Vol. 162|チョークアート作家 下條 画美
描きたい気持ちが絵心
社会情勢、健康状態、新たな出会いなど、人生にはさまざまな転機があり、意図していなかった影響を受けることがある。そのすべてをプラスにとらえることは難しいかもしれないが、流されるのではなく能動的に向き合うことで、未来は変わるもの。
偶然出会ったチョークアートに魅せられ、現在は作家・インストラクターとして活動する下條画美(しもじょう えみ)さんは、地域の枠を超えて活躍の場を広げ続けている。いつでも笑顔を絶やすことのない下條さんは、難聴を患った辛い経験を乗り越えてきた事実すら軽やかに語る。
あるがままの自分を受け入れ、人とのつながりを大切することで、やりたいことを実現し、周りの人も笑顔にしていく。下條さんの作品に共通する明るさや朗らかさは、そんな前向きな生き方が描き出したものに違いない。
チョークアートとはどういうものですか?
芸術分野としての明確な定義はないのですが、黒い板に鮮やかな色合いで描かれた、どことなく南国風で立体的に見える絵です。イギリスが起源とされていて、もともとはカフェやパブのメニューボードに描かれていたものですが、今のような形になったのは1990年代のオーストラリアです。旅行で現地を訪れる人が増えたことで、日本でもチョークアートが知られるようになりました。最近では画一的な活字よりも温かみのある手描きが好まれるようになって、ビジネスでの利用価値も高いため、注目度は増しています。
画材や技法にはさまざまな工夫があって、学校で使われる一般的なチョークではなく、オイルパステルという、クレヨンに似た画材を使います。色を重ねて塗ったところを指で擦ってぼかしたり、多少のミスは消しゴムで消せるのも特徴です。完成後は特殊な加工を施すことで消えないようにもできるので、意外と保存性も高いんですよ。私自身の活動としては、スタジオを拠点に作家として制作・販売をしながら、富士宮市内の公民館や首都圏での講座、イベントでの作品展示やワークショップなどをつうじた普及活動を行なっています。子どもからご高齢の方まで、誰もが気軽に親しめるのもチョークアートの魅力ですね。
チョークアートを始めたきっかけは?
子どもの頃から絵を描くことは好きでしたが、職業としては保育士の道を選んで、地元の幼稚園で働いていました。仕事、結婚、子育てと、ずっと夢中になれることがあったので、趣味として絵を描くことも少なくなっていましたが、8年前に用事で訪れた公民館で、偶然チョークアート講座の告知を目にしました。
当時チョークアートのことはまったく知りませんでしたが、ふと興味が湧いて、その場で受講を申し込みました。その講座の後もインターネットでいろいろと調べていたところ、ある作品に衝撃を受けました。素材や色が、いきいきと光輝いて見えたんです。どうすればこんな風に描けるのかを知りたくて、その作品を描いた先生に習うために横浜まで通い、3年がかりでインストラクターの資格を取得しました。
多くの人にチョークアートを知ってもらおうと、秋の富士宮まつりに路上ライブで絵を描く企画を考えたのもこの頃です。チョークアートとの出会いも、資格取得もイベント参加も、思い立ったら即実行(笑)。面識もないのに商店街の方々に相談に行き、賛同してくださったお店の前で路上ライブを実現させました。当日は道行く人の前で富士宮をテーマにした絵を描き、多くの方といっしょに盛り上がることができました。その絵は現在、富士宮市役所1階のホールに飾っていただいています。
多くのご縁と行動力が道を切り開いたんですね。
自分がやりたいことがはっきりしているときは、なぜか必要な情報が集まってきて、ご縁にも恵まれる気がします。
たとえば、私が地元だけでなく東京でもチョークアート教室を開いているのも、まさしくご縁によるものです。教室を始めるにあたって、せっかくなら需要の多い首都圏でと考えたものの、人脈は一切ありません。まずはウェブサイトを作ることから始めようとしましたが、ウェブ制作についても素人なので、どうしたものかと困っていました。
そんなとき、ずっと連絡を取っていなかった古い知り合いとSNSをつうじて再会しました。その方は東京でウェブ制作を教えながら、自宅を開放して料理などのカルチャー講座を開いていて、そこで私のチョークアート教室もやらせてもらえることになりました。結果的にはウェブサイトの勉強と教室の開講が同時に進んで、さらにそこで教えた生徒さんからの紹介で、別のレンタルスペースでの教室やイベント出店にも誘ってもらえるようになりました。完全な手探り状態で始めたのに、気づけば地元よりも先に東京で活動する作家になっていました(笑)。
過程を楽しもう、アートも人生も
人とのつながりを生み出す秘訣はありますか?
人とつながるためには、状況に応じて人に頼ることも大切だと思います。甘えるのではなく、頼る。私はなんでも自分でやりたい性格で、若い頃は人の力を借りることができませんでした。それが大きく変化したのは、30代後半に難聴を患ってからです。
ある日、聞こえ方に違和感を覚えて、そのうち目の前で我が子が話している内容も聞き取れなくなりました。すぐに病院に行って、以来ずっと補聴器は欠かせませんが、当時は人との会話や電話が怖くて、すごく辛かったです。家族にも迷惑をかけてしまうし、これからどうやって生きていけばいいのかと途方に暮れて、一人で思い詰めたこともありました。それでも家族や周りの方々が温かく接してくれて、自分一人では生きていけないことに気づかされ、また同時に、強がる必要はないんだと気持ちを切り替えたら、ふっと楽になりました。
もちろん今も生活面で不自由なことは多いですし、チョークアートの勉強で横浜まで通うのも、私にとっては勇気のいることでした。でも、電車で車内アナウンスが聞き取れなかったら、近くにいる人に聞けばいいんです。そうやって人に対する心の垣根を少し下げてみるだけで、人間関係も仕事も、ずいぶん変わってくると思います。
下條さんの活動もチョークアートの認知度も、ますます広がっていきそうですね。
依頼をいただいてオーダーメイドで制作する仕事に加えて、昨年から静岡市内の銀行の大きなショーウィンドウに作品を飾らせていただける機会も得ました。作家として自由に表現できる場があることは本当にありがたいことです。各地での教室やインストラクター養成講座にも力を入れていこうとしていたところで、今回の新型コロナウイルスの問題が発生してしまいましたが、それならばと、さっそくオンラインでのレッスンにも挑戦しています。新しいことを試すときは不安もありますが、私の場合はワクワク感の方が大きいですね。最初は分からない、できないのが当たり前。だからとりあえずやってみてから考えよう!って(笑)。
チョークアート自体も、今後さらに広まっていくと思いますよ。個人のセンスだけに依存するのではなく、描き方を言葉で説明することができるのも、チョークアートの大きな特徴です。果物の光沢、動物の瞳、滑らかな色の変化など、それぞれの技法を身につけていくことで、誰もが驚くほど上達できますし、それによって描く楽しさも高まっていきます。私が教えた生徒さんがどんどん上手になって、自分のお店の看板や大切な人への贈り物を素敵に描き上げているのを目にすると、自分のことのように嬉しいです。もちろん私もそれ以上の努力で、新しい技術や知識を学び続けていかないといけません。でもその過程が楽しいんですよね。学ぶことが好きだし、教えることも好き。好きなことが伝わって、周りに笑顔が増えていくことも含めて、私の自己表現なんです。だからより多くの人に、自分を表現してほしいとも思っています。
これから絵を学び始めようとする人が、決まってこう言うんです。『私、絵心がないから』って。おそらく学校で美術の評価が良くなかったとか、絵を褒められたことがないとか、自信のなさがその言葉になるんだと思います。でも、そうじゃないんです。私自身も美大で絵を学んだわけではありませんし、何十年というキャリアを積んだわけでもありません。本当に大切なのは描きたいという気持ちと、なんでも学んでみよう、楽しんでやろうという姿勢ですよ。きっと私は欲張りなんでしょうね(笑)。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text /Kazumi Kawashima
Cover Photo/Kohei Handa
下條 画美
チョークアート作家・インストラクター
PRB HandWork キャッチパステル 主宰
1963(昭和38)年12月7日生まれ (56歳)
富士宮市出身・在住
(取材当時)
しもじょう・えみ / 富士宮市立第一中、富士宮東高校、常葉短期大学保育科を卒業後、地元の幼稚園で教諭として8年間勤務。結婚・出産後に退職し、雑貨店や料理教室を営んでいたが、2012年にチョークアートと出会い、インストラクターの資格取得後は作家として活動を広げる。富士宮市小泉のスタジオを拠点に、市内の公民館講座や県内各地、東京都内でも教室を開催。『ふじのみやまちなかアートギャラリー』、『ふじのくにアートクラフトフェア』など、地元のイベントにも積極的に参加。2019年より静岡銀行呉服町支店のショーウィンドウに作品が飾られ、2022年には同ギャラリーで展示会も開催予定。
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
下條さんの「画美」というお名前はご本名とのこと。百万回聞かれた質問だろうと思いつつもお訊きしました。左右対称の字面がつくるバランスの美しさを理由にご尊父が選んだそうです。お父様も視覚的感性を大事にする方なのでしょう。チョークアートを選んだのは、無意識のなかに「自分は画を描く人」という自己イメージがあって影響したのかもしれません。
当紙のインタビューでは、「この道を選んだのは本当にたまたまだったんです」とおっしゃる方が多いです。もちろん「幼少の頃からの夢で、ずっと追いかけてました」という方も少なからずいますが、下條さんは前者のほうです。でもきっかけは偶然でも、そこから先に進むためにはやっぱり行動力。
行動力とは自分が行動するためだけの力ではありません。まわりの人たちを味方につけて、自然と行動させてしまう力でもあるのです。熱くなって動いている人を見ていると、つい助けたくなるもの。難聴発症をきっかけに「人を頼りにしてもよい」と思えるようになったことがラッキーだと下條さんは言います。その自己肯定感に至る道のりは簡単ではなかったと思います。
さて、先月号から紙面づくりにもコロナの影響が出てきました。先行きが見えず日に日に変化する状況の中、我々も悩みながら編集しています。今月の『ぷろぐ』は「今は来店できなくても存在を忘れないでね」という意味合いも込めて、テイクアウト情報等に限定せずに各店舗さんにご参加いただきました。来月もいろいろ悩みながら作っていきます。
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