国内初のデニム『STAR OVERALL』はいかにして復刻したのか?

ロサンゼルス生まれ日本育ちのデニムブランド
静岡県東部地区初のプロサッカーチーム『アスルクラロ沼津』。全国各地が戦いの場であるチームの移動は、メンバー全員がオーバーオールを着用している。オーバーオールは70~80年代に個性的なファッションとして若者の間で流行したが、じつはその生い立ちはアメリカの労働者の作業服だったと耳にしたことがある。これを日本に持ち込み国内で初めて製造したのが、清水町卸団地に本社工場がある山本被服株式会社だ。そしてアスルクラロ沼津のメンバーが着ているオーバーオールも、同社のオリジナルデニムブランド『STAR OVERALL』。いったいなぜ?単なる偶然??……本号ではスターオーバーオールの誕生秘話と今をお届けしよう。

アスルクラロ沼津の選手たち
スターオーバーオールの歴史は、山本被服株式会社の創業者である山本彦太郎氏(7代目となる現社長・山本陵氏の高祖父)が職を求めて、単身アメリカに渡った時から始まる。彦太郎氏はワイオミングで炭鉱夫として働き、そこでワークウェアとして着ていたのがデニムのオーバーオールだった。少し遅れて渡米した妻がこのオーバーオールに運命を感じ、「いつかはこれで商売を」と二人は無我夢中で働いた。
そして1923年、ロサンゼルスで『スターオーバーオールカンパニー』を創業。商売をしながら製造ノウハウを学び、着やすさや丈夫さを追求していくうちに「これは日本でも売れるのではないか?」と思い、創業から3年後の1926年に幹部社員とすべての機械を日本に移し、沼津市三枚橋に念願の『合資会社 山本被服製造所』を立ち上げるに至った。

1923年にロサンゼルスで創業したスターオーバーオールカンパニー

帰国後に沼津で作った山本被服製造所
オーバーオール、デニムから始まった山本被服製造所は、あらゆる「働く人」が着るユニフォームの製造を手がけ、商売を広げた。戦時中は海軍指定・陸軍監督工場に指定されるも、戦火が沼津市内に及ぶと空襲で工場も製品もすべて焼失した。唯一残ったのは手回し式のミシンが1台。空襲警報が鳴るたびに、濡れないようにミシンをくるみ、池に投げ、彦太郎氏が命懸けで守ったという。終戦を迎え会社再建を果たしたが、時代の変化とともに綿や混紡のユニフォームが中心となり、デニムはいつしか工場から消えていった。

創業者が守り抜いた手回しのミシン
現在の山本被服は作業服・ユニフォームの製造販売、および各種関連アイテムを取り扱い、国内5つの営業拠点で全国の顧客の要望にワンストップで応えている。たしかな技術力と丁寧な仕上がり、誠心誠意の対応で、長きにわたる付き合いの顧客が多い同社は、2023年に創業100周年を迎えた。
「御社はデニムを日本に初めて持ち込んだ会社ではないですか?」ある時、人気雑誌『monoマガジン』編集部からの問い合わせが舞い込んだ。国内デニム発祥の地として知られているのは岡山県倉敷市だが、これはいわゆるファッションデニムとしての話で、1965年に国内初のジーンズが誕生したとされている。山本被服が日本で合資会社を作ったのは1926年で、当時すでに作業服としてのオーバーオールやデニムを製造していた。つまりこの問い合わせは正しかったというわけだ。
山本陵社長はこう振り返る。「この時は、『日本初』とか『もう一度作ってみよう』といったことは、あまり考えていませんでした。ただ私はもちろん、祖父も父も、異国の地で創業者がどんな苦労をして、どういう経緯でスターオーバーオールを日本で作り始めたのか、後継者としてその思いをしっかりと理解する責務があると感じていました。そうこうしているうちに創業100周年が近づき、何か目玉となるアイテムがほしいと考えていたところ、思いついたのがスターオーバーオールの復刻だったんです」。
100周年に向けて本格的に復刻プロジェクトを結成。調査を進める中、会社に保管されていたスターオーバーオールの紙パッチが1931年に登録商標されていたことが判明する。『日本初のデニム製品』という紛れもない証拠となった。あとはオーバーオールを作るのみだが、見本となるものは一切なく、手探りで行なうほかなかった。
「先代社長からオーバーオールの話を聞いていたので、以前から残された資料をもとに試作を始めていました。こだわりは、忠実に再現すること、そしてデニムならではの無骨さを表現すること。少しくらい針目が飛んでもそれはデニムの味なのですが、縫製スタッフは職人ですのできれいに縫い上げてしまうんです。スタッフの考え方を変える、意識を変える、それが一番の苦労でした」(スターオーバーオール開発マネージャー・富所勢氏)。

(左から)山本社長・賴重沼津市長・富所開発マネージャー

スターオーバーオールの紙パッチ
創業100周年で見事復刻を果たしたスターオーバーオール。今後も着実に生産を続け、ネット販売だけでなく、この価値を理解し賛同してくれる店舗に販路を見出したいという。
「復刻に際しては、社員みんなに協力してもらいました。何か手がかりがないかと自費でロスまで行ってくれた社員もいます。本当に感謝しかありません。また、これまで伝聞でしかなかったスターオーバーオールを現実のものとし、創業者の思いを継承しようと決意することができました。ユニフォームのユニは『ひとつ』、フォームは『形作る』という意味です。着ている者同士が理解し合い、同じ価値観でつながれば、ユニフォームとしてスターオーバーオールを作った創業者の思いが報われるのではないかと思います」(山本社長)。
直近の目標は、オーバーオールに続くデニムのパンツを作ること。将来の夢は創業したアメリカの地で、もう一度スターオーバーオールを販売すること。そしてもし当時のオーバーオールがどこかの家で眠っているのなら、この手に取って見てみたい……それが究極の夢なのだそうだ。
(ライター/reiko)
山本被服株式会社
駿東郡清水町卸団地163
TEL:055-971-5533

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