「能繁期」の秋

紅葉もみじ

甫の一歩 第8回

今年の夏も、いつになったら暑さは和らぐのかと思っていたら、あれよあれよという間に木々はすっかり紅を差し、革靴の底からほのかに銀杏の香りを感じます。静かに次の季節へ移ろうことなく突然寒くなるのが、近年の傾向なのでしょうか。それとも、鼻をすすり寒さを自覚してから慌てて衣替えをする無頓着な性格のせいでしょうか。とにかく秋になりました。

秋といえば、「○○の秋」。芸術、読書、食欲、他にもたくさんあるでしょう。あまりに使い占されたこの文句ですが、やはり私にとっては芸術の秋です。土日祝には能の会が数多く催されます。秋は農繁期ならぬ「能繁期」だと笑う先生もおられます。しかし今は一年を適じてさまざまな催しがありますので、秋が特別忙しいわけでもないのかな、とも感じます。では能繁期とはいったい何なのか。秋は昔から続く正統的な催しが目白押しです。代表的なものとしては、能楽師による自演会と、お弟子さんの発表会。そしてこれらはともに、暗記が大変なのです。暗記のことを「覚えもの」と私たちはいいますが、自演会は難しい演目がほとんどですし、発表会はたくさんの演目を謡うので何番もおさらいする必要があります。謡本を小さくした手のひらサイズの小本を常に持ち歩き、隙間をみつけては謡本とにらめっこします。つまり能繁期の正体は、能楽師の頭の中のこと。暗記と戦い、覚えものに追のうわれている「脳繁期」なのかもしれません。

さて今回は、そんな秋の一曲をとりあげましょう。

演目名は『六浦』。あらすじは以下の通りです。六浦の称名寺を訪れた都の僧が、辺りの木々が紅葉する中、一本の楓だけまったく紅葉していないことに気付きます。そこへ現れた里の女に僧が尋ねると、女は「昔、冷泉為相卿が他の木に先駆けて紅葉する楓を歌に詠むと、その楓は『名誉を得た上は身を退くのが正しい道である』として、以降は紅葉することがなかった」と語ります。さらに自分は楓の精だと明かして消え失せました。夜になると楓の精が正体を現し、四季ごとの草木の移ろいを語り、舞を舞います。(『錬仙会能楽事典』より)この曲に盛り上がるような山場は特になく、淡々と穏やかに進みます。主人公である楓の精は、自らが和歌に詠まれたことにより、老子の教えである「功成り名遂げて身退くは天の道なり」だと考え、二度と紅葉しなくなります。心をもたない非情のものである草木が、老子の教えを実践するのはなんとも不思議です。能の演目では他にも草木を主人公としたものがありますが、それらはたいてい仏の功徳をたたえる内容へとつながります。しかしこの『六浦』は宗教色が非情に薄く、四季の移ろいを語り月光の下で楓の精が静かに舞う、静謡な物語となっています。

自然に心が落ち着く(落ち着きすぎて上演中に寝てしまう方も多々いらっしゃいますが)『六浦』を、先日演能会で久々に観て、改めてその魅力に気が付きました。何も語らない、そのままを感じる懐の深いこの曲は、能繁期による相次ぐ覚えものでこたこたとしている私の頭をやさしく落ち着かせてくれました。

田崎甫プロフィール

田崎 甫

宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」

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