魅せる舞台は一期一会
甫の一歩 第16回
私たち能楽師は、はたして年間でどれくらいの能舞台を勤めるのでしょうか。シテ(主役)をいただくことは年にわずかで、ほとんどの舞台が地謡(通常8人からなるバックコーラス隊。4人2列になり、後列の中心が地頭と呼ばれるリーダー)または後見(舞台の進行を手伝う役割。通常2人だが、舞台上に大掛かりな舞台装置を出す場合は人数を増やす)の下っ端なのです。
こうした地謡での公演に座らせていただきながら、いつかこんなシテを、いつかこんな舞台を自分も勤めたいと、心に響く記憶に残る舞台のひとつと出会うことができました。先日、ある地方での能公演で私と年の近い先輩が難曲に挑戦されました。演目は『邯鄲』(かんたん)。中国・唐代の伝奇小説『枕中記』(ちんちゅうき)に書かれた有名な故事「邯鄲の枕」をもとにして、のちに日本風に脚色された逸話を典拠とした作品だとされています。
演目のあらすじは以下のようなものです。
日々をただ茫然と暮らしている、蜀国に住む盧生(ろせい)という青年は、楚国にいる高僧に自分の将来を尋ねようと思い楚国へと向かいます。その道中、邯鄲の里の旅宿で「邯鄲の枕」という悟りを開く枕を使い昼寝をしていると、楚国の勅使がやってきて、盧生に帝位を譲るといいます。あまりに思いがけないことでしたが、盧生は帝位につき、豪華絢爛な宮殿で五十年あまりの栄華を極めるのでした。けれどもそれは、旅宿の主が粟飯を炊きあげるまでの夢の中の話。主が盧生を起こすと、今まで見ていた五十年の栄華は夢だったと気が付きます。「邯鄲の枕」のおかげでこの世は結局夢のようなものだと悟りを開き、盧生は故郷の蜀国へと帰るのでした。
(臥牛敷舞台主催第5回『能と茶と』パンフレットより引用・要約)
緞帳(どんちょう)の存在しない能舞台を巧みに使った舞台転換。緻密な文学作品としての構成。登場人物の配役も工夫がなされ、見どころのある舞部分や、音楽的な囃子も素晴らしく、曲中一番の盛り上がり部分ではあっと驚く型(動き)まであり、それらすべてが非常にレベルの高い、魅せることを凝縮したまさに名作でした。
能公演は、同一役者による同一演目の形態では連続公演をしません。例えばあるコンセプトのもと、さまざまな演目をさまざまな役者が勤めてひとつの公演となる企画はありますが、歌舞伎などのように何日間も同じ公演を興行することは、あり得ません。これは能楽という芸能の精神と、その結果ひとつの舞台に全身全霊を注ぐため、複数回行なうことが肉体的に過酷だからだと思います。
ですので、ほぼすべての能舞台は、たった一度限りになります。まさに生もの、一期一会です。自分の心に響き、記憶に残る舞台に立ち会えることは、そう多くありません。いつか自分がこの難曲に挑戦させていただく機会を得たときに、この日に肌で感じた空気の振動、緊迫感、魅了する力、それらを発揮できるように、少しでも近づけるように、いつかのために稽古に励むほかありません。
皆さまも能『邯鄲』をぜひご覧くださいませ。きっと一生忘れることのない、一期一会の体験ができることでしょう。
田崎 甫
宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」
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