Vol. 191 |芸術空間あおき 屋久 綾乃
好奇心が向かうまま、
新たな感動に出会いたい
そしてこの『芸術空間あおき』と出会うことになるのですね。
もともとこの地域には何のご縁もありませんでしたが、息子がラグビーをやりたいということで、静岡市の中高一貫校に入学することになったんです。当初息子は寮に入っていましたが、行事などで私も何度か学校に行くうちに、「静岡っていいところだな」と思うようになって、なんとなく住宅情報のウェブサイトで検索した時に、このギャラリーの存在を知りました。
家族内では以前から「東京に骨を埋めるのではなく、ゆくゆくはどこか郊外でゆったりと暮らしたいね」という話をしていて、いろんな地方の中古物件をネットで調べては、叶うかどうかも分からない夢を妄想するのが趣味だったんです(笑)。
そんな中、静岡に来たついでに息子と二人で初めてここを訪れたんですが、あの日のことは一生忘れません。前オーナーの青木さんご夫妻は以前から沖縄への移住を希望されていて、その時点で売りに出してから5年くらい経っていたんですが、この建物に入ってすぐに、「あ、私はここに住むんだ」と直感しました。
それまでにもいくつかの物件を見てきた中で、初めて味わう不思議な感覚でした。大学受験の時に買ってもらったグランドピアノを中心に置いて、アート作品や教室の生徒さんと触れ合う自分の姿がイメージできたんです。富士山麓の穏やかな自然や、庭の木々に囲まれた心地良い環境に加えて、青木さんがギャラリーに置いていた調度品を見ると、アンティークのランプや水筒など、まったく同じものを私もいくつか持っていて、このオーナーさんと価値観が合うことも感覚的に分かりました。
初対面なのに前のめりに質問し続ける私にも、青木さんはとても優しく、誠意を持って対応してくださいました。これだけの規模の住居兼ギャラリーは安い買い物ではありませんし、私個人で即決できることではありませんでしたが、青木さんに「もう心は決めています」と伝えて帰ったのをよく覚えています。
そんな強い思いで受け継がれたギャラリーの運営も、6年目になりますね。
最初の1年間くらいはとにかく続けていくだけで必死でしたね。幸いにも関西時代に絵画の個展の運営に携わった経験があって、いろんな分野のアーティストとのつながりもあったので、作品を展示するノウハウはある程度ありました。また、沖縄に移住した青木さんとはその後も頻繁にやりとりをしていて、いろんなアドバイスをいただけたことも大きかったです。
展示するアーティストの作品にはいつも衝撃と感動をもらっています。展示前に搬入された作品の梱包を解く時には、毎回ドキドキワクワクします。オーナーでありながら、私自身が一番楽しんでいるのかもしれません(笑)。
ライブイベントも素晴らしくて、大きなコンサートホールでも野外フェスでもない、この距離感で味わう生の音、躍動感は格別です。夕方には黄昏時の変わりゆく空の色や、虫の鳴く声がステージを演出してくれます。10月のライブでは私もピアノ奏者としてセッションに参加します。
アートギャラリーというと、敷居が高いと感じてしまう人がいるかもしれませんが、ここでは特別な知識も経験も必要ありません。観て、聴いて、「楽しい!」と思っていただければ十分で、そのためにより多くの人が幅広い芸術に触れる機会を作っていきたいです。
今後の具体的な目標は?
各世代の生徒さんが一緒になって歌う発表会を計画したり、個人的には陶芸を少しずつ学び始めたり、いろんなアイデアはありますが、そもそも私は先々まで計画を立ててその通りに実行するのが苦手なんですよね(笑)。ずっと同じことをやり続けるのではなく、どこかで常に変化を求めている自分がいて、それが私らしさなんだと感じています。
これまでにいろんな分野の芸術を学んできたこと、新しい作家さんの作品を知ること、形はさまざまですが、私にはその感動が大切なんです。興味関心に沿った心のアンテナを常に広げて、なんとなく考え続けて、それが何かの機会やご縁を得た時、パッと一気に動き始める。そんな出会いがこれから先もたくさん訪れたらいいなと思います。
それともう一つ、将来の話としてぼんやりとイメージしているのは、これから世に出ていこうとする若いアーティストの表現活動を支援することですね。私が今この場所にいられるのは、家族をはじめ、各分野で指導してくださった先生方や先代オーナーの青木さんご夫妻、地域の皆さんの理解と支援があればこそです。この青木平にお住まいの年配の方々が、時々作業をお手伝いしてくださるんですが、「自分も昔いろんな人に助けてもらったから、恩返しだよ」と笑顔でおっしゃるんです。本当に素晴らしい考え方ですよね。今はまだギャラリーの運営で手いっぱいですが、いつかは私も、私なりのやり方で、いただいた恩を後に続く世代に伝えていける存在になりたいです。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
屋久 綾乃
芸術空間あおき オーナー
奈良県大和郡山市出身・富士宮市在住
(取材当時)
やひさ・あやの/大阪芸術大学演奏学科(声楽専攻)在学中からピアノを教え、並行して関西を中心に演劇公演やタレント活動を始める。絵画では洋画家・野崎謙氏に師事し、大阪市立美術館美術研究所でも研鑽を積む。結婚・出産を経て2005年に東京・三鷹市に転居。知人の子ども向けにピアノや絵画の教室を始めると、口コミで広がり多くの生徒を集める。2016年、かねてより憧れていた田舎暮らしを検討する中で、『芸術空間あおき』に出会い、富士宮市への移住を決意。ギャラリー創設者で前オーナーである青木嘉一郎さん・容子さん夫妻から事業を引き継ぎ、翌年1月にリニューアルオープン。これまでに培った素養や人的ネットワークを活かしながら、毎月の企画展に加えて各種教室やライブイベントなど、アートにまつわる取り組みを積極的に行なっている。
芸術空間あおき
富士宮市青木平243
TEL: 090-6203-6010(屋久)
【ギャラリーカフェ営業日】
毎月1日〜15日 10:00〜17:00
期間中無休
(月によって変動あり/1月のみ10日〜24日)
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
アート好きにとって『芸術空間あおき』といえば富士宮の必訪スポットのひとつ。美術品・工芸品を見たり買ったりするのに限らず、音楽公演や教室などアートを複合的に楽しめるのが特長です。場所の魅力もさることながら、2代目オーナーとなる屋久さんの人柄、そしてギャラリー承継に至るまでのストーリーがとても面白くて、全部書ききれないのが本当に残念です。
屋久さんは一人の普通の「主婦」でもあり芸大卒の「マルチアーティスト」でもあるのですが、大きな投資を伴うギャラリー経営というのは新領域。ちょっとやそっとの決断力じゃできません。私はそんな屋久さんの「機のとらえ方」に、とても共感を覚えました。
学生の頃から、道をひとつに決めつけず好奇心の間口を広くとってきたこと。同質な人々の中に埋もれるのではなく、常に多様な交流を求めてきたこと。一見逆境に見える出来事も「、ポジティブな新しい一歩」へのきっかけに転じてきたこと。そして自分の今の直観を信じて決断してきたこと。屋久さんの身のこなし方に、人生のすてきなことを自然と吸い寄せるようなエネルギーを感じました。
私はそれを、のんきな静岡県東部住民にとってはうらやましい関西人特有のパワフルな気質だと考えましたが、ご本人曰く「出身地の奈良と富士宮は空気感が似ている」んだそうですよ。なんかそれも分かる気がします。
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