Vol. 128|ふじのくに学校給食を考える会 代表 小櫛 和子

「おいしい」は人のつながりから

4時間目になると給食室から漂ってくる、おいしそうな香り。チャイムはまだかとそわそわしながら教室の時計とにらめっこした記憶は、多くの人が共有する思い出の1ページだろう。ところが現在、静岡県内でこの体験をする子どもは全体の半数にも満たないという。少子化や合理化が進む中で、各学校内の調理場で専属の調理員が作る『自校直営方式』と呼ばれる給食制度が次第に姿を消し、給食センターや委託業者による調理・配送を行う自治体が増えている。

各方式にはそれぞれ一長一短があるが、今回紹介する「ふじのくに学校給食を考える会」代表の小櫛和子さんは30年間にもわたり、富士市内(旧富士川町を除く)の小中学校が自校直営で提供する給食の維持に尽力し、地産地消や食育に関する啓発活動にも取り組んできた人物だ。食を通じた人と人、地域と需要をつなぐための地道な努力は、子どもたちの笑顔へと向けられている。

富士市の学校給食は珍しい制度だと聞きましたが、具体的にはどのような点ですか?

小中学校の給食には大きく分けて、学校の敷地内に調理場が設置されている『自校方式』と、共同調理場で作ったものを複数の学校に運搬する『センター方式』があります。またそれぞれに自治体の直営もしくは外部委託といった運営形態の区分もあります。富士市では合併した旧富士川町のエリアを除く25の小学校と14の中学校で自校直営方式を採用していて、学校内の給食室で作ったものを温かい状態で子どもたちに提供しています。これだけの規模で自校直営を維持しているのは県内の自治体では他に例がなく、全国的にも貴重なんです。私たちは今後もこの形を変えることなく、給食を通じた心身の健康と学びの場を子どもたちに提供したいと考えています。

一方で、大量の給食を作れるセンター方式が合理的で望ましいという考えがあることは事実で、たしかにコストや人員の削減という点ではそちらが優位です。ただ、学校給食は子どものお腹を満たすことだけが目的ではありません。学校給食法という法律にも、『学校給食は子どもの心身の健全な発達に資するもので、食に関する正しい理解と適切な判断力を養う上で重要な役割を果たすもの』と明記されています。世の中が便利になり、お金を払えば食べ物は簡単に手に入りますが、誰が作ったのか見えにくいものよりも、作り手の存在が分かる方が、感謝の気持ちが湧きますよね。また各学校の栄養士や調理員の皆さんが地域の特産品や季節にまつわる独自のメニューを考案できることも、自校直営の大きなメリットです。

給食の写真

小櫛さんが代表を務める『ふじのくに学校給食を考える会』としての活動内容は?

私たちは学校給食の現場に入るわけではない、あくまで応援団の立場ですから、学校・栄養士・行政・保護者・農家・食品加工業者・納入業者・メディアなど、関係者の皆さんとの幅広いつながりを構築して、お互いを結ぶことが活動の基本です。地域の子どもたちのためにより良い給食にしようという点で反対する人はいませんので、それぞれの立場や意見を調整しながら、地元で採れた野菜を使ったメニューの考案や、農家さんによる出前授業、納入業者さん向けの研修会などを企画・開催してきました。子どもたちにとっても、食は生きた教材で、科学・経済・歴史など、いろいろな分野の学びや関心を生むきっかけになります。

また市場や食品関連企業の方々にも声をかけながら、少し手間がかかってもおいしくて質の高い給食を提供できるように取り組んでいます。地域活性化という意味でも、地元の食材や料理を特産品として定着させるには、『富士市にはこんなにいいものがあるよ』と外に向かって発言しているだけでは限界があります。この地域には富士山の湧き水が育んだ素晴らしい食材が豊富にありますが、地元に暮らす人がそれらを積極的に選ぶようにならないと、なかなか定着はしません。長い目で見れば、まずは子どもたちが給食を通じて地元の食べ物のファンになることが大事だと思います。

富士市の食育推進校である富士川第一小で開催された出前授業。この日の給食では有機農法で栽培した地元の大豆で作ったみそを使ったみそ汁が提供された。『ふじのくに学校給食を考える会』ではこのような事業の企画やコーディネートを通じて、地域の食育を長年後押ししてきた。

学校給食の域を超えた、食育や地産地消という価値観を伝えていく活動なんですね。

食という字は「人に良い」と書きますが、最近は必ずしもそうではなくなっていると感じます。私たちが活動を始めた30年前にはまだ『食育』という言葉も使われていませんでしたし、それ以降に大きな話題となった環境ホルモンや狂牛病、遺伝子組換え食品の問題などはまだ表面化していませんでした。私たちは大きな時代の流れに対してただ何でも反対というのではなく、何が問題なのか、どうすれば子どもたちや社会にとって良いものになるのかを学び、考えながら、行動していく責任があります。合理性・効率性というキーワードとは真逆の発想ですが、そもそも食べ物は合理的なものではありません。動物も植物も生き物ですから、規格を作って全く同じものを大量に生産・消費するということ自体、本来は不自然なことです。高度な経済活動や国際化に応じて仕方のない部分もありますが、それが何よりも優先されるというのは良いことではありません。

また近年では、農業の衰退や食料自給率の低下なども深刻な問題です。地元で採れた食材をなるべく地元で消費するという小さなサイクルで生活を営むことで、地域経済に活気を与え、その土地本来の特色が維持できます。耕作放棄地などで里山の景観や自然環境が荒れていくという問題もある中、地域ごとの農業を適切に維持していくことが重要なんです。

給食はお腹だけではなく、
心を満たすもの

学校給食と関わるようになったきっかけは?

私自身は栄養士でも調理師でも学校関係者でもありません。最初のきっかけは、30年以上前に参加した富土市の市政モニターOB会という集まりでした。そこで富士市内の学校給食で使う食器がアルマイト製からプラスチック製に切り替わる方針だと知りました。当時、我が子が幼稚園・小学校・中学校にそれぞれ通っていたこともあり、プラスチックから溶け出す化学物質による身体や環境への悪影響に不安を感じて、導入反対の署名活動などを始めました。そこで立ち上げたのが、現在の組織の前身である『富士市学校給食を考える会』です。結果的に食器の変更は止められませんでしたが、学校給食に関わる人々とのつながりができ、学んでいく中で、子どもと食にまつわる課題は他にもたくさんあることに気づきました。その中でも重要で、子どもたちと食を結ぶ最後の砦だと感じたのが、自校直営方式の学校給食を守るということでした。かつては全国的にも自校式が主流でしたが、施設の建て替えや自治体の合併などを機に少しずつ減っていきました。富士市では私たちの活動以前から自校直営を守ろうとした先人たちの努力もあって、小中学校の9年間は温かくて工夫を凝らしたおいしい給食が食べられる環境が残っています。

また栄養士や調理員の皆さんはプロ意識が高く、子どもたちのために日々奮闘されています。一例ですが、富士市の給食では昔からおなじみのデザート『サイダーかん』も、大量に作るには技術が必要で、溶かした寒天が冷めて固まり始める直前の65〜68°Cになったタイミングでサイダーを一気に、均一に入れるそうです。投入が早すぎると炭酸が抜けてしまい、遅すぎると固まってうまく混ざらないからです。世代を超えて人気のメニューの陰には、受け継がれてきたものがあるんですね。私としてはこの恵まれた環境を対外的にもっとアピールして、子育て世代の富士市への転入を促進するくらいの姿勢でもいいと思っています。

親子で参加できる料理教室でサイダーかんを作る参加者たち。いつも給食で提供されているメニューを自ら作る経験によって、食への関心と作り手への感謝の気持ちを育む。

ご自身のお子さんが学校を卒業した後も、長く活動を続けてきた原動力はどこから来るのでしょうか?

核となるのは、自分や我が子だけ良ければそれでいいのではなく、周りの人や次世代、社会全体を良くしていかなければ意味がないという思いです。自分が社会や自然から受けた恩恵をつないでいくことが、今の時代に生きる者の役目だと思っていますし、私自身もこの活動を通じて人として育てられました。古いメンバーの間では笑い話ですが、活動を始めた頃は定例会を開いても2〜3人しか集まらないこともありました。それまでに市民活動の経験などなかった一主婦が、子育ての合間に活動するのは大変で、月に数時間を捻出するのがやっとでした。それでも細々と続けてきたことで、地域の食に関するさまざまな人脈ができましたし、富士市の自校直営方式が現在まで維持されてきたことに一定の影響力を持てたという自負もあります。

子どもがそれぞれ自立して、親の看取りも終えた今、私自身に残された時間にも限りがある中で、より実行力のある組織としてステップアップするためにNPO法人へ移行する手続きを進めているところです。給食制度のあり方や食に対する考えは人それぞれですが、私たちは考えの異なる人と対立するのではなく、子どもたちや域のためという観点で、多くの人とのコミュニケーションを取るように心がけています。自分が正しいと思っていても別の立場の人から見ると違っていて、思いもよらない意見が出ることもあります。それが新たな気づきや学びの機会となって、じゃあどうすればいいだろう、どこで折り合いをつけようかと、対話を通じて進展させることができます。食は命の源で、例外なく誰にでも関わりのあることですので、そこを要としてみんなが少しずつ手を差し伸べて、汗をかくことで、子どもたちと地域を守る力にしていきたいです。

またそんな大人の姿を見ている子どもたちも、自分一人で大きくなったわけじゃなく、いろんな人との関わりの中で育ててもらったんだと感じてくれたら、それこそが真の食育なんだと思います。

JA職員や食品流通業者、地元農家の皆さんとともに、富士市大淵のとうもろこし畑を視察する小櫛さん(右端)。お互いの顔が見える付き合いを重ねていくことで、新たな企画や事業につながるアイデアが次々と生まれる。

【取材・撮影協力】富士市保健部保健医療課食育推進室/富士市立富士川第一小学校/JA富士市大渕支店

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa

小櫛和子さんプロフィール

小櫛 和子
ふじのくに学校給食を考える会代表

1950(昭和25)年10月30日生まれ(66歳)
富士市出身・在住
(取材当時)

おぐし・かずこ/富士高校、青山学院大学法学部卒。専業主婦として3人の育児に励む中、市政モニターOB会の活動をきっかけとして学校給食の課題に触れ、1987年に約60名のメンバーとともに「富士市学校給食を考える会」を設立し、代表に就任。以後30年間にわたって富士市の学校給食に関する諸問題の改善や食育・地産地消についての啓発活動に取り組む。同会としては2007年より「富士市学校給食地場産品導入協議会」に加わり、給食に地元の食材を安定的に供給する生産・流通・調理の関係づくりに貢献。2017年5月、活動範囲を広げることを目的にNPO法人「ふじのくに学校給食を考える会」の設立総会を開催し、現在に至る。法人の正会員・賛助会員は随時募集中。

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