Vol. 158|染色作家 市場 勇太
移ろう染色体
科学者は理性的で論理的、芸術家は直観的で感情的というイメージが一般的にはあるかもしれないが、この対極的な二つの分野をまたにかける人ももちろんいる。遺伝子の研究を手掛けたことがありながら、型染めで創作活動をしている市場勇太さんも、その一人だ。
宇宙や生命の「なぜ?」を探求し、自分なりの答えを出そうと、移ろいゆく現象の理解に努める。形のない、でも本質的な何か。かつては研究者として、そして今は染色作家として、市場さんは自分の感じた世界を記録に残していく。「やっていることは同じなんですよ」と穏やかに語る市場さんには、科学と芸術の共通項が見えているのだろう。
市場さんの作品には横断歩道やトタンなど、染物の題材としては珍しい人工物をモチーフにしたものが多いですね。
一般的には染物のモチーフは草花が多いですが、僕は時間の経過とともに形が変わっていくものに興味を惹かれるので、自然物かどうかは意識せずに、自分にとって身近なものを染めで表現しています。僕がやっているのは、デザインを彫った型紙を生地の上に置いて全体に糊を置き、型紙を置いた部分の糊のついていないところが染料で染まる『型染め』という技法です。
子どものころから絵を描いたり粘土をこねたりするのが好きでしたし、ピアノを習っていたので音楽も好きでした。SF大好き少年だったので宇宙にも興味があったんです。大学進学の際は美大へ進むことも考えましたが、生命や宇宙の勉強がしたかったので、科学の道を選びました。理系の大学に通いながら、美術館や画材屋さんにもよく行きましたし、オーケストラにも入っていたんですよ。美術や音楽は、自分を刺激してくれる表現手段なのでしょうね。今はカメラが趣味になっていて、作品づくりにも大いに役立っています。風景は時間の経過とともに変化していくものですから、カメラを持ち歩いていると、ついいろいろと撮ってしまうんです。
僕の作品は一見すると写真のようだといわれることが多いのですが、制作過程の中で実際の物、例えばトタンのさびの部分のパターンを組み入れたりしているからかもしれません。それを忠実に再現できるように型紙に彫ります。思い描いたものというよりも、事象のあるがままの変遷を表現していきたいんです。その点は科学の世界にいたころの感覚の影響かもしれませんね。
以前は遺伝子の研究をされていたそうですね。
研究室でDNAを蛍光色素で染めて、光学顕微鏡でその構造変化を観察していました。また別の仕事ではDNAの暗号のような配列を解析して、規則性を見つけていくのですが、科学というのは一個人の研究で答えが出るものではないんです。特に僕が求めていた『生命とは何か』という本質的な疑問に対する答えは、少なくとも僕が生きている間には出ないと、研究しているうちに気付いてしまいました。
科学は先達の研究を受け継ぎ、現在の取り組みが次世代へと繋がり、少しずつ解明されていくものです。自分がやっていることに意味がないわけではないのですが、自分なりの解釈で答えを出そうとしたら、僕の場合はものづくりになり、それが今は染めという形で落ち着いているんです。
お母様の市場良子さんも染色作家として活躍されていますが、やはりお母様の影響もあるのでしょうか?
母は僕が生まれる前から染めをしていたようですが、僕が中高生のころ、美大でデザインの勉強をして、本格的に染めを手掛けるようになりました。当時から作業工程を見ていて、手伝うこともありましたから、僕にとっては身近で、何かを形にしようと思うと染めの工程が頭に浮かぶんです。遺伝子の研究をしていたときから表現手段として染めを始め、公募展に作品を出しました。染めは絵を描くよりも楽でした。研究論文を書くのは苦手でしたけどね(笑)。
研究の仕事を続けながら創作活動もしていたのですが、睡眠時間を削ったこともあり、体調を崩してしまったんです。ちょうどそのころは研究機関を取り巻く国の方針が変わって、予算や研究対象に制約が加わり、職場の環境も大きく変化した時期で、また母のつてで京都の染めの先生のところに弟子入りできる環境も整いました。タイミングでしょうね。
周りの人たちには科学から美術へ180度の方向転換のように見えたようですが、僕の中では自分の興味に変わりはなかったんです。それまでも、自分が知りたいからDNAの研究をしていたわけで、知りたいことや考えていることを表現するのが、論文の形ではなく、染めという別のものに置き換わっただけなんです。研究仲間の中には楽器ができたりアウトドア派だったりと、研究とは別の分野で長けている人もいるので、特別なことではないんですよ。
本質的な
「何か」を求めて
科学から美術の世界に移って、特に感じたことは?
僕の中では同じことをしているのですが、論文もしくは作品として出したものに対する評価のあり方がまったく違うことに驚きました。僕の定義する科学は一つの事柄を、文化や宗教、性別などを超えて、誰が見ても共通の理解を得られるようにするもので、それは一世代では成し得ず、受け継いでいくものです。でも美術の世界では、作品に対する意見や感想が観る人によって異なりますし、作品も一個人で完結です。美術は時代や世相、文化などの社会的要素を多分に含むので、同じ作品に対する評価に幅が出るんでしょうね。
そういう意味では、科学の方が自由だったように思います。なかなか見つからない答えを求めて、どんな考え方でも研究方法でもいいんです。ただし科学の世界では、自分の表現するものが論文という形なので、科学者や興味のある人の目にしか触れません。僕が表現したいのは『非線形現象』といって、時間の経過とともに複雑に変化していく様子です。
例えば、舗装道路のアスファルトが時間経過とともに脆くなっていく様子や、鉄がさびていく変化です。身近にあるものをモチーフとして染めで表現することで、たくさんの人に観ていただきたいです。作品展示の際はあまり科学っぽい演出はしていないので、観る人に時間の経過や奥行きなどを感じてもらえたら、僕の見ている自然現象の世界も伝わっているのかなと思います。
DNAの研究をしていたときも、染めをやっている今も、何かの途中のような気がしているんですよ。動機は単純に『知りたい』だけなんです。なぜ自分が今ここにいて、どこに行くのか、どうして宇宙や生命が生まれ、どう変わっていくのか……本当に漠然としたものばかりですが、知りたいし、探究を続けていきたいですね。いろいろなことを書き留めてまとめるのが勉強だとすれば、僕にとってはこの染めという工芸も、観察した世界のさまを記録していく手段です。
市場さんの作品の中には宇宙へ行った手ぬぐいがあるそうですね。
大学院の研究室の仲間が宇宙関連の仕事をしているんですが、2009年に宇宙飛行士の若田光一さんが国際宇宙ステーションに行くときに、私物として何か日本らしいものを持っていきたいと相談があったそうで、僕に話をいただきました。
打ち上げの1年ほど前から打ち合わせを重ねて、日本らしくてかさばらない手ぬぐいがいいだろうということになったんです。デザインは伝統的な桜に決まり、夜桜をイメージしたものになりました。宇宙に持っていくためには素材や材料など、いろいろと制約もありました。1年かけて仕上げたその手ぬぐいを、若田さんが宇宙ステーションで広げ、無重力の空間に浮かせて写真を撮ってくださいました。
さらに若田さんのご厚意で、その手ぬぐいが僕の手元に戻ってきているんです。僕は宇宙やSFが大好きで、究極の夢は宇宙に行くことなので、手ぬぐいに先を越されたのは残念ではありますが(笑)。このような依頼をいただけたことを本当に嬉しく思っていますし、科学をやっていたからこそ、こんな貴重な経験ができました。若田さんが発行してくださった手ぬぐいのフライト証明は、個展などでお見せしているんですよ。
個展といえば、お母様との親子展も開催していますね。
活動拠点の『市場染色工房』は、もともとは母が立ち上げたものです。一つの工房で二人の作家が活動しているわけですが、師弟関係にあるわけでもなく、仕事に関してはお互いに干渉はしません。子どものころから母を見てきましたし、一緒に仕事をしているので、染めに対する考え方や姿勢では影響を受けていると思いますが、受け継ぐという感じではないんですよ。似た作品は作れるかもしれませんが、やはり母の作品は母にしかできないものです。
染めの工程は肉体的にとてもきつい仕事です。一個人として、自分よりも年配の人が大きな作品を仕上げているのを見ると、表現者としての情熱を感じますし、尊敬しています。僕の作品は僕個人のものとして観てほしいとも思いますが、親子の作品を並べて観たいという声もあり、工房として展示会を開催するときは二人の作品を並べています。
継ぐというよりも、身近にある伝統的な技法をやめてしまうのはもったいないという気持ちが強いですね。世界中に染めはありますが、日本の型染めのように和紙の型紙を彫り、餅粉の糊を使って染めていくようなものはとても貴重です。だからこそ、この伝統的な技法を続けていくことに価値があると思っています。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Cover Photo&Layout/Kohei Handa
Text/Kazumi Kawashima
市場 勇太
染色作家
1971(昭和46)年5月6日生まれ (48歳)
富士宮市出身・在住
(取材当時)
いちば・ゆうた / 母は染色作家の市場良子氏。富士根南中、富士高校理数科卒業後、東京理科大学理工学部応用生物科学科、名古屋大学大学院人間情報学研究科を経て、国立遺伝学研究所の進化遺伝研究部門研究員として2004年まで勤務。働きながら型染めを始め、公募展に応募した作品が入選し、本格的に染色作家を目指す。京都で染めを学んだ後、2005年より母・良子氏とともに『市場染色工房』を拠点に創作活動へ。日展(入選15回)、京都美術・工芸ビエンナーレ(朝日新聞社賞)など、数々の賞を受賞。2009年には夜桜をデザインし染めた手ぬぐいが宇宙飛行士の若田光一氏とともに4ヵ月間宇宙に滞在した。これまでに御殿場高原時之栖、富士ロゼシアター、RYUギャラリー、松坂屋静岡店などで個展を開催している。
市場染色工房
所在地:富士宮市青木
TEL:0544-58-8050
メール:ichiba@y-ich.com
【Facebook】
https://www.facebook.com/yutaichiba
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
富士ロゼシアターの回廊のミニ個展スペースで、その不思議な作品群を見つけました。染物とは思えない、まるで抽象画のようなダイナミックな構図と、見ているだけで手触りの感触が伝わってきそうなリアルなテキスチャー(素材)感。でもいちばん驚いたのは、ある作品の細部を20秒間見つめた後に一歩後ろに下がって眺めたときです。そこに描かれているのが風化しゆく横断歩道だとはじめて気づきました。引きたてのまっ白なペイントではなく、寂れた片田舎の剥げかかった横断歩道。人工物が次第に自然現象と一体化していくような無常感を感じました。それが今回の市場さんの取材のきっかけです。
その衝撃は、ちょっと昔に脳科学者の茂木健一郎さんがTVで紹介して流行った「アハ体験」というのに似ています。本質にハッと気づいた瞬間に脳が感じる、ひらめきの快感です。市場さんの作品は見る人の心を2段階で掴むのです。1段階目は美的感性を、そして2段階目はひらめき中枢を。研究者としてのバックグラウンドのお話を聞いて、その理由が腑に落ちました。
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