夏休み子ども能楽教室への思い

甫の一歩 第15回

今では一年を通して能公演が行なわれていますが、それでも繁忙期と閑散期はある程度分かれています。閑散期の代表は、やはり夏でしょうか。

近代能楽は、それまで神事としての奉納公演やお殿様の前での御前公演が主だったのとは違い、興行として広く一般民衆が観るようになりました。そして建物の中に能舞台を入れ込み、天気に左右されずに公演することを可能としたのです。しかし、その時代(明治維新後)は満足な冷房設備などあるはずもなく、能装束の重さは平均10キロほど、さらに能面をいただく出で立ちで舞台に立つため、能楽師は汗まみれになってしまいます。汗をかくと能装束を傷めますし、ポタポタと汗が落ちるのは美しくもありません。だから夏は能公演が少なかったわけです。

環境が整備された現在、昔に比べると公演は多少増えましたが、まだ少ないままです。なぜなら、もし演者が快適に舞台を勤めるほど温度を下げると、見所(けんしょ)(客席)は冷蔵庫の中のように寒くなり、お客様は到底能を観ることなど不可能になりますので(笑)。

そんな夏の間、私たちが力を入れるのが、普及活動です。「はじめて観る能楽」などといった、通常の能をかなり短く省略して、解説をつけて、わかりやすくしたものです。そしてこれらの多くは、夏休み中の子ども向けになります。早くから能に触れることで、大人になったときに能を敬遠しなくなり、個々の引き出しに能という文化を培うことができます。まったく能に触れていない方々とお話をすると、能を必要以上に難しく考え、敬い、遠ざけてしまう傾向を感じます。

子どもたちに能を観てもらうだけでなく、体験してもらうことも重要です。よくあるのは「夏休み子ども能楽教室」といったもので、この教室事業では子どもたちが足袋を履き、扇を持ち、稽古します。能の稽古の素晴らしいところは、完全にマンツーマンだという点です。私のような若手能楽師から、中堅、上の先生方まで、みな子どもたちひとりひとりと1対1になります。これはなかなか珍しいことです。この距離感での稽古により、自然と礼儀作法が身につくだけでなく、能の考え方などが違和感なく子どもたちの身体に染み込み、能を毛嫌いしなくなるだろうと思います。

私は今まで、東京や山形での子ども教室事業に携わってきました。その経験を活かし、富士宮市の臥牛敷舞台(がぎゅうしきぶたい)でも、今年の夏ついに子ども教室を主催することができました。能楽師としての長年の夢のひとつが叶ったのです。地域のお弟子様や富士市に住む両親のサポートがあり、当初は10名ほどの募集でしたが、結果的には小学生から高校生まで、なんと25名も集まりました。慌ててもうひとり能楽師を雇い、二人体制で教室を開始することにしました。

計5回の稽古と発表会。非常に短い期間でしたが、子どもたちは真剣に取り組み、よく覚えてくれました。親御さんに聞くと、自宅でもたくさん練習をしていたようです。発表会では、みなひとりひとりちゃんと舞うことができました。私は能楽師として今までに味わったことのない喜びと達成感を得ました。

じつはこの教室事業は手弁当といいますか、赤字事業なのです。国の助成金はわずかで、能楽師二人の交通費と雇った能楽師へのささやかな謝金を払うと、もう使い切ってしまう有様です。それでも私は、来年も臥牛敷舞台で開講することを決めました。これまで子ども教室に私を雇ってくださっていた先輩方も、みな利益など考えずに夏の期間は子どもたちへの普及啓蒙活動に力を入れる、尊敬する方々でした。

なぜ赤字でもそんなことをするのかというと、答えは簡単です。能は素晴らしい文化であり、観るだけよりも身体を使って実際にやるほうがはるかに楽しく魅力を感じてもらえるからです。そして、それは子どもに限ったことではありません。

今年の教室が無事に終わってから、運営面での反省点を書き出し、さらには来年の日程も決めてしまいました。もちろん仮の予定ですが、来年の仕事が楽しみなんて、こんなこと普段は絶対にありえません(笑)。

地域の大人にも子どもにも、能文化をもっと知っていただくために、臥牛敷舞台での活動を続けていこうと改めて思えた、とても大きな経験でした。来年の夏が待ち遠しいです。

臥牛敷舞台で開催された「子ども教室」

臥牛敷舞台で開催された「子ども教室」

田崎甫プロフィール

田崎 甫

宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」

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