コロナの片隅で(2) 学友会教育研究所 堀川文夫さんに訊く
「頭を使い、試行錯誤することで“想定外”を乗り越える」
パンデミックが始まってから、世の中はまさに想定外の事態に直面している。
2011年の東日本大震災後、福島第一原発の事故により福島県浪江町から富士市に避難し、現在はここに定住し学習塾を経営する堀川文夫さん。再びやってきた大きな激動に我々はどう対応したらよいのか伺った。
学友会教育研究所 所長・堀川文夫さん
コロナによる塾経営への影響と、その後の子どもたちの様子にはどのような変化がありましたか?
振り返ると、学校生活の思い出は行事ばかり……。勉強以外にも大切なことがありますね。
特に小学校高学年から中学生は、社会性を学ぶ時期。それは勉強ではなく、学校行事や部活動など人と人とが時にぶつかり合い協力し合って密接に関わることで身につくものです。知識の吸収に限ればオンラインで間に合うのですから。実施できない行事や部活動に代わる新しい何かを、教師や保護者が一緒になって早急に考えていく必要を感じています。
一方で、コロナによるプラスの効果もあります。塾の近所では、親子でキャッチボールをする様子などこれまで見たことがなかったのですが、コロナ以降、あちこちで親子の触れ合いを目にするようになりました。大型遊園地などレジャー施設は閉鎖され、そこに行けば自動的に楽しめるという場所がない。じゃあどうやって充実した時間を過ごすかを、それぞれの家族が考えるようになったんですね。これまで忙しすぎて見えていなかったわが子へ目を向けることで、何に興味・関心を持っているのか、改めて個性を発見するんです。
長年教え子たちを見ていて気づいたのは『親が子を見ていてさえあげれば大丈夫』ということ。過保護だろうと放任だろうと、子に目を向けていれば、一時的に道を逸れることがあっても、子どもは必ず落ち着きます。コロナ禍で意図せず増えた時間に、親が子に関心を寄せ、創意工夫して過ごすようになったのは、大きな収穫といえると思います。
堀川さんは東日本大震災と原発事故を当事者として経験されましたが、社会にとっての“想定外”だったという点ではコロナ禍も似ていますね。私たちにできることはあるのでしょうか。
大切なのは、自分の頭で考える、ということに尽きます。歴史から学び、想像力を駆使して生きていくことです。
例えば自然災害なら、身近な川が以前氾濫した範囲を知っておき、住む場所や逃げる判断の材料にする。また、日本が戦争に突き進んでしまった経緯を学んで思考を深め、過ちを繰り返さない選択をする。今回のようなまったく新しい事態も、わからないなりに記録し検証できれば、将来また何かが起きても、経験を活かせるはずです。
目の前の不安を早く消そうと焦ると、真偽不明の情報に踊らされたり、短絡的にコロナを持ち込んだ“犯人探し”に走ったりしてしまいます。時間をかけ、事態にじっくり対処する姿勢を子どもたちに示すのも、大人の役割だと思います。新しい生活様式で制約は多いですが、子どもたちには、スマホ、インターネットなどを味方につけ、若者ならではの柔軟性で、人と人との新しいつながり方、学び合い方を生み出してほしい。そこに明るい可能性を感じています。
(ライター/小林千絵)
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