能楽師は操り人形
甫の一歩 第9回
こまめに手を洗い、うがいをする。よく食べよく寝て、免疫力を高める。いつも気にかけ実践しなければならないのに疎かになっていることに、とりわけ注意を払いながら日々を送っていると、ふと気がつけば春の花たちは咲いていたのでした。
新型コロナウイルスの影響で、演能会や春祭りでの舞台、さらにはお弟子さんの発表会など、催しのほとんどが延期や中止を余儀なくされたため、突然の長い春休みができてしまいました。
そんな中でも、珍しく良いこともありました。子どもたち(姪っ子)と遊べたことです。月2回の富士宮でのお弟子稽古の後は、いつもはすぐに東京へ戻るのですが、今回は翌日の予定が急になくなりましたので、富士市の実家にそのまま泊まり、翌日夜の新幹線に乗るまでの間、3人の姪たちと過ごしました。
週末は公演、平日は稽古、その他の平日はお弟子稽古や大学勤務と、なかなか休みがとれず家族の集まりには何年も顔を出せなかったので、私にとっては貴重な機会です。こんな時期なので外出は控えることになりますが、家に居続けるのは運動不足になりますし、お菓子を食べてばかりでちゃんとお腹が空きませんので、夕飯前に姪たちとランニングをしました。中央公園より潤井川沿いのランニングコースです。小一時間ですが、久々に走ると気持ちが良いものです。
小学6年生と4年生の二人は足が速く、追いつけません。能の稽古ではすり足をしたときにぶれずに動くための、有酸素運動をする「遅筋」は鍛えられても、瞬発力を発揮する無酸素運動のための「速筋」は鍛えられないのか、走るための筋肉は衰えているようです。結局、2年生の末っ子の姪と二人で後からゆっくり追いかけました。
その翌日は、見事に筋肉痛になりました。筋肉痛の状態で正座をすると、それはもう本当に痛くて、演能時間が90分を超える舞台だと涙が出そうになるのですが、しばらくは舞台もないのでその点は安心です。
そんな筋肉痛の身体で、ふと自分の稽古をすると、思うように動けません。思うように動けないとはどういう状態か。当たり前ですが、単に筋肉痛で動きがぎこちないだけではありません。
そもそも能の型(動き)に必要な能力は、身体運用の技術力です。そしてこの技術力こそが、能ならではの独特な部分だと感じます。スポーツや舞踊など、パフォーマンスや演技として身体を動かすことで観る人の心を魅了するのではなく、能は三間四方の能舞台において定められた最適な動きを、瞬間の空気から身体が感知して、動きます。いわば身体は動くのではなく動かさせられる、受容体となるわけです。
しかるべき型をしかるべき謡にあわせて舞うことに変わりはありませんが、動きを魅せることなく、必然として動かなくてはならない状態が、型となります。簡単に言えば、舞手は操り人形なのです。しかしそれは、糸で操られるのではなく、囃子や謡によって作り出された能空間を支配する圧力によって、操られるのです。
つまり能とは、「何をするのか」ではなく「何をするためにいるのか」を問うのです。また、その問いに答えるために稽古を積むのです。そして観る人は、それらの繊細な空気感を味わい、思いを馳せ、癒やしを得る。これが能の楽しみ方なのではないでしょうか。
さまざまな困難を乗り越えなくてはならない私たちには、だからこそ、今こそ能が必要だと、強く感じています。
田崎 甫
宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」
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