JR富士駅南口にある「キリンの壁画」の謎を探る
生活の中で見慣れた街並み。いつも目にしていて、ことさら話題にするまでもないけれど、よく考えたら「あれは一体何だろう?」と疑問に感じるものはないだろうか。いや、あるに違いない。あると言ってくれないと話が始まらない。
そんな、ちょっと気になる街のランドマークを深掘り取材してみようというのがこの企画。今回はJR富士駅南口にある、2頭のキリンの絵が描かれたビルを取り上げたい。
本物よりも大きなキリンの絵は昭和の子どもたちの“聖地”だった
「キリンビル」と呼ぶと某有名飲料メーカーと間違えられそうなので、正式名称の「カドヤビル」と呼ぶ。交差点に面した4階建てで、JRのホームからも見えるため、周辺住民でなくてもこのキリンの絵が記憶に残っている人は少なくないだろう。
なぜ駅前の市街地に巨大なキリンがいるのか。しかもよく見ると、絵の部分は色鮮やかで細かなタイルが埋め込まれた、いわゆるモザイク画になっている。さらに不思議なのは、このカドヤビルの1階に入っている店は落ち着いた雰囲気の美容室。どう考えてもキリンとは結びつかない。富士市在住歴15年目のライターには何ひとつ予備知識がなかったが、意を決して美容室の扉を開き、美容師の女性に尋ねてみた。
「ここはもともと、『カドヤ』っていうおもちゃ屋だったんですよ。今はもう廃業したんですけど、壁のキリンの絵だけはその頃のまま残ってるんです」。話によると、10年ほど前から1階部分を借りて美容室を運営しているらしい。突然現れた不審な訪問者に対して、「オーナーを紹介しましょうか?」と親切な提案があり、後日このビルのオーナーである坪井一夫さんに直接話を伺うことができた。
坪井さんは現在70歳、富士市内の別の場所にお住まいだが、おもちゃ屋だった頃の話をとても気さくに語ってくださった。「あのビルは1976(昭和51)年、富士駅南口の区画整理に伴って、私の父が自宅兼店舗として建てたものです。おもちゃを買いに来る地域の子どもたちに喜んでもらいたいと、建築士の方とアイデアを出し合って描いてもらったのが、あの大きなキリンです」と経緯を教えてくれた。父の坪井光雄さんは15年前に亡くなり、同時期に店も閉めたそうだが、ものづくりが大好きで遊び心のあった光雄さんは、あえて手間も費用もかかるモザイク画にし、発色の良い北欧産の高価なタイルにこだわったという。そのおかげか、以来タイル部分は一度も塗り直すことなく、今でもきれいに残っている。とりわけキリンが鼻先に載せたボールの3色は、半世紀近く経過したとは思えない鮮やかさだ。
「父が脱サラして始めたおもちゃ屋を現在のビルに新装開店したのは、団塊ジュニア世代が小学生になる頃。私は当時大学を卒業して東京で就職した直後でしたが、月に一度は帰省して店の手伝いをしていました。特に年末年始はとんでもない忙しさで、家族親戚は総動員。朝から晩まで飛ぶように売れる商品の包装をして、私は父に命じられてレジから溢れ出た1万円札を2階の自宅に何度も運んだり(笑)。そうそう、オープン初日には景品付きで『キリンの高さ当てクイズ』をやって、お客さんとおおいに盛り上がったんです。ちなみに、正解はたしか10メートルでした。その後にファミコンが発売されて、大規模店舗でもおもちゃを扱うようになると、子どもたちの買い物も様変わりしていきましたね」と坪井さん。亡きご両親が一生懸命働いていた日々の思い出を語りながら、終始笑顔なのが印象的だった。
当時はまだショッピングモールもインターネット注文もなく、街のおもちゃ屋がその地域の子どもたちにとっていちばん行きたい「憧れの場所」だったのだ。坪井さんによると、今でも「キリンさん!キリンさん!」と、このビルの前を通るのを楽しみにしている保育園児がいるのだという。富士駅南口は最近再び整備され、より整然とした街並みになったが、昭和の風情とともに微笑む2頭のキリンは、今もここで子どもたちを待っている。ノスタルジックなランドマークとして、これからも生き続けてほしいと願う。
(ライター/飯田耕平)
カドヤビル
富士市横割本町15-1
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