Vol. 133|新朗読家/フリーアナウンサー 杉山 直
心が紡ぐ物語
本を“読まない”朗読――と表現すればいいだろうか。文豪たちが残した作品の一言一句を漏らさず暗唱し、照明や音響を駆使しながらその世界観を表現する舞台、それが「新朗読」だ。創始者である杉山直(すぎやま ちょく)さんは、富士市を中心に今も県内外の各地で公演を続けている。演目は太宰治の『走れメロス』や宮沢賢治の『注文の多い料理店』といった身近な作品から、現代人にはやや馴染みの薄い『古事記』まで。
「ただ読んでいるだけではだめ。『聞いてもらえる朗読』をやりたい」と話す杉山さん。その胸の内には「無限に広がる文学の世界の魅力を、もっと多くの人に感じてもらいたい」という思いがある。読書離れ、活字離れが叫ばれる今だからこそ、人々が文学作品に触れ、日本語の面白さを知るきっかけを生み出したい――。幼い頃から文学の世界に夢中となり、「舞台」そして「伝えること」を人生の中心に据えてきた杉山さんは今、文学と人との懸け橋となるべく、挑戦を続けている。
1960年代の大人気テレビドラマ『意地悪ばあさん』で初代孫役としてレギュラー出演されましたね。
実を言うと、元々子役をやるつもりはなかったんです。5歳の頃に、父親の転勤のため家族で東京に引っ越したのですが、引っ越した先の幼稚園で苦手なニワトリが放し飼いにされているのが嫌で、『こんなところには通えない』って大泣きしたらしくて。私は覚えていないんですけど(笑)。それで母親が仕方なく私を入れたのが児童劇団だったんです。歌や作法が身について幼稚園代わりになるのではないか、と。
ところがすぐに、本格的な劇団のオーディションを受けてみないかと勧められて、受けたら合格してしまいました。そこから全国公演に出たり、テレビドラマに出たりと、あっという間に超多忙な子役生活がスタートしました。そして『意地悪ばあさん』の初代孫役に抜擢していただいたんです。
まだとても幼かったので、自分が何をしているのかは正直なところあまりよく分かっていなかったと思います。ただ、公演などで観客の前に立ったときに『楽しいな』と思ったのは覚えていますね。僕が出ていくとお客さんが反応する、喜んでくれる――。ただ単に、大人の舞台に小さい子どもが出てくるからだと思うんですが、それでも『自分が出ていくとお客さんが沸く』って思えばそれだけで嬉しかった。舞台に立つことの魅力を知りました。それが今の原点となっています。
どうして役者を引退することになったのですか?
小学4年生のときに家族で静岡に戻ってきたのですが、その後も子役の仕事は続きました。早朝の新幹線で東京まで通ったんです。けれど子役の仕事で学校に行けない日があまりに多いので、『あと1日休むと落第』、『もう一回4年生をやってもらわないとだめだよ』とまで言われてしまって。そのときは何とか無事に進級できたものの、学校に行くためには仕事を辞めなければと、12歳のときに決断しました。どうしても学校に行きたかったんです。その分、中学校では3年間皆勤賞。死ぬほど猛勉強して目標としていた東京の高校に入って、そのまま大学にもストレートで進むことができました。
それである程度は学業生活に満足できたということで、高校を卒業するくらいのときに改めて、もう一度きちんと役者を目指したいと思うようになりました。そこで、知り合いの方にお願いして事務所に入れていただいたんです。でも全然売れませんでした。今の子役の方々のようにしっかりと演技を学んでこなかったので、全く通用しないんですね。さらに子役時代にたくさん仕事をいただけたという変なプライドみたいなものもあって、上手く自分をアピールできずに、鳴かず飛ばずでした。そのため、1978年の岡本喜八監督映画『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』への出演を最後に、役者を辞めて静岡に戻ったんです。
その後はどのような仕事をされたのでしょうか?
20代の頃はまず、ライブハウスを作ってバンドグループの育成をしていましたね。静岡で初のライブハウスでした。静岡から全国に向けて何か文化を発信したいと思ったんです。その頃ちょうど父親が会社を経営していたので、そこを継ぐか継がないかという話もありましたが、毎朝7時半に会社に行って工場勤めして――っていうのがどうしても馴染めなかったんです(笑)。
そうこうしているうちに『元・子役の杉山直が静岡でライブハウスをやっているぞ』と話題になって、地元のテレビやラジオに出演させていただく機会が増えていきました。気が付くと30代はタレント、今でいうフリーアナウンサーとしての活動が中心となって、レギュラー出演の番組も5~6本持つようになりました。ただ、それだけでは生活できず、イベントや結婚披露宴の司会もやりました。披露宴は年間100組の幸せのお手伝いをした年もありました。その関係で40代からはウェディングプロデュースの仕事も始めたんです。私の場合、それぞれの年代で自分のやりたいことを決めて、とことん取り組むことがモットーになっています。
「新朗読」を始めることになったきっかけは?
40代の終わりに、さて50代は何をしようかとずっと考えていました。その頃ちょうど本離れや活字離れが騒がれていて、あるとき民放キー局のアナウンサーが本を朗読する様子をテレビで観たんです。これだ!と思いましたね。そうだ朗読をしよう、と。これまでの役者としての経験、そしてフリーアナウンサーとしての経験を活かせば、朗読で本の魅力を分かりやすく人に伝えることができるのではないかと考えたんです。
実は私は幼い頃から本が大好きで、子役の仕事で多忙を極めていたときも読書は欠かしませんでした。当時取材を受けたときの記事に、『伝記を読むのが好き。野口英世の伝記が一番好き』と書かれたくらい(笑)。さっそく個人事務所のスタッフにも朗読の発表をやると宣言して、4ヵ月後の日程で富士市ロゼシアターの小ホールを予約しました。
そして自分たちの公演の参考にしようといろいろな朗読会に出かけていったんですが、これがつまらなかったんです。どの朗読を聞いても退屈で寝てしまうんです。なぜだろうと思いながら朗読している人を見てふと気が付いたのは、誰も観客の方を見ていない、見ているのは手元の本だけ、ということでした。読み聞かせというけれど、実際は読んでいるだけで、聞かせていないんです。僕は『聞いてもらえる朗読』をやろうと決めて、本の内容を全て暗記することにしました。そうしたら本を読む必要がないので会場を真っ暗にもできる、両手も自由になる。そこに音や映像を合わせて、よりドラマチックな新しい朗読『新朗読』が出来上がりました。初演は2007年4月2日でした。
新しい文化を
「富士」から発信したい
富士市では必ず毎年公演されているのですね。
両親も祖父母も富士市生まれではないものの、両親は二人とも富士高校の出身ですし、祖父はかつて富士市で商売をしていて、お墓もここにあります。私自身も富士市民大学の講師に呼んでいただくなど、さまざまなお仕事をもらって今でも週に3日ほど富士市に来ています。だからこの地には不思議な何かに呼ばれているという気持ちですし、とても愛着があって、恩返しをしたいという思いが常々あります。
それで、新朗読スタートの場所も富士市にこだわりました。このまちから新しい文化を発信したかったんです。富士市交流プラザでの公演は毎年9月の開催で、今年が8年目です。これからもこの縁を大切にしたいと思っています。その他にも、静岡県内の小中学校や児童福祉施設を訪問して公演をしたり、3年前からは名古屋市の熱田神宮の主催で県外の各地で開催する公演に参加して『古事記』を朗読したりと、さまざまな場所で活動しています。
「新朗読」を通して伝えたいことは何ですか?
日本の文学作品や日本語そのものの面白さを感じてもらえたら良いなと思っています。新朗読はよく“演じている”と誤解されるのですが、演じるというよりはむしろ、作品が持っている言葉の力を“そのまま伝える”ことを大切にしています。作者がその言葉をどういう思いで使ったのかを真剣に考えながら、その世界観を忠実に表現しようとしているんです。例えば『走れメロス』の中の一節、『メロスは激怒した』は、なぜ『怒った』ではなく『激怒した』なんだろう、とか。どのくらい怒れば『激怒』となるのだろう、とか。それらを考え、表現する。そういう文学作品や日本語の奥深さを、観ているお客さんたちにも感じ取ってほしいんです。
私も新朗読のために何百回と同じ作品を読み込むのですが、何度読んでも新たな発見がありますね。100冊の本を1回ずつ読むことも大切ですが、たった1冊の本を100回読むことで得られる気付きもまたかけがえのないものだと確信しています。読めば読むほど、文学は面白い。その面白さを、新朗読を通じて多くの方に知っていただきたいです。新朗読はあくまでも文学作品に興味を持つためのきっかけづくりですから、これを観た人たちに『へー、面白そう。読んでみよう』って思ってもらい、書店や図書館に行ってもらうことが本当の目的です。
以前、宮沢賢治の新朗読をやった小学校で、翌日に校内の図書室から宮沢賢治の本が全て貸し出されてなくなったという話を聞いたときは、ああ、やって良かったなと思いましたね。文学作品の集大成ではなく、入口となる存在でありたい、そういう新朗読を続けていきたいという思いはこれからも変わりません。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text/Kaori Nakamura
Photography/Kohei Handa
【撮影協力】ラ・ホール富士
杉山 直
新朗読家/フリーアナウンサー
1957(昭和32)年5月28日生まれ(60歳)
静岡市葵区出身・在住
(取材当時)
すぎやま・ちょく / 早稲田大学高等学院卒、早稲田大学第一文学部中退。5歳のときに父親の転勤のため東京に移り住んだのち、劇団文化座の全国公演『土』で子役デビュー。その後も、森繁久彌主演のNHKドラマ『太陽の丘』、青島幸男主演の日本テレビ『意地悪ばあさん』などに相次いで出演し、一躍人気子役となる。22歳で故郷・静岡へと拠点を移してからは、フリーアナウンサーとして地元のテレビ・ラジオの番組などに出演する傍ら、イベントや婚礼の司会者としても活躍。現在は、50歳のときに始めた朗読エンターテインメント『新朗読』の公演を県内外の各地で開催し、映像・音声を用いた新たな表現で文学作品や日本語の魅力を発信し続けている。また、静岡県内ではサッカーJ1ジュビロ磐田のホームゲームのスタジアムDJとしても広く知られている。
「新朗読」×「杉山直」公式ウェブサイト
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