Vol. 193|富士宮市立郷土資料館館長 渡井一信
郷土遺産と親しもう
世界文化遺産・富士山を擁し、浅間大社の門前町として栄えてきた、富士宮市。自然と調和したこのまちに漂う文化の薫りは、我々にとってかけがえのない財産だ。「文化」とはどこか曖昧な概念であり、日々の生活に必ずしも直結するものではないかもしれない。しかし、だからこそ先人たちがつないできた有形無形の営みを見つめ、その価値を次世代に受け継いでいこうとする意志が必要だ。
渡井一信(わたいかずのぶ)さんは富士宮市の職員として、四十数年にわたって文化行政に尽力してきた。NHKで放送された『ブラタモリ~富士山~』では案内人を務めたことで、見覚えがある人もいるだろう。歴史を紹介する語り部として、俳句を寸評する先生として、多分野で活躍する渡井さんが語る地域文化の話題は、どれも魅力的で興味深いものばかり。そして特に印象的だったのは、「趣味から生まれる文化も大切」という発言。一般市民を対象とした講演や指導にも積極的な渡井さんらしい、親しみに溢れた言葉だった。
渡井さんが関わっている富士宮市の文化施設について教えてください。
私が館長を務める郷土資料館は富士宮市民文化会館内にある施設で、富士宮の歴史や富士山信仰に関する資料などを展示しているほか、テーマを絞った企画展も随時開催しています。常駐スタッフはいないのですが、市街地にあるため気軽に立ち寄りやすいという利点があります。
また、ふだん私が勤務しているのが旧芝川町にある埋蔵文化財センターで、文化財の発掘調査・整理・保管・公開までを目的とした施設です。展示室では縄文時代から近世までの土器の変遷や主要な遺跡の発掘調査の成果を紹介していて、開館中は自由に見学することができます。作業室は一般に公開していませんが、発掘調査で出土した遺物の整理作業を行なっています。
私は現在、会計年度任用職員として郷土資料の保管や展示物の解説、歴史的遺物の調査に取り組んでいます。最近では、市内各地にある石造文化財の調査がおもな仕事です。石に彫られた道祖神や馬頭観音、記念碑などを写真に撮って、大きさを実測して、刻文をできる限り読み取って記録に残していきます。これまでに2,500件ほど調査してきましたが、まだまだ先の長い地道な作業ですね。
渡井さんが発案されたという『歩く博物館』とはどのような事業ですか?
残念なことに、富士宮市には公立の博物館がないんです。ここ数年でようやく郷土史博物館建設に関する話題が出てきたところで、今も議論を重ねている最中です。近隣の富士市や沼津市では1970年代に立派な市立博物館がオープンする中、富士宮市は逆に、当時あった資料館の規模が縮小されました。その後も博物館設置の機運はなかなか高まらず、文化行政に携わる者としては悔しさがありましたね。
そこで思い立ったのが、『歩く博物館』事業でした。博物館がないならそれを逆手にとって、箱物じゃなく素材で勝負しようと。市内に点在する個々の史跡や天然記念物、名勝、有形文化財など、目に見えて残っているものに富士宮の歴史が詰まっていて、その場所を実際に訪れることには大きな価値があるはず。その魅力をしっかりと発信していこうと考えました。各地域の特色を活かした全24コースを歩くことで、文化財を見て、触れて、感じる体験ができます。
この事業は1996年に始めたのですが、当初から全国の自治体から視察が相次ぎました。ウォーキングブームなど健康志向の高まりもあって、その後もガイドブックや無料のパンフレットは増刷されています。博物館を持たない自治体の職員による精一杯の抵抗という思いも込めた取り組みでしたが、結果的には個々の文化財の輝きを発信することができました。そしてのちに訪れる富士山の世界遺産登録に際して、静岡県内に8件ある構成資産のうち5件が富士宮市から選ばれるという結果にもつながったと考えています。
富士山の世界文化遺産登録でも、最前線でご活躍されたそうですね。
世界遺産登録に関する取り組みは、行政としても画期的なことでした。静岡・山梨両県を跨いだ事業で、ある意味ライバル関係にある自治体が手を携えて、全国的な注目が集まる一つの目標に向かっていくわけですから。
会議が毎月のようにあって、私は富士宮市の担当課長として出席していました。観光開発に対する考え方の違いや権利の問題など、当然さまざまな思惑がある中で、文化庁や両県の幅広い分野の関係者が参加する議論の場をまとめていくのは簡単なことではありませんでした。
それと並行して、構成資産への登録を目指す施設の近隣住民の皆さんとも、何度も話し合いの機会を持ちました。不安や要望に耳を傾けながら、ご理解ご協力をお願いするのですが、難しい局面を多くの方に支えていただきました。地方の自治体職員がこれだけ大きな事業に関わる機会は滅多にないと思いますが、振り返ってみてもほんとうに貴重な経験でしたね。
6年半の担当期間を経て、奇しくも私が定年退職を迎える2013年に富士山は世界文化遺産に登録されました。やはりそこには何かの因縁を感じますし、一つの仕事をやり遂げたという清らかな気持ちで定年を迎えることができました。
ちなみに、富士山の正式な登録名は『富士山―信仰の対象と芸術の源泉』なのですが、その中のハイフンを「一」と見なすと、私の名前「一信」がしっかりと刻まれているんですよ(笑)。
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