少しずつお客さんが増えていきましたが、経営が軌道に乗るまでに5年くらいかかりましたね。ここまで続けられたのは、辛かったあの時期に何度も足を運んでくれたお客さんのおかげです。
売っているのはコーヒーですが、この仕事の中心にあるのはやっぱり人なんですよね。カウンター越しに直接話すことでお客さんとの信頼関係は深まりますし、この25年間で身の上話や人生相談を山ほど聞いてきました。また、別々に来店したお客さん同士がその場の会話を通じて意外な共通点を見つけたり、意気投合して付き合いが始まるということも珍しくありません。
時を経てお客さんの人生を共有できるのも嬉しいですね。開業当初に生まれたてだった赤ちゃんが、立派な社会人になって彼女を連れて来てくれたり。この店はコーヒーを介したコミュニケーションの場だと思っているので、僕自身これからもたくさんの出会いとご縁を楽しみたいです。

カウンター席では常連のお客さんとの会話が弾む

妻のかの子さん・息子の大地さんと
ひと言で表すなら、齋藤さんにとってコーヒーとはどういう存在ですか?
人の気持ちを温かくできるもの、ですね。美味しさも香りも、そこに集まる人とのつながりも含めて、コーヒーが持つ魅力だと思います。だからこそ、ぜひ家庭でもコーヒーを淹れて、家族で飲んでほしいです。苦味が苦手な人や子どもにはミルクたっぷりでいいんです。最近は人間関係が希薄になっているといいますが、本当は誰しも集う場所を求めているはずです。そこにコーヒーがあって、会話をより楽しいものにしてくれるなら、それはまさに文化ですよね。
今は大手チェーン店やコンビニでも気軽にコーヒーを買えますが、文化の普及という意味ではそれもいいことだと思っています。今後さらに人口減の時代になっても、若い頃からコーヒーを飲む習慣がある人が増えれば、お客さんの世代交代も途切れることなく進みます。でも最近は若いカップルの来店も多いんですよ。若い人にとってはうちの店の雰囲気がレトロな感じで楽しいみたいですね。
コーヒーを文化にするために、僕はこの店を100年続けると公言しているので、あと75年は頑張らないと(笑)。僕自身がカウンターに立てるのはあと10年くらいかもしれませんが、100年後も同じ店でありたいと本気で思っています。
そのためにもこれまでのスタイルはそのままに、日々の準備を徹底するのみですね。コーヒーの品質はもちろん、フードメニューでもおしぼり一つでも、お客さんにとって本当に価値あるものを提供して、「花野子だったら間違いない」と思ってもらえることが大切です。そこはもう経営手法というより、変わることのない僕の職業観ですね。
コーヒーという飲み物自体はありふれたものですが、その一杯の後にお客さんがわざわざ「美味しかった」と言葉を残して帰っていく。僕にとってはそのひと言がなによりの喜びであり、明日の支度の活力です。

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
齋藤 清一
自家焙煎珈琲屋 花野子 マスター
1954(昭和29)年8月20日生まれ (71歳)
沼津市出身・長泉町在住
(取材当時)
さいとう・せいいち / 金岡中、沼津商業高校を卒業後、株式会社キミサワに入社。小売店舗の現場から本社での管理業務まで幅広く経験し、45歳で退社。東京・南千住の有名喫茶店『カフェ・バッハ』店主の田口護氏のもとで学び、2001年に『自家焙煎珈琲屋 花野子』を開業。豆の選別・焙煎・抽出など、あらゆる工程で徹底的に品質を追求したコーヒーの提供を続け、多くの常連客から熱い支持を受ける。店舗運営だけでなく、コーヒー文化の普及を目的とした淹れ方講座などの活動にも取り組んでいる。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
私の祖父はお酒を飲まない代わりにコーヒーが大好きな人でした。私が幼い頃、近所にいくつかあるお気に入りの喫茶店によく通っていたようで、私も連れて行ってもらった記憶があります。昭和50年代後半くらいの話ですので、それらの店はやや薄暗い室内に落ち着いた色合いの内装、凝った装飾のソファと猫脚テーブル、そして(善し悪しは別としても)煙草の煙が似合うような、今から見ればずいぶんと時代がかった、そして少年の私にとってはたまらなく大人びた場所でした。
現代において、世界中に「カフェ」は無数あれど、20世紀育ちの人間がノスタルジーを感じるようないわゆる「喫茶店」を探すのにはどこの街に行っても苦労します。私の見聞が浅いだけかもしれませんが、あの昭和的喫茶店そのものは海外で見たことがありません。でもよくよく考えてみるとどこの国にもそれに相当する場所はあって、英国圏のパブ文化や香港の飲茶文化など、美味しい物を楽しみながら地元の人たち同士で語り合う場というのは、なんらかの形で残っているものなのでしょう。
花野子さんのようなお店は、沼津にも富士にもまだちゃんとあります。街の喧騒に片足を突っ込んだままスマホをいじったりパソコン仕事をする場所ではなく、そんな騒がしさから隔離されたゆったりとした時間の中で、本を読んだり最上級に美味しいコーヒーを飲みながらそっと自分に戻れるような場所。そしてなにより、そこでしか会えないような人たちとたまたま席を並べ、知らない者同士でも会話が始まるような、そんな温かみのある喫茶店文化がこれからもずっと続いてほしいものです。
- Face to Face Talk
- お店とスポット
- コメント: 0
関連記事一覧
Vol. 138|菜桜助産所 代表 堀田 久美
Vol. 147|東京農業大学応用生物科学部 准教授 勝亦 ...
Vol. 158|染色作家 市場 勇太
Vol. 200|富士山こどもの国 本原昌哉
Vol. 165|わんわん大サーカス 団長 内田 博章
Vol.150 |木工作家 仁藤 美樹
Vol. 135|『Fujiことはじめ』代表 赤澤 佳子
Vol. 194|美術家 伊藤 千史
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。














この記事へのコメントはありません。