季節の機微を仕舞で継承
甫の一歩 第17回
この原稿を書いているのは9月下旬で、暦の上では秋となりましたが、まだまだ暑い日が続いています。以前の私は10月に近くなると早めに衣替えをして、長袖にジャケットを着ていた記憶がありますが、今年はまだ半袖一枚で過ごしています。
能楽の演目は180曲ほどあり、それらのほとんどに季節が設定されています。春と秋の演目が大多数を占め、ついで冬の曲。夏の演目はわずかしかありません。ですがこのような気候が続くとすると、いつの日にか「昔々、日本には春と秋という季節がありました」などと子どもに説明する時代が来るのかもしれないと、半ば冗談ではありますが真面目にふと思うときがあります。
能の世界は遠い昔の時代を題材としていますから、使われる言葉は古語であり、その言葉を意味のある日本語として耳で聞き、理解することは困難です。それでも、春に花が咲く、秋に花が散る、といった季節性は、能ができたときもいまも通じるところがあります。しかしそれも遠くない未来に失われ、春と秋を題材した演目はもはや失われた季節を思い返すための、あるいはそれらの季節を知らない人たちに感じてもらうためのものとなるのかもしれません。
学生の夏休み期間である8月は、昨年同様に『夏休み親子仕舞教室』を富士宮市の臥牛敷舞台にて行ないました。6回のお稽古と本番、あわせて7日間の日程です。今年の参加者は子ども11名、大人3名でした。残念ながら昨年よりも参加者が減ってしまいました。原因としては、発表会がお盆の時期に重なったことと、今年はコロナが落ち着き、もしかしたら夏休みは旅行へ行く人が多くなったからかと推測しています。この教室は毎年開催するつもりですので、来年は時期を検討してより多くの子どもたちに参加してもらえるよう工夫したいと思います。
私の仕舞教室におけるこだわりは、全員が違う演目を行なうことです。そもそも仕舞とは、ある曲の見どころとなる場面を取り出し、能面能装束を用いずに紋付袴姿で舞う略式形式の一つですが、やはり短期間で覚えやすい比較的簡単な仕舞というのは曲数も限られており、夏休み仕舞教室などで教える場合は曲の重複が有り得ます。ですがそれをなんとか回避したく、必ず一人一人違う演目になるようしています。同じ演目を舞う人同士が、あるいは発表会でそれを見る参加者が、仕舞を比較して見ることがないようにというのが私の思いです。稽古はつねに師匠と弟子の一対一、真剣勝負です。これを子どもたちにも感じてほしいのです。お稽古場にいるときは楽しく賑やかな子どもたちも、師匠とのお稽古が始まるときにご挨拶をすれば、その時間は真剣になる。そういった切り替えを自然とできるようになるのが、仕舞教室の目標の一つです。
コロナで公演ができなかった日々の記憶は、もはや遠い昔のことのようです。今年の7月から8月にかけては地方遠征が多く、ほとんど移動の毎日でした。公演に来場されるお客様も、マスク姿の方は随分と少なくなったように感じます。日常を当たり前に過ごすことがどんなに幸福であるか。客席への規制がなく公演を行なえることがどんなに嬉しいか。能楽師として、いや舞台人の能役者として、お客様ありきで生活する我々は、それを痛感しました。この経験を胸に刻み、一つ一つの舞台を大切に今後も能楽の普及を続けていこうと、改めて感じる日々です。
田崎 甫
宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」
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