Vol.216 |『80婆さんのパリ在住50年の思い出』著者 佐藤美知子

パリの日々、沼津の日々
若かった時代を懐かしんだり、未来に不安を抱いたりすることは、誰にでもあるだろう。それに囚われないカギは、いかに“今ここ”に意識を向けて生きるかだ。昨年出版された書籍『80婆さんのパリ在住50年の思い出』には、人生を充実させ、いくつになっても今をめいっぱい楽しむヒントが詰まっている。
今回はこの本の著者、佐藤美知子さんに話を伺った。1ドルが360円という時代に海外で暮らすことを決め、50年にわたり現地で仕事に邁進した並々ならぬバイタリティの持ち主だ。身にまとう空気は自由で軽やか。表紙用写真の撮影中にも、通行人に「かわいいワンちゃんですね、お名前は?」と気さくに声をかける様子に、82歳という年齢は記号に過ぎないと感じさせられた。
フランスであろうと日本であろうと、佐藤さんの前向きな姿勢は変わらない。まさに“今を生きる”を意味するラテン語の格言「カルペディエム」を体現する人生の先輩なのだ。
20代でフランス・パリへ渡り、50年間現地で暮らしていたそうですね。
私は福島県で生まれ、中学時代からパリへ行くまでは家族とともに沼津に住んでいました。ふるさとの沼津に帰ってきたのは2017年で、それまではパリで観光ガイドを経て日本食レストランを経営していました。今もそのレストランが入っていた建物自体は所有していますが、管理は現地にいる娘に任せ、経営権は人に譲ったので、私は沼津に根を下ろして残りの人生を楽しんでいるところです。
80歳を超えてこれまでの人生を振り返った時に、その半分以上を過ごしたパリでの思い出を本の形にまとめてみたいと思い、『80婆さんのパリ在住50年の思い出』を出版しました。本になるような特別な人生を歩んできた、という大げさなものでも、本をたくさん売りたいわけでもなく、冥土の土産になるものを一つ残したかったのです。パリでの出来事を思い出しながら、約2ヵ月で原稿を書き上げました。新聞社の出版部門へ持ち込み、担当者と校正を重ねて、昨年11月に書籍になりました。本を買われた見知らぬ人が私に興味を持ち、新聞社を通じて連絡をくださって、実際にお会いすることもあるんですよ。
本の中には印象的なエピソードがたくさん登場しますね。
パリのカフェで世界的画家のダリを紹介され、絵のモデルになってほしいと頼まれたこともありました。でもファーストネームの「サルバドール」とだけ聞かされて、まさか巨匠のダリだとは思わず、変な髭を生やした人だなぁと警戒して断ってしまったんです。美術の教科書にも顔写真は載っていませんでしたし。私の人生に後悔があるとしたら、ダリに描いてもらわなかったことね(笑)。唯一の東洋人の肖像画として全集に載ったかもしれないのに。
それと、15世紀のローマ教皇アレクサンデル6世の末裔と名乗る男性が私の店を訪れたこともありました。話はおおいに盛り上がって、彼の先祖の話は本当に史実通り。歴史上の人物が目の前の人につながって、実在することに感激しました。パリで東洋人がまだ珍しかった頃から現地にいたので、マイノリティであることが功を奏して、多くの出会いや経験に恵まれましたね。

1960年代後半・パリ在住時代の佐藤さん。スペイン出身の写真家フランシスコ・イダルゴ氏による撮影、ヴェルサイユ宮殿内にて。

同じく写真家フランシスコ・イダルゴ氏による撮影。ダリと出会ったカフェで撮影されたもので、現地月刊誌の表紙を飾った
1960年代、若い女性の海外渡航は一般的ではなかったと思います。
女性は結婚して家に入るのが当然の時代で、ましてや私の実家はお寺だったので、両親も私は寺に嫁ぐものと考えていました。でもそんな期待とは裏腹に、私は生まれつき好奇心が強くて、あれもこれもやってみたいと思うタイプ。結婚に縛られるなんてまっぴらごめんでした。英語を勉強しながら海外の情報に触れるたび、外国に行ってみたい気持ちが募るばかりだったのです。
当時はアメリカに比べてヨーロッパの情報は少なくて、特にパリは遥か遠くの、近づきがたい街でした。でも、わからないからこそ余計に興味をそそられて。フランス行きの船旅では、ベトナム、インド、南アフリカなどに寄港したことも忘れられない思い出です。各地の人、食、文化に触れて、時には人種差別を目の当たりにしたり、当時経済成長の途上にあった日本が世界でどんな立ち位置にいるのかを感じたり。1ヵ月半の長旅でも退屈する暇はありませんでした。
フランスでのお仕事について教えてください。
まずは語学学校で必死に勉強してフランス語を習得したあとで、観光ガイドの免許を取りました。1970年代、増え続ける観光客に対応するため、政府がガイドの免許制度を制定しました。それに伴って新設されたガイド養成所に2期生として通い、フランスの歴史や文化に関する知識を身につけました。卒業後、試験に合格して晴れてフランス政府公認の免許を手にしました。日本からの団体観光客のバスに同乗してパリの街並みや名所旧跡を解説するだけでなく、ツアー客の急病や盗難が起きた際の対応など、やることは山積みで、ほとんど休みがありませんでした。
また、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間などの名所はとても狭く、観光客がひしめき合い、各国語のガイド同士が声を張り上げて牽制し合ったりしていて、苦労もありましたね。10年ほど務めたのち、移動せず同じ場所で仕事ができる日本食レストランの経営を始めたのです。
複雑な人間模様が見られるレストランの経営は面白くて、仕事人間といえるほどのめり込んでいきました。腕のいい日本人シェフの本格的な日本料理のおかげもあって店は繁盛して、多国籍の従業員は10名を超えました。その8年後に開業した2店舗目は少し規模を小さくしたものの、深夜までの営業に一人娘の子育てなど、24時間対応のお手伝いさんがいても、自分のことはすべてあと回しになるほど忙しかったですね。
ところが1990年代にはフランスにも深刻な不景気が押し寄せて、シャンゼリゼ大通りから観光客が消えてしまった時期がありました。不況のあおりを受けて、経営者仲間の中には仕事を辞める人や命を絶ってしまった人もいたほどです。私も経営難にあえぐ中、レストランを手放す寸前までいったこともありましたが、従業員の協力もあってなんとか持ちこたえました。
長い月日を過ごしたパリを離れて帰国するのは、大きな決断だったのでは?
引退後はどこの国で暮らそうか迷っていた時に、姉と姪から「一度沼津に帰ってみたら?」と提案されて、身の回りの物だけ持って戻ってみたんです。姉のところにしばらく滞在するうち、徐々になじみの飲食店や友人ができて、所有している賃貸マンションを勧めてくれた人もいました。沼津は青春時代を過ごした愛着のある土地ですし、狩野川を散歩すれば気持ち良くて、家賃や物価もパリに比べて手頃なので、腰を落ち着けることに決めたんです。結局、必要な書類の整理で一度だけフランスへ行きましたが、それからは戻っていません。
日本の友人からは「旅費を出すからぜひ一緒にパリに行って」と頼まれますが、飛行機は宙に浮いている状態がどうも苦手で断っているんです。船旅ならいつでも付き合いますけどね(笑)。パリは世界有数の美しい街ですし、個人的にも思い出深い場所です。でも若い時から異国の地でがむしゃらに働いて、いいことも悪いことも経験して全力でやり切ったからこそ、土地そのものへの未練はありません。現地には今も血を分けた娘と孫が住んでいますし、レストランの建物もあります。私が生きた証はそれで充分です。つねに目の前のことに夢中で生きてきたから、過ぎたことにも先のことにも執着や不安がないのだと思います。極端かもしれませんが、死ぬことを怖いと思ったこともないんです。あちらの世界には両親も、パリで長く飼っていた愛猫もいて、行けば会えますから。

今は人生のご褒美の時間
今夢中になっていることはありますか?
沼津市内で開催されている『LEN(Language Exchange Numazu)国際交流会』という活動に、3年ほど前から参加しています。週に一度、外国語を勉強したい日本人と日本語を学びたい外国人がカフェに集まって、ボードゲームや会話を楽しむ会です。アメリカ、カナダ、ルーマニア、モロッコなど、国籍や年代もさまざま。そこで出会った気の合う人たちとロックやレゲエを聴きに行ったり、飲みに出かけたり、小旅行をするのが今一番の楽しみです。異なる国の人たちと話すことで、新しい考え方や価値観に触れて、好奇心が満たされます。若い時には難しかったけれど、今は興味を持てば誰に対しても躊躇なく話しかけるんですよ。帰国して間もない頃、カフェで見かけたフランス人男性に話しかけたのをきっかけに、彼の奥さんとも大の仲良しになって、今では「美知子は初め私の夫をナンパしたのよ」と笑い話になっています(笑)。
人生の時間を3等分したとして、最初の3分の1は自分のために生きる時間だと思います。まだ若くて自分や身近な友達、オシャレなどに関心を向ける時期。次の3分の1は、夫や子どものために費やす時間。そして最後の3分の1は、社会の誰かのために使う時間だと考えているんです。私の場合は、友達の家の、庭師さんも手が届かない場所の草取りなどもしています。ただ人の役に立てることが嬉しくてやっているだけなので、お金は受け取りません。年齢を重ねると、人が喜んでくれることで充実感や満足感が得られるんです。
海外経験があるからこそ気づく、日本の良さはどんなところですか?
最新の世界幸福度ランキングでは、日本が55位だと知ってとてもさびしく思いました。物質的に豊かで、政治も経済も安定している日本ほど安心して住める国はほかにありません。特に若い方々には、短期間でもいいので海外を訪れて、当たり前のように平和を享受できることの尊さを感じてほしいなと思います。世界を知ることで、この国に生まれた幸福を実感できるのではないでしょうか。
私は来世も、この国に女性として生まれ、また外国へ行ってみたいと思っています。それは、やりたいことを追求してきた生き方に満足しているから。沼津で過ごす今は、頑張ってきた自分へのご褒美の時間だと感じています。気力・体力が充実した若いままでいられるなら素晴らしいでしょう。でも70代には70代の、80代には80代なりの楽しみ方があります。今後は、不要なものは処分して身軽になりつつ、まだまだ私なりの人生を味わい尽くしたいです。
Title&Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text/Chie Kobayashi
Cover Photo/Kohei Handa

佐藤 美知子
『80婆さんのパリ在住50年の思い出』 著者
1943(昭和18)年6月25日生まれ (82歳)
福島県出身・沼津市在住
(取材当時)
さとう・みちこ / 福島県西白河郡滑津村(現・中島村)に生まれる。実家は仏教寺院。中学入学時に家族で沼津市に転居し、浮島中から沼津精華高校(現・沼津中央高校)に進学。卒業後に上京し、1年間英語を学ぶ。22歳の時に船旅で世界各都市に寄港しながら、初めてフランスを訪れる。1972年、3度目の渡仏時に現地の労働許可証を取得して10年間観光業に従事。1984年にパリのオペラ座近くに日本食レストラン『ÉDO』、1992年には2号店 『AYAMÉ』をオープン。2017年に帰国するまで約50年間をパリで暮らす。その経験を一冊の本にまとめ、2024年に『80婆さんのパリ在住50年の思い出』を出版。現在は沼津市で、持ち前の好奇心と行動力で多国籍の友人を作り、親交を深めながら日々を楽しんでいる。
80婆さんのパリ在住50年の思い出
佐藤 美知子 著 静岡新聞社 1,210円(税込)
1960年代に船で海外へ飛び出した著者。世界各国を見て回ったのち、美しい街並みに惹かれ居を構えたパリでの50年をつづったエッセイ。著名人との出会い、観光ガイドや日本食レストラン経営の仕事、子育てなどをめぐる多彩なエピソードをいきいきと描く。80歳を過ぎて振り返る、人生の冒険譚。
全国の書店・ネット書店で発売中。
詳しくはこちらから(@S 静岡新聞の本)

Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
荘子の説話『胡蝶の夢』では、蝶になって自由に飛び回る夢から覚めた荘子が「はたして自分が蝶になった夢を見ていたのか、あるいは自分の人生そのものが一匹の蝶が見ている夢なのか」という問いかけをします。人生の儚さのたとえとしてよく用いられる話ですが、私はむしろ後悔なき人生への憧れをそこに感じます。心のままに自由に生き生涯を全うできたなら、きっと最期も「ああ、楽しい夢だった」と朝を迎えるようなさわやかな気持ちで旅立てるんじゃないか、と。
佐藤さんは今の生活を「終活中」だと言いますが、お別れの日に備えた身辺整理なんていう悲壮感は全然なくて、沼津での新しい人生フェーズをしっかり楽しんでいます。パリにいた頃だって想像もつかないような苦労がいっぱいあっただろうけど、そんな気負いは少しも感じさせず、楽しそうにお話してくれます。
思うに「自由な心境でいられること」というのは人生の後半戦を豊かに過ごすためのカギではないでしょうか。執着心。過ぎ去ってしまったものや立ち去ってしまった場所への未練。他人への嫌悪感情。果たせなかった夢への後悔。そんなものに心囚われず、蝶のように自由で雲のように軽やかに生きられたなら。佐藤さんはサルバドール・ダリに描いてもらわなかったことだけは後悔されているようですけどね(笑)。
佐藤さんの自由さは、若い頃から後悔しない道を真剣に選んできたからこそ得られたのかもしれません。自分の殻というものは若いうちに破っておかないと、歳を取った頃には打ち破れないくらいに固まってしまうものなのかもしれません。それでもみんなで信じましょう。誰でも、いくつになっても、自由に生きるのにはまだ遅くないって。
佐藤さんの著書は50年分の人生のリアリティが詰まっている秀作エッセイで、私も引き込まれました。ぜひ読んでみてください。
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