Vol. 125|富士山れんげの会 会長 服部 愛一郎
鮮やかなるノスタルジー
富士市東部の富士岡地区から須津地区にかけて、東海道新幹線と国道1号バイパスの間に広がるのどかな田園地帯。この田んぼの真ん中で、大きな夢を追い求めている人たちがいる。その夢の行先は、見渡す限りのれんげ畑。
かつては田んぼでれんげを栽培し、苗を植える前に肥料として土に鋤き込む農法が盛んだったが、米の品種改良や肥料の品質向上に伴い、れんげ畑は全国的に姿を消しつつある。そんな中、ボランティア団体『富士山れんげの会』の会長を務める服部愛一郎さんは、自らが幼い頃に慣れ親しんだれんげ畑を復活させるための活動を続けている。
誰の心の中にもある、生まれ育ったまちの原風景。服部さんのそれは薄紫色に染まって、爽やかな春の風にそよいでいるようだ。
『富士山れんげの会』の活動について教えてください。
富士市の須津地区でれんげ畑を広げている団体で、2014年の発足以来、秋の種まきや毎年4月に開催する「富士山れんげまつり』の企画・運営など、継続的に活動しています。れんげまつりは今年が3回目で、今は準備の真っ最中です。派手なイベントではありませんが、満開のれんげに囲まれながら、みんなで音楽や食事を楽しんで、この地域を好きになってもらうことが目的です。元となるれんげの種は、美しい地域づくりを目的に地元の農家さんで組織された『富士山のふもとの郷を守る会』の皆さんによる多大な協力を得て、毎年支給していただいています。
また今年は初めての試みとして、れんげが咲いた段階で上空からドローンで撮影して、ウェブサイトで公開する予定なんですが、どんな反響があるか楽しみです。ちなみに、富士山れんげの会は須津地区の住民に限定したものではなく、活動の趣旨に賛同していただける方の入会は随時受け付けていますので、興味のある方はご連絡いただければと思います。
服部さんのお仕事は農業ではなく、水道設備や住宅機器の販売・施工ということですが、この取り組みを始めた思いやきっかけは?
私は生まれも育ちもこの土地で、生粋の“須津っ子“なんですが、子どもの頃は春になると毎日のようにれんげ畑で遊んだものです。今のようにゲームやスマホはありませんから、年齢も性別も関係なく、ただ田んぼに集まって追いかけっこをしたり、花飾りを作ったりして日が暮れる、そんな毎日でした。同じような思いを持つ人がたくさんいて、れんげまつりの開催後には『懐かしいねえ』とか『子どもの頃を思い出すよ』といった共感の声が多く寄せられたことが素直に嬉しかったです。最初は『いい歳したおじさんがれんげ畑なんて、少女みたいなことやるなよ』ってバカにされるんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしましたけどね(笑)。
それともう一つ、本業の商談などで他県に行くと、『富士市ってどこですか?』と言われることがあって、ショックでした。地元の魅力を掘り起こして内外に向けて発信することで、市外の人には富士市を知ってもらい、住民の皆さんには誇りと愛着を持ってもらえるような活動ができないものかと考えていたんです。そこで3年前の夏、須津小学校PTAの役員経験者が集まるOB会の席で私がふと、『れんげ畑を復活させたいんだけど、皆さんどう思いますか?』と投げかけたところ、たくさんの方に賛同していただけたことがきっかけで、富士山れんげの会の活動が始まりました。
田んぼの所有者など関係先の皆さんにはすぐに受け入れてもらえたのでしょうか?
当初は簡単に同意が得られるだろうと甘く考えていました。自分の地域がきれいになって、人が集まって賑やかになるのに、反対意見なんてあるはずがないだろうって。人の土地に種をまいて花を咲かせるわけですから、了解を得るための趣意書なども作って、まずは昔からよく知っている農家さんのところに軽い気持ちで行ったんです。ところが、そこで開口一番に聞かされたのは、『帰れ帰れ』という言葉でした。これには参りましたね。後で知ったことですが、れんげというのはある意味、厄介者なんです。れんげには稲が必要とする窒素を空中から取り込む性質があるので、土壌に力を与えますが、その一方でデメリットもあって、窒素成分が多すぎるため、稲の成長を促進しすぎてコンバインで刈り取るのが大変になり、台風が来た場合には稲が倒れてしまうリスクも高まってしまいます。
さらに、れんげの開花時期は3月下旬から5月初め頃で、それが終わってから苗を植えるとなると、忙しい兼業農家などにとっては時間的に作業が間に合わなくなってしまうんですね。ここ数十年でれんげ畑が姿を消したことにはちゃんとした理由があるんです。『あんたたちは遊びでやってるんだろうけど、こっちは田んぼで食ってるんだよ』と言われた時は心にグサッときて、いきなり挫折感を味わいました。
それでも諦めずに説得やお願いを続けてきたのですね。
そこはやはり、れんげ畑への思い入れと、地元の魅力を高めたいという気持ちだけですね。仲間との話し合いの中で、こうなったらオセロゲームの要領でやっていこうということになりました。最初はまばらでも、両隣の田んぼにれんげが咲いたら、『じゃあ、ウチも来年やってみるか』となって、オセロみたいにパタパタとひっくり返っていくんじゃないかって(笑)。ですからまずは5年間、継続してやらせてほしいと農家さんにはお願いしています。今年で3年目ですが、おかげさまで協力していただける農家さんは増えていて、まく種の量も最初の年は55キロ、その次は127キロ、そして今回は154キロと、年々増えています。まだまだ道半ばですが、れんげまつりという単発のイベントだけに注力するのではなく、今後はれんげ畑の面積を着実に増やしていくこと、そして何より、きれいに咲かせるという本来の目的をしっかりと意識していきたいです。これまでの経験で、種のまき方によって咲き方が変わることが分かりました。また秋に稲刈りを終えたままの固い畑に種をまくよりも、一度耕して土を柔らかくすると発芽率が高まることも分かってきました。ムラなくきれいに花を咲かせるための工夫や研究は、今後も続けていく必要がありますね。
また、れんげを通じた他地域との交流も芽生えています。熊本市にれんげ栽培が盛んな秋津地区というところがあるんですが、去年はれんげの咲く頃に熊本地震が起きましたよね。そこでれんげまつりの会場で被災地への義援金を募って届けたところ、感謝の気持ちということで、熊本で採取されたれんげの種を送っていただいたんです。この種は別のプランターで大事に栽培していて、今年のれんげまつりで披露させてもらうつもりです。
れんげ畑のパノラマと
地域の賑わいを夢見て
経営者でもある服部さんは、単にれんげ畑を復活させるだけではなく、それに伴う地域への経済効果も意識しているそうですね。
れんげ畑が広がることを目指してはいますが、私はそこに持続的なビジネスや集客が生まれてこその地域活性化だと思います。たとえば、れんげを栽培した後の田んぼで育てた米はお世辞抜きで味も香りも良くなるんです。すでに小規模ながら『富士山れんげ米』として販売も始まっていますが、付加価値のついた商品に育てていけば、協力してくださった農家さんにとっても収入増が見込めます。それなられんげ畑に協力しようかと考える農家さんが増えていくという相乗効果も期待できます。
また、れんげ畑を使った養蜂、つまりハチミツの生産も検討されています。ゆくゆくはこのハチミツを使って地元のお菓子メーカーがオリジナルの商品を開発・販売、なんて考えると夢が膨らむじゃないですか。テレビCMやドラマのロケ地にも選ばれるようになって、満開のれんげ畑で結婚式というのもいいですね。といっても、これは地域を盛り上げて各事業者さんに潤ってもらうための話で、私自身には1円も入ってきませんけどね(笑)。
服部さんの目線の先には本当に広くて美しいれんげ畑が広がっているんですね。
最終的には東部市民プラザに面した道路の周囲をれんげで埋め尽くしたいですね。その道路に『れんげロード』みたいな愛称をつけてもらって、年末の富士山女子駅伝でこの道路を選手が走る際にれんげ畑の紹介が全国放送されたら最高です。夢は際限なく広がりますが、あえてこの場を借りて伝えたいのは、協力してくださる地主さん、農家さん、ボランティアスタッフの皆さんへの感謝です。
実は去年の種まきの直前にこんなことがありました。田んぼの脇を車で走っていたら、ある農家さんが飛び出してきて私の車を止めたんです。内心では『ああ、何か文句を言われるのかな』と思いながら顔を出すと、『よその地区に負けんな。きれいに咲かせるよ』って、それだけ言って去って行ったんです。これは嬉しかったですね。地道に活動を続けていけば理解してくれる人は必ず増えてくるんだと、自信にもつながりました。春の花といえば、まずは桜が頭に浮かぶと思いますが、素朴で可憐なれんげの風情もまた格別です。イベントは一日限りですが、私としてはれんげが咲いてから鋤き込んでしまうまではずっとれんげまつりの期間だと思っています。のどかな田んぼに敷き詰められたれんげの花と、颯爽と駆け抜ける新幹線、そして背後にそびえる富士山。『これぞ富士市!』という景色に出会いに、多くの人に訪れてもらえることを願っています。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
服部 愛一郎
富士山れんげの会 会長
1959(昭和34)年6月12日生まれ(57歳)
富士市中里出身・在住
(取材当時)
はっとり・あいいちろう/須津小、須津中、東海大工業高校を経て、東海大学教養学部に進学。卒業後、家業である株式会社アイワに入社し、1986年、先代社長の逝去により代表取締役に就任。管工事の設計施工やペレットストープなど住宅設備機器の販売施工を行う。2014年、幼少期に遊んだふるさとの美しいれんげ畑を復活させるべく、有志らとともに『富士山れんげの会』を設立し、代表に就任。地元農家、地主、ボランティアスタッフの協力のもと、富士市須津地区の田んぼでのれんげ栽培を進め、2015年より毎年4月に『富士山れんげまつり』を開催。約1,000人の来場者を集め、盛況を博す。
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