Vol. 142|富士・オーシャンサイド友好協会 会長 清水 小波
心の帆に満風を受け、
流れるままに
©Visit Oceanside
実際に暮らしてみたオーシャンサイドの印象は?
アメリカ西海岸のロサンゼルスとサンディエゴの中間に位置するオーシャンサイドは南カリフォルニアを象徴するような美しいビーチタウンで、息を飲むほど青く高い空に感動したのが最初の印象でした。海にはオットセイやペリカンが心地良さそうに戯れる、温暖で爽やかな気候が最大の魅力です。気候の良さでは全国屈指の富士市で生まれ育った私がそう感じるのだから、間違いありません(笑)。
文化や考え方の面では日本と異なる部分がたくさんあって、日常生活での驚きや発見は毎日数え切れないほどありましたが、どこへ行っても人情味のある風土には強く惹かれました。人々は陽気で、街のあちこちでジョークが飛び交っています。人種や言語も多様な環境では、ジョークやボディランゲージがコミュニケーションの潤滑油になっているんですね。
オーシャンサイド行きに合わせて、地方紙の富士ニュースで定期的にコラムを寄稿させていただくことになっていたので、滞在中はその取材も兼ねて自分が関心を持った場所をたくさん訪れました。大学や福祉施設、社会奉仕団体、警察の国境パトロールの現場など、まるで特派員のように忙しく充実した、あっという間の2年間でした。
小学生だったお子さんもオーシャンサイドに同行したそうですね。
当時高校生の長女と中学生の長男は日本に残って、小学6年生の次女は本人の希望もあって連れて行きました。
そこで困ったのは言葉です。私も最初は苦労しましたが、ひと月くらいで耳が慣れてきて、帰国する頃には寝ている間も英語で夢を見るようになっていました。生活上の必要に迫られると不思議なくらい身につくんですね。ただ、今でこそ笑い話ですが、渡航準備中はあまりにも忙しくて、連れていく娘に英語を教えるのをうっかり忘れていたんです(笑)。
現地の子どもが通う一般の中学校に編入した娘は、最初の頃は何も聞き取れず真っ青になっていました。慌てて日系のスーパーで辞書を買ってきて、宿題をやるにも私と二人で夜中まで悪戦苦闘していましたが、学校側が見かねて3日間だけ通訳ボランティアをつけてくれたんです。そこで初めて娘のホッとした表情が見られました。いつ嫌になって日本に帰りたいと泣き出すかと思っていましたが、けっきょく最後まで泣き言は言わず、むしろ日本にいた頃は無口なタイプだった娘がどんどん社交的になっていきました。これも陽気なオーシャンサイドの気質のおかげかもしれません。最初はお手上げだった英語も、そのうち私の方が娘に『今、あの人なんて言ってたの?』と聞くほどになっていました(笑)。
次女は後にイギリスに留学して、帰国後の現在も大学院でビクトリア時代のイギリスにおける日本観の研究をしていますが、オーシャンサイドで過ごしたあの2年間は苦労もしたけど素晴らしい経験だった、本当に行ってよかったと言ってくれています。
清水さん個人の体験も含めて、オーシャンサイドという姉妹都市があることの価値や今後の可能性は大いにありそうですね。
オーシャンサイドとの交流事業はまだまだ発展途上ですが、少年親善使節団の訪問だけではなく、現地の子どもたちとの手紙のやり取りや、不要になった本の贈呈など、市民レベルでの文化・教育・心の交流が活発になりつつあります。
国際交流は英語を話せる人だけのものだと思われがちですが、そんなことはありません。20代から70代まで幅広い年齢の当会員の中には英語を話せない人もいますが、執筆・写真・デザインなど、それぞれの得意分野で活躍しています。私たちは今後もさまざまな形で両市にとって有益なつながりを模索していきたいと考えています。
漠然とした国際交流ではなく、海の向こうに具体的な足がかりとなる『あちら側の港』があることの価値は計り知れません。若者同士の文化交流に加えて、親子や家族単位での訪問や観光だけではない体験型ツアーの実施、海外進出を目指す企業のビジネスマッチングなど、すでに要望やアイディアは出てきていますが、これらはすべてオーシャンサイドという好意的な相手がいて初めて成り立つことなんです。
また私個人としても、浅く広くなりがちな国際交流活動の中にオーシャンサイドという大きな軸を持つことができたのは本当に幸せなことだと思っています。私の名前は国語教師で歌人でもあった祖父の命名で、明治の文学者・巌谷小波(いわや さざなみ)から取って、『さなみ』と読むのですが、人生のいろんな波や障害を乗り越えながら生きてほしいという願いが込められていたそうです。私自身はこれまでの半生を、周りの皆さんに助けられながら、思いのまま、風の吹くままに流れてきた航海のようだと感じていますが、あらためて自分の名前を見ると、どれも海を連想させる文字なんですね。お互い海に面して向かい合う富士とオーシャンサイドの橋渡しは、私の使命なのかもしれません。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
写真提供/Visit Oceanside
https://visitoceanside.org/
清水 小波
富士・オーシャンサイド友好協会 会長
1953(昭和28)年9月9日生まれ(65歳)
富士市出身・在住
(取材当時)
しみず・さなみ / 幼い頃から海外の文化や国際交流に興味を持ち、30代から本格的に地域の国際交流活動にボランティアとして参加。一男二女の母として仕事と家事に励む日々を送る中で一念発起し、1997年8月より2年間、富士市と姉妹都市関係にあるアメリカ・カリフォルニア州オーシャンサイド市で暮らす。帰国後も両市の相互交流や多文化理解の活動に貢献し、2013年に『富士・オーシャンサイド友好協会』の前身である『富士・オーシャンサイド友好市民の会』を立ち上げる。現在は会長として組織を牽引しつつ、行政との協働、市民や企業から寄せられた要望を実現できる仕組みづくりにも奔走している。
富士・オーシャンサイド友好協会
https://www.fuji-oceanside.com/
2013年4月に『富士・オーシャンサイド友好市民の会』として発足。両市の市民レベルでの親善交流をはじめ、市民の国際感覚の醸成、在住外国人との親善、異文化理解への寄与などを目的に活動中。
富士市との協働により中高生がオーシャンサイドを訪れ学生市民交流を行う『富士市少年親善使節団』や、教育委員会の教育研究教員海外派遣事業のコーディネート、市民向け講座『大人のカジュアル英会話』の運営なども手がける。
年2回発行の会報『FOFA(ふぉーふぁ)』は富士市内の各まちづくりセンターなどの公共施設で入手可能。正会員は約20名(2018年8月現在)で、新規正会員(年会費3,000円)・サポーター(無料)は随時募集中。
お問い合わせは公式ウェブサイトかTEL:090-1824-0034 FAX:0545-33-0978まで。
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