近くて遠い!? 沼津アルプス紀行 その2

お出かけレポート

ピーヒョロロ、ピーヒョロロ、ピーヒョロロ~♪
空高く、トンビが大きな羽を広げながら私を呼んでいる。「さぁ、そろそろ登っておいでよ。前回の足跡が残っているうちに」と。彼(彼女)らの誘いを受け、意を決して小鷲頭山~鷲頭山~大平山の登山に挑んだ。

前回の登山で下山してきた志下山登山口から入山。まずは『ぼたもち岩』を目指して歩き始めたのだが……あれれ?こんなにキツかったっけ??登り始めてすぐに息が上がった。一番の難関は鷲頭山のはずなのに、ここ(志下山)でこんなにバテていたらこの先どうなることやら……そんなことを考えながら、とりあえず『静浦海浜院』の医師、安藤正胤の頌徳碑で合掌。休憩を入れ、約50分を要し(そんなにかかるか?!)ぼたもち岩に到着。小鷲頭山~鷲頭山へ、いざ!

やっとの思いで、ぼたもち岩がある分岐点に到着

ぼたもち岩の分岐から10分弱で『中将さん』と呼ばれている洞窟跡に到着した。ここは本三位中将である平重衡(清盛の五男)が隠れ住んでいた場所だ。なぜこんな山奥に……?平重衡は1184年の一ノ谷の合戦に敗れたのち源氏に生け捕られたものの、頼朝の命により伊豆狩野の里に軟禁されていた。しかし民衆から過去の非道な行いを恐れられ、処断のため引き渡しされることになった旨を知った重衡は、出奔しここ鷲頭山の洞窟に隠れ住んでいたそうだ。その後発見され自害に至るのだが、その霊を慰めるため阿弥陀如来の石像を掘ってこの洞窟に納め、大平の村人により祀られてきたのが『中将さん』だ。洞窟跡から細く険しい道を木の根につかまりながら登っていくと小鷲頭山に到着し、そこからすぐに重衡切腹の場所を見ることができた。当時の様子は知る由もないが、どんな思いでこの山中で暮らし死んでいったのか……さぞかし無念だったであろうと想像すると胸が締め付けられるような思いになった。この話には続きがあるのだが、大平の登山口を散策した後日に知ることとなる。

平重衡が隠れ住んでいた洞窟跡には石像が祀られている

岩や木の根が剥き出しで、ロープや木の枝づたいに登っていく

 

小鷲頭山から20分ほど歩くと、大きな木々が背の低い笹に姿を変え私達を迎えてくれた。「もう山頂だ。この笹が目印なんだ」と、この日も同行してくれたバディ(相棒)がそう言い、沼津アルプス最高峰392mの鷲頭山に到着した。そして山頂でおにぎりを食べながらふと思い出した。前回の登山で鷲頭山が一番きついと言われたことを。確かに、道は狭いし木の根が張り出して歩きにくいし、股関節が悲鳴をあげるほどの急登だったが……おにぎりを口に頬張る私は意外に元気だった。背後に見える鷲頭山をときどき確認しながら1時間ほど歩くと沼津アルプス最後の山、大平山だ。ここから先は奥沼津アルプスになる。先に進む登山者もいたが、私達は歩いてきた道を戻り、下山することにした。当初は大平側に出られるいずれかのルートを下るつもりでいたが、私の登山靴が限界に達していたため、道が整備されている多比口峠を下り、国道414号線を走る路線バスで帰路についた。

道の脇に笹が現れると鷲頭山山頂はすぐそこ

大平山に向かう途中、振り返ると見える鷲頭山

大平山から先は奥沼津アルプス

 

後日、大平側の登山口を確認するために沼津アルプストンネルを歩いて大平に向かった。約1200メートルあるトンネルは広く、エアコンが効いた部屋のように涼しかった。大平の出口が見えているせいか最初はその長さを感じなかったが、トンネルを歩いて10分を過ぎると、若かりし日にスキー場へと向かった、走っても走ってもなかなか抜け出せない関越トンネルを思い出した。

2023年3月に開通した沼津アルプストンネルは、快適に歩くことができる

大平には、大井登山口、御前帰(ごぜがえり)登山口、戸ケ谷登山口、多比口登山口、山口登山口、吉田登山口といったとても多くの道がある。そのほとんどの近くには神社やお寺があり、何か関係しているのかしら?と勝手に想像してみたりする。その中でも特に気になっていたのが、すぐ近くに『中将姫自然公園』がある御前帰登山口だ。『中将』と名がつくには何か関係があるのだろうと思っていたが、そこには想像以上の悲しい物語が記されていた。

御前帰登山口近くにひっそりと佇む中将姫自然公園

平重衡が追手から逃れ鷲頭山の地で無事であることを知った奥方(御前)と姫が、喜び会いに向かうため山中に入ろうとしたとき、重衡の自害を知る。悲しみのあまり奥方はここで引き返してしまった。それがこの登山口の名前の由来、御前帰だ。姫は山に登り重衡の遺骸と対面し、たいそう悲しんだそうな……。いつもの反対側、大平から山々を見てみると、その形は見慣れたものと違っていた。横長に見えていた沼津アルプスは前後に奥行きを持たせ、徳倉山(象山)は象の面影もない。「何事も側面で判断してはいけないよ。」山たちにそう教えられている気がした。そしてもう一つ教えられたこと。それは、まだまだ頑張れるぞということだ。実はここ数年の体力の低下を痛感していた。途中でギブアップするかも……そういう不安もあったが、なんとか歩き抜くことができた。この2回の登山で少し自信を取り戻せたことが、一番の収穫だったかも知れない。

最後に……初の沼津アルプス踏破に付き合ってくれたバディに感謝を伝えて、レポートを終了する。ひとりでも多くの方が地元の山の素晴らしさに興味を抱いてくれることを願って……。

 

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