Vol. 193|富士宮市立郷土資料館館長 渡井一信

渡井一信さん

文化の輝きを後世に

歴史や文化財に興味を持ったきっかけは?

子どもの頃から国語や社会が好きで、親に買ってもらった百科事典を隅から隅まで読んで丸暗記するような少年でした。文化財に直接関わるようになったのは、高校で郷土研究部という部活に入ったのがきっかけです。

当時は高度経済成長期で、高速道路や新幹線をはじめとする大規模な開発が各地で行なわれる中、文化財の調査・保護という概念がようやく定着してきた時期でもありました。しかし、発掘調査を専門的に担当する組織を行政が持っていなかったので、調査団という形で大学生や高校生を集めたチームを結成して、作業に当たっていました。

高校1年のある時、日本史の授業で若い男性の先生が発掘現場の話を始めて、「若手はスコップ1本で発掘現場に行って、掘った土をいかに遠くまで飛ばせるかが勝負なんだ」と、面白おかしく語るんです。「そんな楽しそうな世界があるのか!」と胸を躍らせているところに、「郷土研究部に入れば参加できるぞ」と言葉巧みに誘われて、すっかりその気になってしまいました(笑)。

週に3回程度の活動に加えて、夏休みになると大学と共同で100人くらいの調査団を結成して、約1ヵ月間泊まり込みで作業をします。今ではすっかりきれいに整備された伊豆の土肥金山も、私が高校生の頃に初めて発掘したんですよ。

東京の大学に進んでからも、発掘のアルバイトを続けました。当時はまだ学生運動の余韻があって、大学に行っても授業がないんです。仕方がないので大学3年からは地元に戻ってきて、必要な時だけ東京に通う生活でした。当時、西富士道路の開通に伴う数年がかりの発掘調査が計画されていて、私に実務経験があって教育委員会の人ともつながりがあったことから、富士宮市に調査員として採用してもらいました。

時代も状態も異なる遺跡を、どう測量してどう掘ればいいのかといった判断は、その都度現場で担当者が行なうしかありません。そのためには充分な知識と経験が必要です。私は専門の学部を出たわけではないので、社会人になってから通信制の大学で学芸員の資格を取得したり、日本考古学協会に入って勉強したりと、ずっと学び続ける毎日でしたね。とはいえ、有名大学の専門課程を出た人にはかなわない部分もあります。発掘の仕事は10年間ほど担当しましたが、専門性を持った若い職員が入ってくるにつれて、私は文化財全般の保護・管理業務に携わるようになりました。

富士宮市埋蔵文化財センター

埋蔵文化財センターでは展示物を間近で鑑賞できる

郷土史研究や俳句の指導など、個人としても多岐にわたってご活躍されていますね。

郷土史の研究では地元に残る曽我兄弟の仇討ちにまつわる伝承をライフワークとしながら、富士宮市郷土史同好会という任意団体の会長も務めています。1985年に地元の有志で始めた活動で、現在の会員は約70名です。学校の先生や主婦の方など、歴史が好きで知的好奇心の高い人々が集まって、コロナ禍以前は県外への研修バスツアーや講演会なども開催してきました。毎年一回発行している会報では、地域の歴史に関する考察を会員の皆さんから寄稿してもらっているのですが、内容がとても充実していて、地域史を後世に伝えていこうという熱意を感じます。

俳句は30代の頃に知人に誘われて以来、ずっと続けています。富士・富士宮で主宰している俳句会では、屋外を歩いて感じ取った素材を句にしたり、みんなで集まって一つのお題について詠んだりと、仲間と切磋琢磨しながら活動しています。

俳句の魅力は誰でも気軽に親しめることですね。基本的には季語を一つ入れて、五・七・五で表現するだけですから。それでいて、極めようとするとどこまでも奥が深い。ちなみに、富士宮市が主催する『富士山を詠む」俳句賞という公募事業が今年で20回目を迎えたのですが、これは2002年に職員提案事業として私が発案したものです。ちょうどその頃、芸術文化の担当になって、それまで携わってきた文化財行政とは少し毛色の違う分野だったのですが、趣味の俳句まで仕事に活かせるとは思ってもいませんでした(笑)。結果的にはこれが私の人生の中でも大きな転機というか、視野と人脈を広げてくれるきっかけにもなりましたね。

歴史も俳句も、形は違えど文化的な営みですね。

歴史を知ることは、先人たちの価値観や行動様式について学ぶ機会になります。これは広く人間社会を探求しようとするものです。一方、俳句を嗜むことは、自然を観察する中で自らが得た気付きや感動を言葉で表現する作業です。こちらはある意味とても内向きの、哲学的な行為ですよね。私はそのどちらも大切だと思っています。

現在は活動時間のだいたい半分を歴史、半分を俳句に使っています。正反対ともいえる領域ですが、お互いの空間を行き来しながらそれぞれの仲間たちと活動できることが、私にはとても居心地がいいんです。

人が幸せを感じて暮らすために必要なのは、まさにこの文化的な営みだと思います。人によっては、それがスポーツであっても芸術であってもいいんです。行政の立場に立つと、単年での予算や効果という問題に目を向けざるを得ない部分はたしかにあります。しかし文化を育むには、本来もっと長い目で見る必要があって、趣味や遊びを通じた文化の継承も大切だと感じています。趣味の延長のような形で文化行政に携わり、地域のさまざまな事業に関わってきた私にこれからも何か果たせる役割があれば、微力ながら担っていきたいですね。

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa

渡井一信さんプロフィール

渡井一信
富士宮市立郷土資料館館長

1954(昭和29)年3月10日生まれ(68歳)
富士市出身・在住(取材当時)

わたい・かずのぶ/大学卒業後、1978年より富士宮市職員に。教育文化課課長時代に富士宮市立郷土資料館館長に就任。富士山世界遺産課課長として富士山の世界文化遺産登録に尽力するなど、文化行政の中核的役割を果たす。定年後も嘱託として富士宮市教育委員会文化課社会教育指導員を務め、郷土資料館業務や後進の育成に当たる。個人としても郷土史研究に傾倒し、富士宮市郷土史同好会会長を務める。30代から本格的に始めた俳句では「一峰」の俳号で活動。静岡県俳句協会理事、富士宮俳句協会事務局長として多くの門下生を抱える。豊富な知識と経験、話術を活かして各種講演や講座にも数多く取り組んでいる。

富士宮市立郷土資料館

富士宮市宮町14-2 富士宮市民文化会館内
開館時間:9:00~17:00
休館日:第3月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)

富士宮市立郷土資料館1
富士宮市立郷土資料館2
富士宮市立郷土資料館3

富士宮市埋蔵文化財センター

富士宮市長貫747-1
TEL:0544-65-5151
開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日: 土日祝・年末年始(12/29~1/3)

富士宮市埋蔵文化財センター1
富士宮市埋蔵文化財センター2
富士宮市埋蔵文化財センター3

Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜

「発掘」とか「考古学」と聞くと、映画『インディ・ジョーンズ』のような日常からかけ離れたロマン溢れる世界を思い浮かべる人が多いと思います。でもよく考えてみれば、むしろそれは現代の私たちの生活から地続きでつながっている身近な話なんですよね。私たちの暮らす土地の足元に眠っている、我々と血のつながったご先祖様たちの文化遺産。だから文化財を調査し発掘し継承していくことは、地域という小さな単位で草の根的に取り組むことこそが自然なあり方なのかもしれません。今回の話は富士宮が舞台ですが、どの町にもそんな研究・保存活動をされている方々が行政・民間問わずたくさんいらっしゃいます。

もうひとつ大事な点は、私たちの日々の生活もまた、いずれは発掘される側になる、ということです。文化が人の営みの連続性の中で生まれるのだとしたら、500年前の過去に思いを馳せることと500年後の未来を夢想することの間に、今のこの瞬間を文化的に生きるという大事な使命があります。私たちはみんな、文化を生み出す当事者というわけですね。渡井さんにとってのそれは「俳句」です。ただ、創作する側であっても鑑賞する側であっても、等しく文化の当事者であることに変わりはありません。人類の歴史の中の今という時にせっかく生まれてきたのだから、スポーツや芸術、趣味を存分に、主体的に楽しみたいものですね。

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