Vol. 198|駿河男児ボクシングジム会長 前島正晃
この街から何人も
チャンピオンを生み出したい
上から一方的に怒って言うことを聞かせる時代ではなくなりましたね。
ボクシングという競技の性質上、僕が選手の命を預かっているといっても過言ではありません。文字通りの死闘でこれ以上は命が危ないと判断すれば、タオルを投げ込んで試合を中止させることもあります。トップアスリートは競技中に、絶対に自分から「もう無理だ」とは言わないし、言えないもの。タオルを投げた判断を、選手が「命を守ってもらった」と納得するか、「続けたかったのに止めさせられた」と恨むのか。その時に普段からの信頼関係が物をいうんです。命を託されている自分が判断を誤るわけにはいかないという責任感からも、信頼関係を最優先しています。
もちろん時代も変わっていきます。僕が学生の頃と違って、今は体罰に頼らない指導法が求められています。それに誰しも人から一方的に考えを押しつけられるのは嫌ですよね。ジムの会員の中には、よく保護者が学校から呼び出されるいわゆる“ヤンチャ”な子もいます。学校から僕のところへ「手が付けられないから来てほしい。教師の言うことも保護者の言うことも聞かないけど会長の言うことなら聞くので」と電話がきたこともあります。
頭ごなしに否定して、「コイツは悪い奴」と決めつける人は残念ながらいます。それでも、ボクシングなど夢中になれるものがあって、たった一人であっても、僕が理解者として横にいてやれれば、こういう子たちも道を踏み外さずに済むはずです。それはまさに、自分の経験から実感していることなんです。
前島さん自身もプロボクサーだったのですね。
父親は日本人ですが母方のルーツは韓国にあり、小学1年生で沼津に来た時には日本語が話せませんでした。学校では言葉が分からないのでバカにされ、ひどいいじめを受けましたね。母方の親戚にエリートが多いことも劣等感に拍車をかけ、だんだんと自分の身を守るために暴力に頼ることが増えていきました。高校へ進学してからも停学が重なり、ついに退学が決まってしまいました。
その時さすがに、このままここにいたらロクな未来はないという危機感が湧いてきたんです。当時は部活でボクシングをやっていて、憧れの辰吉丈一郎さんの試合結果に一喜一憂する高校生。自分もこの道でトップを目指してやってみたいと、ボクサーになることを決意しました。両親からは大反対され、入門した横浜のジムの会長が説得してくれても、あまり快く送り出してはくれませんでした。そこから17歳でプロデビューするまでは、とにかく意地でしたね。
その後、地元へ帰った時にある警察官とばったり再会したんです。昔何度もお世話になった方ですが(笑)、プロボクサーになったと伝えると「立派に頑張ってるんだな」とすごく喜んでくれたんです。心からの激励に、初めて自分を評価してもらった気がしてとても嬉しかったですね。
20代からは生活の拠点を沼津に戻し、小田原のジムに移籍しました。5時起きでランニングをして、仕事を終えたら車でジムへ往復して、日付が変わる頃に帰宅する生活を7年間続けました。最初は懐疑的だったまわりの目も、本気度が伝わるうちに応援に変わっていきました。
ずっと心に残っているのが、最初のジムの会長に言われた「長い人生、ボクシングができるのはほんの数年。その数年を我慢して練習することでお前の人生は変わる」という言葉です。ボクシングと出会い、没頭した数年間で僕の人生は180度変わりました。信念を持つこと、がむしゃらに努力することの大切さを知り、まっとうな生き方を手に入れたんです。プロとしての戦績は芳しくなかったですが、ボクシングに恩返しをしたくて引退後にジムを設立しました。日々向き合う子どもたちに、折に触れこの言葉を伝えています。
ボクシングを観戦する時に注目すべきポイントを教えてください。
一般的には殴り合いなんて怖い、とマイナスの印象もあると思います。でも、守る技術に長けた選手に、パンチの技術を磨いてきた選手がどう当てていくかの駆け引きが最大の見どころです。コンマ何秒の動きで勝敗が決する点も魅力ですね。
ボクシングの面白さを多くの人に知ってもらうためにも、試合の舞台にも演出を凝らしていきたいですし、魅力的な選手を増やして情報を発信することで、全国から富士市に試合の応援に来てもらえるようにしたい。コロナ前の10年間は、ふじさんめっせで毎年2千人以上が来場する複合イベントを主催していましたが、3年ぶりとなる今年9月には、さらに規模を拡大する予定です。ボクシングの試合だけでなく、子どもたちのダンスショーや飲食店も数多く出して、県内外から多くの人を呼び込み地域経済に貢献したいんです。また、こういったイベントや試合には、ジム立ち上げ当初から児童養護施設の子どもたちを無料招待しています。
自分を変えてくれたボクシングを通して、青少年の健全育成やこの地域の活性化、競技そのものの地位向上を叶えたい。それが僕の仕事の大きなテーマになっています。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text/Chie Kobayashi
Cover Photo/Kohei Handa
前島正晃
駿河男児ボクシングジム会長
1978(昭和53)年11月27日生まれ(44歳)
沼津市出身・富士市在住(取材当時)
まえじま・まさあき/金岡中学からサッカー推薦で沼津学園(現・飛龍高校)へ進学するも、ボクシングへ転向して中退。横浜の花形ジムに所属し、17歳でプロデビューする。『駿河男児』は自身のリングネーム。引退後の2010年、富士市に『駿河男児ボクシングジム』を設立し、子どもから大人まで競技の魅力を伝えるとともに、プロ選手を育て、地元からチャンピオンを輩出している。ボクシングの興行に限らず幅広い分野のステージショーと数多くの出店で盛り上がるイベントを定期的に開催し、地元の発展に寄与。指導者としては、選手との信頼関係を何よりも大切に考え、心を開いて本音で話せる雰囲気づくりに心を砕く。ボクシングや所属選手の魅力を広く伝えるべく、ブログやインスタグラムで頻繁に情報を発信している。尊敬するボクサーは辰吉丈一郎氏。
駿河男児ボクシングジム
富士市国久保3-2-32 美穂ビル2F
TEL:0545-32-7227
毎週月曜・第4日曜定休(プロ選手試合日・お盆・正月は休み)
無料体験は電話かウェブで予約
公式ウェブサイト
https://surugadanji.miho.tv/
駿河男児インスタグラム
@surugadanji
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
スポ根漫画の金字塔『あしたのジョー』や30年以上長期連載される『はじめの一歩』、それに映画『ロッキー』など、ボクシングを題材とした名作は数多くあります。それらの物語に心を動かされる理由は、ボクシングというスポーツそれ自体に人間の根源的な何かを揺さぶる象徴性があるからでしょう。やさぐれていた矢吹丈と飲んだくれの丹下段平の出会い。いじめられっ子だった幕之内一歩。努力することができずくすぶっていたロッキー・バルボア。そんな彼らが何かのきっかけで闘争心に火がつき、ひたむきな努力を始める姿に我々は感動します。
前島さんのいう「スイッチが入る」とはきっとこの、自分の弱さを克服し強くなろうとする闘争心の目覚めのことです。初めての試合で対戦相手と対峙するとき、選手たちは怖さに目をつぶってしまう。しかし、やがてボクサーとして成長し、目を開けていられるようになる。怖くなくなるわけではない。怖いからこそ、その恐怖心と向き合い、目を開けて立ち向かう勇気を知る。フィクションの世界でも現実でも等しく、ボクシングとは常に「成長の物語」なんですね。
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