三味線の音色に
幼少期の佐藤さん
さくらの音色 第1回
富士市出身の長唄三味線演奏家、佐藤さくら子です。2013年に東京藝大大学院を卒業後、プロ活動を始めました。地元富士でたくさんの方に三味線の演奏を聴いてほしいという夢をもって活動中です。いろんな種類の三味線がある中で、私が演奏するのは長唄というジャンルです。長唄は歌舞伎の伴奏音楽として発展してきました。三本の糸で奏でられる音色は力強い表現、艶っぽい表現など、登場人物や情景描写に応じてたくさんの表情を持ち合わせています。
長唄古典曲の大半が江戸時代に作曲されたもので、私はそれを3歳の頃から習ってきました。今思えば平成生まれの子が江戸時代の曲を演奏するって、タイムスリップのようですね。当時は歌詞の意味も曲の良さもわからなかったはずですが、三味線の演奏が好きで、充実感とわくわく感があったのを覚えています。
江戸時代の偉人や歴史を辿るのには本来、たいそうな書物を掘り起こしたり、調査したりと大がかりですが、長唄は口伝ですからそんな難しいことはしなくても平気。先人に聞けばいいし、教わればいい。手軽に江戸文化のひとつである長唄が身につきます。皆さんもいかがですか?なんて勧誘しちゃったりして(笑)。
私の師匠は、まさに「長唄の生き字引」です。長唄が生き残っているのはそういう方々のお陰ですし、私が長唄を続けているのも、魅力ある芸がナマモノで教えられてきたからです。ただ、不安も感じます。それは私が将来そんな存在になれるだろうかということ。流派の確固たる系統を重んじ、膨大な知識を持ち、演奏に優れ、どんな悩みもその場で解決してくれる。私はこのような生き字引になるべく必死です。先生が元気なうちに全部吸収しないと!自分が師匠の遺産となりたい。何の恩返しもできませんが、教えていただいたものを背負っていくことが私の考える孝行です。
少し重い話になりましたが、この継承は本来、自然と身につくものだと思います。しかし、「ムダ」を嫌う世代は学びの効率を重んじます。それこそが継承を止める足枷になってしまうのです。手軽さを売りにした習い事サークルが増え、三味線も「お稽古」ではなく「レッスン」といわれることがあります。現代化された風潮として仕方のないことではありますが、そんな中でも私は「稽古」という言葉を大切にしています。どこか温かみがあると思いませんか?
稽古場では、本当なのか冗談なのかわからない偉人先人たちのエピソードが飛び交い、技術以外のことも吸収できます。実際は「それは前にも聞きました。というか、もう何百回も聞いてます」と思うことが多いですよ。でもきっと「その要素がまだ足らんのだ」と言われているのだと思います。また先生だけでなく、お弟子さんたちからも多くの学びを得てきました。結局今の私は、3歳からの三味線人生の中でお世話になってきた方々のお陰の塊なのだとつくづく感じます。稽古場で育てられてきた三味線弾きなんですね。
核家族化が進む今、子どもに何か稽古を勧めてみるのも良いと思います。親以外の大人と関わることや自分の思い通りにならないことに直面する。稽古場は人を育ててくれます。もちろん大人も。技術の習得だけでない、多方面での充実感を味わえる場所だと思います。そんなことを求めて訪ねてきてくださった方のためにも、和気あいあいとした古き良き稽古場を守っていきたいですね。
佐藤 さくら子
長唄三味線演奏家
さとうさくらこ/富士市出身。3歳より長唄三味線を始める。富士高校、東京藝術大学音楽学部邦楽科、同大学大学院卒業後、2013年からプロの演奏家として活動。浄観賞、アカンサス賞など数々の受賞歴を持ち、現代邦楽アレンジや作曲も手がける。海外での演奏活動やテレビ出演も多数。東京と地元富士市の2拠点で長唄三味線の指導を行ない、伝統音楽を継承する一方、「親しみやすい三味線」を重視した演奏の自由化にも取り組んでいる。
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